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のみこむ、めぐる、わたしになる。  作者: ひわたしつばめ(旧:季子)


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5

 夜の静かさは知らない生き物の寝息のようだ。ささやかに聞こえる穏やかさと怖さがきっと似ている。

 そんなことをぼんやりと考えてしまったのは、眠気のせいだろうか。

 時計の秒針の音が、リビングにかちこち響いている。

 朝の静かさと、夜の静かさは何かが違っていて、夜に聞く時計のかちこち進み続ける音はどこか不安をかきたてる。

 いつもならもう寝ているはずの時間。テレビをつけてしまうとその賑やかさは自分をごまかす種になってしまう気がしてつけられなかった。

「ただいま……あなた今日出張って……」

 お母さんが帰ってきたのは、夜の十一時をまわった頃だった。

 明日も学校があるのに私が起きているとは思わなかったみたいだ。

 こんな遅くまで仕事をしているんだということが、知っていたのに改めて胸に重くのしかかる。

「みぞれ?」

 リビングのソファに座る私を見つけると、お母さんは目を丸くした。

「おかえりなさい」

「こんな時間まで起きてたの? 早く寝なさい」

「すぐ寝るよ、でも……」

 なにかをしなければいけないと思った。そうしないと、彼らと一緒にいてどんどん気後れしていってしまうと。

「あのね――」

 本当は、自分の気持ちなんて、よくわかってないくせに。


 次の料理部の活動日には、美月ちゃんの姿があった。

 嵐くんから聞き出した美月ちゃんの好きな餃子をみんなでせっせと作ってとても楽しかった。

 餃子の皮を閉じるとき水でくっつくなんて知らなくて面白かった。

 よじよじとひだを作るのが私はあんまり上手にできなくて、不格好で笑ってしまった。

 ちっちゃい頃から家族みんなで作っていたという嵐くんと美月ちゃん、それに家の手伝いでたまにやっていたという大樹くんはとっても上手で感心した。

 雲雀ちゃんはコミュニケーションは上手だけど、物を作ることにたいしては不器用みたいで、二回りくらい大きい餃子やひだが芸術的な餃子を作っていた。

 嵐くんが雲雀ちゃんをからかって、でも雲雀ちゃんも言われっぱなしではないから言い返して、賑やかで、楽しくて、料理を作るのは思っていたよりもずっと面白くて、料理部のみんなのことが今はもうとても好きで、そして餃子は。

