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期末テストを乗り越え、梅雨も明けた晴天の今日は半袖でもちょっと暑い。
テスト終わりでまだ昼をちょっと過ぎたくらいだから余計に暑かった。
試験の前と試験期間は部活が休みになるのは料理部も同じで、今日は久々の活動日だ。
今日作るのはケーキだ。誕生日ケーキ。なんでって、雲雀ちゃんの誕生日だから。
美月ちゃんと大樹くんは、あとから雲雀ちゃんを第二家庭科室に連れてくる役目があるからケーキのほとんどは私と嵐くんで作る。責任重大だ。
「そういえば、嵐くんはどうして私に声をかけてくれたの?」
「ん? 何が?」
「料理部。どうして誘ってくれたの?」
そう尋ねると、嵐くんの目はあちこちに泳いだ。言いたくないのだろうか。
「あー……、あのさ、キモいこと言ってもいい?」
「別にいいけど……」
キモいことってどんなことだろうとは思ったが、嵐くんだしそう変なことは言われないだろうと思い話をうながす。
「俺、クラス一緒になる前からみぞれさんのこと知ってたんだよね」
「そうなんだ?」
テニス部の友達に知り合いでもいたのだろうか。それとも委員会で一緒だったとか?
「みそれさん覚えてるかわかんないんだけどさ……。二年のとき渡り廊下でテニス部の後輩っぽい子のこと叱ったの、覚えてる?」
「そんなこと、あった……かも……?」
あんまり後輩の指導をするタイプでもなかったから、叱ったりする機会はなかったのでわりとすぐに思いだせた。
確か、去年の夏あたりの話だ。あれは部活のときじゃなかった。
「昼休みだったかな。一年の子が二人で大声で話してたんだ。いやまあ別にそれはいいんだけど、内容が、美月のことでさ」
悪口とかではなかった。二人は、美月ちゃんのファンのようだった。
美月ちゃんのことが好きで、憧れてて、近づきたくて、だから彼女の私物を、こっそり持ってきてしまったようだった。
学校にいる美月ちゃんのファンには兄弟だとばれているので、美月ちゃんのことを話しているのがわかった瞬間咄嗟に校舎の影に隠れたらしいが、彼女たちの話を聞いて嵐くんは飛び出そうとした。
でも飛び出す直前に私がその子たちに話しかけた。
私は、たまたま通りがかっただけだった。
「みぞれさん、返した方がいいよってその子たちに言ってくれたよな。でも。ってその子たちが言い訳しそうになったら、はっきりとそんなことしたら駄目だって言ってくれた」
「でもそれ私じゃなくても同じこと言ったと思うよ」
現に私が通りがからなかったとしても、嵐くんが止めていただろう。
それに私が見て見ぬふりをしなかったのは、そうしてしまえば後悔をひきずるだろうと思ったからだ。
相手が今後も関わりがある部活の後輩だったということも大きい。
苦笑する私に、嵐くんは「でも、言ってくれたのはみぞれさんだったじゃん」と言った。
「俺そんとき、かっこいいなあこの子って思ったんだよね」
予想外のことを言われて思考が固まってしまう。なんだか耳が異様に熱い。
「でもだから、三年でクラス一緒になってからのみぞれさんがあんまり自分の主張しない人で驚いたんだよね。人違いかな? って思ったときもあったし」
料理部に参加するようになってすぐのときに『みぞれさん自分の思ってること全然口にできる人じゃん』と安心されたことをふいに思い出す。
なんだか耳だけじゃなく顔全体が燃えてるような気がしてきた。
「それでまあ、キモいことに俺はそれからみぞれさんのことなんとなーく見ててさ」
「キモくはないから大丈夫です……」
「そう? ああ、そういえばみぞれさんは気づいてなかったっぽいけど、みぞれさんの友達には気づかれてたよ」
「私の友達? 誰?」
「テニス部のみぞれさんとよく一緒にいた子」
