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するするとピーラーで人参の皮をむいていく。
調理実習でも何度か使ったことはあったが、ピーラーを発明した人は天才だと思う。
だって皮だけを薄くむくなんてことやるには難しすぎるし、慣れてからだって面倒だと思うのだ。
「むき終わったらそのまま人参切ってくれるか?」
今日は二度目の参加になる料理部の活動日だ。
料理部は週に一、二回。みんなの予定が合うときに活動しているようで、グループラインで主に美月ちゃんの予定が出次第で活動日が決まっていく。
何を作るかについても同時に話し合っているようで、今回はカレーライスを作ることになった。
「わかった」
私が人参の皮をむいている隙に、それ以外の具材をみんなはさくさく準備している。
「これ使って」
ごそごそと荷物をあさった嵐くんが見せてきたのは、サイズがあっていない入れ物にいれられた包丁だった。
持ち手の部分がポップな黄色になっているそれは、見るからに子ども向けという感じだ。
「俺と美月が使ってたやつ。最近もう使われないまま台所にいるだけだから、みぞれさん良かったら使ってよ」
「うわなつかしい、お兄ちゃんこれまだ取っておいてたんだ」
「別に壊れたわけでもなかったし捨てるタイミングがなかったからな。まあそんな感じだから、みぞれさん気兼ねなく使っちゃってよ」
「………………ありがとう」
小学生と同レベルだと思われてるんだという情けなさはのみこんだ。
「それ子ども用のやつの中でも、一番お姉さんお兄さん用のやつだから!」
思っていたことが顔に出ていたのか、咄嗟に嵐くんがフォローをいれてくれる。それがフォローになっているのかはともかくとして。
「みぞれさん、猫の手な猫の手」
前回の包丁の使い方によっぽど衝撃を受けたのか、嵐くんはずっとはらはらしながら私の手元を見ている。
「わかってるよ。……ちょっと練習したし大丈夫」
使っていい食材がどれなのかわからなかったから、包丁をまな板に当てているだけのエア練習だったけれど。
とん、とん、と慎重に包丁を動かして人参を乱切りというものにしていく。
「おお……! 本当に成長してる」
大きさはバラバラで不格好だったけれど、まっすぐにほめられて悪い気はしない。
「のびしろしかないね! すぐ上手になるよ、みぞれちゃん」
「そうかな」
嵐くんも雲雀ちゃんも、怪我をしないか心配はしても、一度だって私が包丁も満足に扱えないことを笑ったりしないのでここでは気楽に下手な自分のままチャレンジができる。
「炒めるんで人参もらってきますね」
まな板を持ち上げた大樹くんは、コンロに火をつけ鍋に油をひくと、じゃがいも、人参、豚肉を入れていく。
木のヘラの動きとともに、じゅうじゅうと音がして湯気があがる。
「そういえばルーは中辛と甘口まぜる予定なんだけど、みぞれちゃん辛いの駄目だったりする?」
「中辛くらいなら大丈夫だよ」
家のカレーも多分それくらいだ。小学校の頃はお母さんが料理をしている周りをうろちょろしていることがあって、そのときに使われていたのも中辛のルーだったのを覚えている。
「大丈夫だってぇ、嵐くーん」
妙に意味深に抑揚をつけて雲雀ちゃんが言った。
「おいやめろ」
文句は言っても怒ったりしない嵐くんが、顔をしかめて低い声を出したのに私は驚いたが、雲雀ちゃんは平然としている。
「あのねえみぞれちゃん。嵐くんって辛口食べられないんだよお」
「……甘党なの?」
ちょっと意外だ。でもなんだか可愛いなとも思ってしまった。
「いや……、辛いのがあんま得意じゃないだけ」
