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のみこむ、めぐる、わたしになる。  作者: ひわたしつばめ(旧:季子)


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6

 学校に行くのが、次の日ひどく億劫だった。

 昨日の今日で合わせる顔がないのに、嵐くんとはクラスメイトなのだ。一日中一緒なんて、すごく気まずい。

 けれど気まずくともそんなことで休むわけにもいかなかった。前に、ここの学費を調べたことがあるから。

 びっくりした。ゼロがいっぱい並んでいて、これって私のお小遣いの何倍の金額なんだろう、なんて思った。

 重苦しい気持ちを抱えながら教室に入ると、嵐くんはもう登校していた。席に着いて友達と話している。

 嵐くんと私の席は近くない。けれど彼の席は廊下側で私は窓側なので、席に着きたければどうしても彼の視界に入る位置を通り過ぎなければいけない。

 縮こまりながら自分の席に向かう。ちらりと嵐くんが目線をこちらに向けたのがわかった。心臓がどきりと跳ね上がる。何か言われるのではないかと身構えてしまう。

 息を詰めた私に、けれど嵐くんはただ反射でこちらを見てしまっただけとでもいうように自然に目をそらし、友達との会話に戻っていった。

 安心すると同時に、胸がちくりと痛んで自分に呆れる。私はもう失望されたんだ。自業自得のくせにそんなことを思う。

 次の日も、次の日も、嵐くんは私に何も言わなかった。でもこんなのは料理部に参加する前の関係性に戻っただけだ。そう思えばいい。そう思うしかない。

 料理部のグループラインの通知はきていたけど既読はつけなかった。

 グループから退会することもできたけれど、それはできなかった。中途半端だ、私は。

 料理部に参加するのを止めたら、楽しいや嬉しいがたくさん目減りしたので、家にいる時間は少し楽になった。

 休み時間に話す程度の友達は教室にもいる。だから毎日、普通に登校して、普通に授業を受けて、普通に給食を食べて、授業が終わればすぐに家に帰って、一人で夕飯を食べる。

 それで何か困ることがあるわけでもない。何も問題は起きない。

 だから多分これでいい。これでいいはずだ。

 いいはず、だよね?