 味が、あんまりしなかった。

 でもそのことを、私は考えようとはしなかった。だって、毎日家で食べる夕飯だってそうだから。

 疑問も持たなかった。多分、おかしいのだろうけど。でもこれが日常になってしまっていたから。

 そして、今日。

 なかなか明けない梅雨にうんざりしながら、でも料理部の活動は楽しみで私は四階の第二家庭科室に向かった。もう慣れた足取りで、ただ普通に。

 家庭科室の前まで来ると、なかから雲雀ちゃんと大樹くんが楽しそうに話している声がうっすら聞こえてきた。

 珍しい組み合わせだ。一体なんの話で盛り上がっているのだろう。

 はやくあの中に混ざりたい。そう思った瞬間だった。

 家庭科室の扉を開けるために持ち上げた手が、ぴたりと止まった。

 急速に、なんの脈絡もなく、動けなくなってしまった。

「みぞれさん?」

 息を止めたままふり向く。扉の前で立ち尽くす私を見て、不思議そうに嵐くんが首を傾げている。

「どうした? 入らないの?」

 細く細く、細く息を吐いた。心臓がうるさい。ぐらりと視界が揺れた気がした。

「私、もう来ない」

「来ない?」

 何に? とでも言いたげな視線から目をそらし、今度は伝わるようにはっきりと口にする。

「料理部、もう参加できない」

「いや、は? そんな急に……」

 文句を口にされると思ったのに、嵐くんは言いかけた言葉をぴたりと止めた。

「何かあった?」

 心配そうな彼の顔に、罪悪感が胸に突き刺さる。

 きっといま嵐くんの頭のなかをよぎったのはお母さんのことだ。

「何かあったとかじゃ、なくて……」

「ならなんで」

 なんで? そんなの、私が一番私に思ってる。

「誰かに何か言われた?」

 否定のためにふるふると首を振る。誰にも何もされていない。

 首を動かすだけで説明はしようとしない私に、弱ったように嵐くんは眉間にしわを寄せる。

「もうみぞれさんの分の食材も買っちゃってるからさ、今日のところは参加してよ」

「私の分は、大樹くんにあげて」

 一人分多く食べるくらい彼ならどうってことないはずだ。

「……本当は嫌々参加してた、とか? だったらごめんな」

「嫌々なんかじゃない」

 謝罪にかぶるはやさで言うと、嵐くんはますます不可解な顔をした。

「料理部の活動は、楽しかった」

「じゃあなんで」

「楽しいから、駄目なの」

 料理部の活動は楽しい。本当だ。包丁を使うのも何をするにしてもまだ下手だけれど、本当に楽しい。

 みんなのことも好きだ。自分を持ってて、優しくて、尊敬してる。気恥かしくて、そこまでは面と向かっては言えないけれど。

 楽しい。ここにいたい。週に一、二回より、もっと多くここに来たいと思ってしまう。

 でも、だから駄目だ。

 ここは楽しくて、あたたかくて、だから家に帰るのが苦しくなってしまう。

 ひとりぼっちで家にいる時間に、堪えられなくなる。ああもう無理だって、どうしようもなさで心がぺしゃんこになって、もう駄目で。

 私って、馬鹿だ。そんなことに今更気づいた。

 最初からちゃんと自分の気持ちがわかっていれば、ここに来たりはしなかったのに。

「意味わかんないんだけど」

 でもこんな気持ち、口にはできない。

 両親がいて、ちゃんとご飯は作ってもらってて、他の家事もしてもらってて、決して学費が安いわけではない私立の学校に通わせてもらっていて、それでも。

 それでも不満があるだなんて、自分よりずっと頑張っている人に向けては言えない。

「来たくないから来たくないんだよ! もういいでしょう、他の子でも誘いなよ!」

「他のやつなんか誘わねえよ!」

 強い感情をぶつけられたことに身体がびくりと震える。

「なになにどうしたの」

 騒ぎが聞こえたのだろう。驚いた様子の雲雀ちゃんと大樹くんが家庭科室から廊下に出てきた。

「よくわかんないけど、嵐くんストップ。女の子怒鳴るなんてらしくないよ」

 落ち着いた調子で雲雀ちゃんが言うと、感情を抑えるように嵐くんは額を手で抑えた。

「ごめん、みぞれさん。怖かったよな」

「嵐くんが謝ることじゃないよ、私が……」

 一体、自分は何をしているんだろう。優しくしてもらったくせに、こんな風に自分勝手さを押しつけて迷惑をかけて。

「なんでみんな廊下にいるの?」

 声のしたほうを向くと美月ちゃんが困惑した様子で立ち尽くしていた。

「えっと、何か、あった……?」

 口論は聞こえていなくても、普段と違う雰囲気が漂っているのを察したのだろう。

「ごめん。私、今日は帰る」

 美月ちゃんの登場で意識が逸れた嵐くんの横をするりと抜け、階段に向かう。

「待っ……、みぞれちゃん!」

 背中にかかる雲雀ちゃんの声を振り切るように走り出した。

 喉が焼けるような熱さで痛む。心臓がばくばくと鳴っていてうるさい。気持ちが身体の動きを追い越してしまいそう。

 階段から足を踏み外してしまわなかったのが不思議なほどに、闇雲に四階から一階までかけおりる。

 下駄箱が見えるところまで来てやっと後ろを振り返ったが、誰も追いかけては来ていないようで安心した。

 だがそんな風に後ろを見ながら歩いていたせいだろう。

「ごめんなさい!」

 近くにいた人に気づかずにぶつかってしまった。

 咄嗟に謝って、けれど相手が誰だったのを確認した途端、自分の顔がこわばるのがわかった。

「こっちこそごめんなさ……。みぞれ……」

「裕子」

 どうして、よりにもよってこんなときに。

 こんなにも余裕がないときに会ってしまうんだろう。

 内臓がすうっと冷えていく。

 裕子に対してじゃない。自分の嫌な部分をたて続けに見せつけられているようで、ぎゅっと胃が縮こまる。

 いま逃げているように、私はテニス部も辞めている。

 二年の終わり頃の、私。

 集中力が落ちてて、成績が下がっていた。それは裕子にも伝えた言い訳。

 でもそれだけじゃない。

 勉強だけではなく、部活にも身が入らなくて、ミスが増えていて、いまの自分では試合に勝てる気がしなくて、ダブルスを組んでいるのが申し訳なくなって、自分が辞めれば部活にちゃんと集中できる誰かと裕子は組めるんじゃないかと思って、辞めてしまった。

 裕子の、ために。

 そう思った瞬間に、それを理由に思えた自分を嘲笑ってしまう。本当にそうなら良かったのに。自分がそんな人間なら良かったのに。

 私は、誰かのためになんて綺麗さで動ける人間じゃない。

 だって、一番の、理由は。

「…………あー、もう!」

 そうやって感情を吐き出してから、すうっと息を吸って裕子は私はひたりと見据えた。

「なにかあった?」

 まさか、そんなことを聞いてくれるなんて思ってもいなかったから面食らってしまう。

「……なにもないよ。ちょっと……、急いでただけ」

 咄嗟にとりつくろうとした私の発言を聞いた裕子は、口をへの字に曲げた。

「じゃあ普通の顔して」

「え?」

 ぶすっとした顔のまま彼女は言う。

「なにかあったって顔をしながら、なにもないって言うのやめて」

 呆然としたまま自分の顔に触れる。

 私は一体どんな顔をしている?

「部活辞めるちょっと前も、辞めてからも、みぞれはいつもそう」

 いっぱいに詰め込まれた憤りを裕子が吐き出す。

「なんで言わないの? なんで言ってくれないの?」

 高ぶった感情が彼女の目元に涙を滲ませている。

「私には頼れない? 相談はできない? 愚痴も言えない?」

「そういうわけじゃ……」

 そうじゃない。言えなかったわけじゃない。自分の気持ちのはずなのにわからなかっただけだ。

 わからなかったから何も言えなかった。なのにわからないままにふらりと行動だけはしてしまった。

 自分のことがちゃんと全部わかって、ちゃんと全部わかった状態でだけ行動できればいいのに、なんでそうはできないんだろう。

「私、悲しかったよ。怒ってたけど、怒ってるけど、でもそれよりずっと、なんで? って悲しかった」

「………………ごめん」 

「私、次の試合シングルで出るの。見にきてよ」

 裕子は私の返事を待たずに立ち去って行った。

「ごめん、裕子」

 誰もいない昇降口に私の情けない声が響く。

 みんな、すごい。

 すごくないのは私だけだ。

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