もごもごと言いにくそうにしているのは恥ずかしいからだろう。
「そっか。私、トマト苦手なんだよね。使うときある?」
アレルギーがあるかは早々に聞かれていたけれど、好き嫌いについても話しておいたほうがいいだろう。
そう思い尋ねると、嵐くんは、ぽかんと口を開けた。その状態のまま力の入ってない声で彼は言う。
「使える時間的に料理部だと簡単な主食しか作らないからあんま使わないかな……。なんで苦手なんだ?」
最後はいつもの調子に戻っていたけれど、いつもしっかりしている彼にしては珍しい感じだ。
嵐くんも普通に中学生なんだなあ、なんて本人には言えないようなお姉さんぶったことを思ってしまう。
「なんか食感が好きじゃなくてさ。食べたときに、ぶにゅってなるじゃない?」
トマトってなんであんな不安定な中身をしているのだろう。ケチャップは好きなのに、生のトマトはちっちゃい頃からずっと苦手なままだ。
「じゃあケチャップは大丈夫な感じ? オムライスとか」
「オムライスは好き」
作る予定でもあったのだろうか。定番の洋食メニューはだいたい好きなので楽しみだ。
「私はだいたいなんでも食べられるけど、セロリだけは苦手だなー」
「セロリは使うことある?」
そもそもセロリを使った料理とは何があるのかわからなかったので、嵐くんに話を投げる。
「ない」
しれっと会話に混ざってきた雲雀ちゃんを、嵐くんは腕を組みすわった目で見た。
「雲雀、なんか言うことあるだろ」
「からかってごめんなさい」
素直にぺこりと頭を下げた雲雀ちゃんだったが、すぐあげられた顔の笑みは抑えられていなかった。
それを見た嵐くんは、こめかみに青筋をたてている。
「まあまあ落ち着いて」
どうしたものかと焦っていると、なだめるように美月ちゃんが二人の間に入った。
「でもさあ、お兄ちゃんって弱点少ないから、からかえるチャンスを見つけた雲雀ちゃんがそうしたくなるのもわかるよ」
「そう! そうなの、さすが美月ちゃんはよくわかってるなー」
力説してから「それに」と雲雀ちゃんは続ける。
「いつもはここまで怒んないじゃん」
「そうなの?」
「そうだよお。嵐くんさあ、みぞれちゃんに……」
何か言いかけた瞬間、がしりと雲雀ちゃんの顔が嵐くんの手で掴まれた。
「痛い痛い痛い痛い痛い」
ぎりぎりと指の力が入れられているみたいだったが、雲雀ちゃんが叫び出すと手はすぐに離される。
「かっこつけー」
「うっせ」
照れ隠しなのかなんなのか嵐くんが言い捨てると、お玉をせっせと動かしている大樹くんから笑い声があがった。
「嵐先輩はかっこつけじゃなくて、かっこいいんすよ雲雀先輩」
玉ねぎも炒め終わった大樹くんは、鍋に水をいれ火にかけながらあく取りをしている。
「大樹くんアク抜き交代するよ」
「ありがと柳井」
大樹くんからお玉を受け取ると、美月ちゃんは全員に向けて笑いかけた。
「いつも下準備とかやってもらってるし、あとは私やるからみんなは休んでていいよ」
「ありがとう」
丸椅子を引っ張って各々座ると、ほのぼのとした空気が流れる。
ちなみにスミレさんは先生の席のところに座って、私たちのことを見守っている。私たちでできる範囲のことには、口も手も出さない方針らしい。
「みぞれちゃんちょっと慣れた?」
「人参一本切るだけにめちゃめちゃ時間かかっちゃうけど、この前よりは慣れたかな」
料理に対して、というよりもこの場所にいることに慣れたという方が正しいかもしれない。
「そりゃよかった」
嵐くんに雲雀ちゃん、美月ちゃんに大樹くんも、受け入れてくれているのがわかるので、関わるようになったのはついこの前のことなのにここは妙に居心地がいい。
「……そういえば料理部はいつから活動してるの?」