 変化が訪れたのは休みを挟んだ週明けの月曜日だった。

 帰りのホームルームが終わって鞄を手に取って立ち上がった瞬間、彼女は私の目の前で仁王立ちした。

「迎えにきたよ!」

「……雲雀ちゃん」

 咄嗟に嵐くんの席の方を見たが、彼はもう教室にいなかった。

「嵐くんから、聞いた、よね? 私もう料理部には、」

「知りません! ほら行くよ」

 小さな雲雀ちゃんのどこにこんなパワーがあるんだろうという力強さで、彼女は私の手を掴んで引っ張っていく。

「ちょっと、雲雀ちゃ、ねえ、」

「今日はね、特別なんだあ。みぞれちゃんも好きだと思うな。でも着いてからのお楽しみね!」

 明るさはいつもと同じだけれど、人の気持ちに聡い雲雀ちゃんが帰りたがる私の気持ちに気づいていないわけない。私の手を握る彼女の力はとても強く、少し痛いくらいだ。

 こんな強引なの、らしくない。

「雲雀ちゃん! 止まって!」

 声が、階段に反響した。

 ようやく足を止めてくれこちらを振り返った雲雀ちゃんは、見たことのない真剣な顔をしていた。

「どうして行きたくないの?」

 いつも元気な彼女が静かになると、不思議な迫力がある。

「料理部の活動が嫌になった? 私のことが、私たちのことが嫌いになった?」

「ちがう……」

 みんながみんな、嫌になったのかと聞いてくる。嫌いになったんじゃなきゃ駄目なのかというくらいに、みんな同じことを聞く。

「そっか。じゃあ、行こう!」

 にぱっと笑うと、雲雀ちゃんはまた力強く手を引き階段をのぼりだした。

「雲雀ちゃん、待って、」

「嫌いになったんじゃないなら、離れちゃ駄目だよ」

 とてもフラットな声で言われ、繋がれた手に私が少し力を入れると、雲雀ちゃんはがらっと声を弾ませた。

「んー、そうだなあ。じゃあ理由をあげよう! あー、雲雀ちゃんは強引だなー、全然手を離してくれないなー、ひどいなー」

 ものすごく棒読みだった。状況も忘れて呆気にとられてしまう。

「え?」

「あー、どんどん連れて行かれちゃうなー、家庭科室にたどり着いちゃうなー、とってもとってもふかこーりょくだなー」

「えっと……、雲雀ちゃん?」

 振り向かないまま雲雀ちゃんはとっても自由な笑い声をあげた。

「ね? だから仕方ないでしょ?」

 喉から。

 私の、喉から。細く高い音がした。

 窓から差し込む西日が、痛いくらいに目につきささる。

 掴まれた手を振り払うなんてことはもうできなかった。私を連れて行くこの小さい手は強く温かい。

 自分から離すことは、できなかった。

「……雲雀ちゃんは、どうしてここまでしてくれるの」

「それはねえ――」

「ごめんなさい、駄目なんです」

 雲雀ちゃんの言葉をさえぎり耳に飛び込んできたのは、申し訳なさのなかに明確な拒絶を含んだ声だった。

 聞き覚えのあるそれは、上から聞こえてきた。

 雲雀ちゃんと顔を見合わせて急いで階段をのぼって踊り場まで来ると、そこには美月ちゃんと、どうしてか高等部の制服を着た男子生徒がいた。

「ばれなきゃいいんじゃん? ネットに写真あげたりしないからさ」

「事務所から駄目だって言われてるんです、本当にごめんなさい」

 聞こえてきた会話から状況は察せられた。

 美月ちゃんが中等部に入学してきたばかりの頃に時折見かけたやり取りだ。

 一緒に写真を撮ってほしい、サインを書いてほしい、ダンス動画に参加してほしい。

 それは好意からのお願いであることがほとんどだったけれど、かといって際限なくこたえるわけにもいかない。

 先生からやんわりと嬉しいのは分かるけど同じ学校の生徒として、学校生活を尊重しましょうね。と言われたこともあって、今は中等部の生徒は美月ちゃんにそういったことを頼む人はほとんどいない。

「大丈夫だって、俺口堅いし」

 美月ちゃんはこういうとき、強く突っぱねることは立場上難しい。

 私たちだったら簡単にできることでも、美月ちゃんがやれば大事になることが多分色々ある。

 頼まれごとを断るということはその一つで、強く拒絶すれば強い悪意で言いふらされる恐れがある。

「中等部の校舎になんて用事なきゃ来ないし、有名人にこんな偶然会えることなんてなかなかないじゃん? 連絡先教えてとまでは言ってないんだから頼むよ」

 そう言うと高等部の先輩は美月ちゃんに一歩近づいた。彼女の肩が、竦むのが見えた。

 飛びつくように私はそんな彼女の腕を取った。考える前に動いていた。

「美月ちゃん! 探したよ、先生待ってるよ!」

「みぞれさん……」

 誰なのか存在を認識した瞬間に、美月ちゃんがほっとしたのがわかった。

「そうそうそう! 遅いって怒られちゃうよ」

 彼女の反対側の腕を雲雀ちゃんが組む。私たちに挟まれて美月ちゃんが淡く笑むのが見えた。

「ええと、高等部の先輩……ですよね?」

 よくわからないままでも頷いてくれたが、私たちが急に勢いよく現れたことに先輩は面食らったようでぽかんとしている。

 なら驚いている今のうちにこの場を立ち去ったほうがいいと、二人で美月ちゃんの腕を引っ張った。

「ごめんなさい、私たち先生に呼ばれてていますぐ行かなきゃいけないんです」

 上がってきた階段を数段下りる。そのままぱぱっとここから離れようと思ったけれど、ふと考えが頭をよぎって後ろを振り返った。

「高等部の人は知らないかもしれないですけど、私たち先生から言われてるんですよ」

「え、なに?」

 多分この人は、そんなに嫌な人ではない。でも一応。

「あんまりミーハーなことをすると、内申点が下がるぞって」

「まじ?」

 勿論嘘だ。知らない男の先輩に嘘をついたことなんてないから、緊張で心臓が口から飛び出そうだった。

 ばれないようににこっと笑う。失礼します! と元気に言ってその勢いのまま三階まで下りて逆側の階段まで廊下を突っ切った。さすがにここまで追いかけてはこないだろう。

 安堵から思わずふーっと息がもれる。緊張を逃がすために胸元を押さえると、鼓動がものすごくはやかった。

「みぞれちゃんって、変」

「え?」

 美月ちゃんに掴まったままこちらをのぞき込んで雲雀ちゃんは言った。

 直球な言葉に顔をこわばらせると、雲雀ちゃんは否定のために両手をぶんぶん振った。

「悪い意味じゃないよ。なんでって思うけど、でも、いいと思う。みぞれちゃんって素敵に変だね!」

「どういたしまして……?」

 これが褒められているのかはだいぶ疑問だが、雲雀ちゃんはそういった意地悪を言う子ではない。

「わかるよ雲雀ちゃん。やっぱりみぞれさんって素敵です」

 二人ともありがとうございます。そう続けた美月ちゃんの顔に暗い色はなくて安心する。

 そして私たちはそのまま逆側の階段から四階に上がり、三人で第二家庭科室に向かった。

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