「裕子?」
「多分その子。みぞれのことたまに見てない? 柳井くんって同じ中学だったっけ? って言われた」
前に嵐くんと一緒に歩いてただけで彼氏だと勘違いされた理由が今更わかってしまった。
そもそもずっと勘違いしてたんだ。私と嵐くんは全然そんなことないのにと脱力してしまう。
今度試合を見に行く約束を改めてしたからそのときちゃんと訂正しておこう。
「裕子なにも言ってなかったのに……」
「言わないでくれって頼んだから」
「どうして?」
「言わなきゃ駄目?」
「駄目ではないけど……」
別にその頃だって不思議だなとは思っても気持ち悪いだなんて嵐くんに対して思うことはなかったと思うのに、本人からすると気になるのだろうか。
「あー、それで、話戻すけどさ。だから、みぞれさんが去年にくらべて明らかに顔色が悪いのが気になってたんだよね」
「……そんなにちがってた?」
毎日自分の顔は見ているはずなのに、指摘されるほど変わっていたなんてわからなかった。
「表情も暗かったし、あんまり笑ったりもしてなかったし、変だなって思ってた」
笑ってなかったと言われても自分ではわからない。でもそうだったのだろう。
「それまでろくに話したこともなかったのに、急に声かけんのおかしいよなーとは思ったよ。だけど気晴らしになればいいなと思ってさ」
クラスの子に部活をやめたことを話していたのを聞きつけて、咄嗟に声をかけてしまったのだと嵐くんは言う。
「美月が調子崩しはじめたときの感じと、そのときのみぞれさんの様子がちょっと似てたから、こんな誘い方じゃ来てくんないかもしれないなって思っても言っちゃったんだよね」
確かに、戸惑った。全然理由もわからなくて、途中で帰ろうともした。
「だからみぞれさんがここに来てくれたとき、俺嬉しかったよ」
以上、みぞれさんに声をかけた理由でした。と真剣な話しに照れが出たのか、嵐くんはちょっとおどけて話をしめくくった。
先程まで耳や顔に集まっていた熱の全部が、目に宿る。
嵐くんのエプロンの裾をぎゅっと掴んだ。俯く視界はぼやけてよく見えない。
「……どうした?」
驚きつつも心配を含んだ声がふってくる。しゃくりあがる喉を必死でおさえて私は言葉をしぼり出した。
「嵐くん……ありがとう……」
ぽたぽたと、上履きに大粒の涙がこぼれていく。息をのむ音が頭上から聞こえてきた。
「料理部に誘ってくれて、ありがとう……」
ここに来て、みんなと出会って、みんなで料理をして、みんなと食事をして、みんなと話をして、どれだけ救われたことだろう。
どれだけのものが、いま、私のなかに詰まっているのだろう。
ねえ、私はどれだけ変わった?
どれだけ毎日ご飯を食べても、どんどん自分のなかが空っぽになっていくみたいだったのに、ここで食べるご飯は私の内側をめぐりめぐって作り変えていった。
私はもう、辛いからって、さみしいからって、自分から一人になろうとはしない。
「嵐くん、私のこと、見ててくれて……ありがとう……」
自分のこと気にしてくれていた人がいるなんて、思っていなかった。
お母さんもお父さんも、全然気づいていなかった、駄目になってく私のこと、気にかけて拾い上げようとしてくれた人がいたなんて、そんなことがあるなんて、思ったこともなかった。
「私、いま、すごく楽しいよ……毎日、ちゃんと、ちゃんと楽しい……」
学校に行くのも、楽しい。料理部がある日は一日ずっと放課後が楽しみだ。
お母さんもお父さんも、毎日ではないけれど夕飯の時間までに帰ってきてくれる日が、ちょっとだけ増えた。我儘だってわかってても、口にしてみたら、意外なことに二人から謝られた。
もう中学生なんだから大丈夫だろうなんて勝手に思ってごめんね。って、そう言われてしまうと自分の子どもっぽさが恥ずかしくもあったけれど、でも嬉しかった。
「嵐くんのおかげだよ……」
ずずっと鼻をすする。涙は止まらず次々と目から落ちていく。
泣き続ける私に呆れてしまったのか、嵐くんが自分のエプロンを掴む私の手を外した。強く掴んでしまっていたから皺になっている。
「あ、ごめん」
俯いていた顔をあげると、滲む視界のなか、やわらかく笑う彼の顔が見えた。
「俺のおかげ?」
嵐くんは、エプロンの裾から取った私の手をそのままぎゅっと握る。
「……うん」
頷くと、嵐くんは嬉しそうに破顔した。心からの喜びがいっぱいにあふれ出ているようだった。
まぶしくて瞬きをすると、目尻に残っていた涙が頬をつたっていく。
右手は繋いだままに、嵐くんがもう片方の手で私の涙をぬぐう。
彼の手は熱かった。ほんのすこしだけ震えてもいた。
どうしたんだろうと見上げると、まるでなにかに降参するみたいに、嵐くんはしょうがないなあって顔をしていた。
「俺、みぞれさんのことが好きだよ」
好きって、友達として? なんてそんな勘違いをする余地はなかった。
あんまりにも彼のそれは恋だったので。
「私……」
何かを言わなくてはと口を開くも、頭のなかがまとまってくれなくて、続く言葉が出てこない。
「待って、みぞれさん。まだ大丈夫だから」
「え?」
「返事、まだいいよ。本当はいま言う予定じゃなかったんだ」
「そうなんだ……」
いやそうなんだじゃないだろう私。そんな好意のうえに胡坐をかくみたいな真似はよくないはずだ。
「弱ってるところにつけこんでるみたいじゃん? だから、まだいいよ」
自分がいま冷静ではない自覚はある。でも本当にいいのだろうか。
「俺、待てるからさ。だからこれからもよろしく」
つい最近まで自分のことでいっぱいいっぱいだったから、今すぐ出せる答えは私のなかにはない。
けれどわかることもある。少なくとも私は人として嵐くんのことが好きだ。
なら、待ってみてもいいのかもしれない。待たせるのは申し訳ないけれど。
「うん、わかっ、」
「ええーーーーーーー!?」
すっとんきょうな声に入口に目を向けると、美月ちゃんと大樹くんの二人がかりで口をふさがれた雲雀ちゃんがいる。
「いつからいたの?」
「えっと、『俺、クラス一緒になる前からみぞれさんのこと知ってたんだよね』あたりから……」
申し訳なさそうに美月ちゃんが教えてくる。
ほぼほぼ話の最初からだ。泣いているのも全部見られていたのかと思うと、顔から火が出そうだ。
「ごめんなさいみぞれさん、お兄ちゃんも……」
「すんません……」
後輩二人が謝るなか口をふさがれた雲雀ちゃんはばたばたとあばれている。
「盗み聞きするような人間に育てた覚えはねえぞ雲雀……」
「私を育てたのはママたちで嵐くんじゃないでーす」
表情を無くした嵐くんが三人のもとに向かっていくと、するりと逃げ出した雲雀ちゃんが私のところまでやってくる。
「ねえ、みぞれちゃん」
「なに?」
そっと声を潜められたので近づくと、雲雀ちゃんが耳打ちしてくる。
「嵐くん、案外待たなくても良かったりする感じ?」
「――そうなのかな?」
「私にはそう見えるけど」
当人より第三者のほうが理解しているということがあるらしいけれど、この場合はどうなんだろう。
「余計なこと言うな雲雀」
「アシストしてあげてるんですう」
すぐに追いかけてきた嵐くんから、雲雀ちゃんはまたさささっと逃げていく。
そういうアニメのキャラクターみたいだ。
「ケーキまだ全然できてないからな」
「いいよ、みんなでつくろ」
そう言って雲雀ちゃんは、調理台に用意していた苺をひとつ摘みあげて口にいれた。
「あ、お前」
「つまみ食いは料理の醍醐味のひとつでしょー」
雲雀ちゃんは私の口にもひとつ苺をふくませてくる。
それはちょっと酸っぱくて、でも甘くて、とってもとっても美味しかった。