「去年の、夏頃からはじめたからそろそろ一年ってところかな」
「よくこれまでばれなかったね」
人が集まってたら誰かしらに見られることもあるだろう。それにやっぱり美月ちゃんはどこにいても目立つのだ。
「みぞれさん四階に来ようとしたことあった?」
「……ない」
「そういうこと」
初めてここに来たとき、四階の切り取られたような静かさに怖さを感じたことを思い出す。
例えば吹奏楽部の子が練習場所を探しに来たとしても、なんとなく避けたくなり立ち去るだろう。
「最初から、今の四人でやってたの?」
「いや俺は途中から参加しました。秋くらいからかな?」
嵐くん美月ちゃんと雲雀ちゃんが昔からの顔見知りだというのはこの前教えてもらったけれど、大樹くんとも元々友達だったのだろうか。
「大樹くんは美月ちゃんたちと小学校も一緒だったの?」
「いや違いますよ。柳井のことは目立つし元々知ってはいたけど、話すようになったのはそれこそみぞれ先輩と同じで料理部に混ざるようになってからです」
「え? じゃあなんで……、嵐くんに声をかけられたとか?」
御園井学園は中等部一年のときに、何かしらの部活に一度は所属しなくてはならない。
嵐くんは今は他の部活に所属していないはずだけれど、前に入っていた部活で大樹くんと関わりがあったのかもしれない。
「俺は嵐先輩じゃないっす。母さんと柳井が顔見知りだったんすよ」
「お世話になりました」
あく取りをしながら美月ちゃんが頭を下げる。
「俺は何もしてないけど、どういたしまして」
美月ちゃんと顔見知りということは、大樹くんのお母さんは芸能関係の仕事をしているのだろうか。
「それでちょっと柳井と話したときにちょろっと愚痴こぼしたら、じゃあ料理部の活動来ないかって誘われたんですよね」
「愚痴?」
当時のことを思い出したのか、少し渋い顔をしながら大樹くんが言う。
「うち、兄弟多いんすよ。飯とかまじ争奪戦で、足んないんですよね。なのでここで一食分もらえるのまじ助かってるんすよ」
「そうなんだ、何人兄弟?」
「男だけの五人兄弟です」
「いっぱいだね……」
それはさぞかしにぎやかなお家だろう。そして小さい頃はお母さんが大変そうだ。
「一番上はもう大学生なんで家にいないですけどね。高校卒業したらすぐ家から追い出されましたし」
両親いわく社会勉強のためとのことだったらしいが、実際は図体のでかい男を一人でも減らそうという魂胆だろうと大樹くんはからから笑いながら言った。
「俺は四男っす。二番目と三番目は双子で今高校二年生。そんで一番下は小学六年生ですね」
双子の兄が暴君で、下はまだ子どもだし、肩身狭いんすよ。と大樹くんは嘆いたけれど、兄弟のいない私からするとその悩みもちょっと羨ましい。
「だから食い物は自力で調達するしかないんですよね。量を食べたいなら自分で作るのが一番っす。まじ助かってます」
「なるほど」
切実な言い様から大変なことは伝わったが、やっぱり羨ましい。
そしてふと、みんなの兄弟事情も聞いてみたくなる。
「嵐くんと美月ちゃんは二人兄妹、だよね?」
「そうですね」
「雲雀ちゃんは?」
「私は一人っ子だよ。って言っても、嵐くんと美月ちゃんがいたけど。みぞれちゃんは?」
「私も一人っ子。……だからちょっと羨ましいかも、兄弟がいるって」
そうこぼすと、大樹くんが眉根を寄せる。
「えー、全然あれですよ。良い兄ちゃんじゃないですよ、うちのは。俺の飯とか勝手に食うし」
「でも、一人より楽しそう。いいなあ」
羨望が混ざりすぎてしまったせいだろうか、私のその一言で、しんと場が静まってしまった。
思わず口にしてしまったことを後悔する。
「みぞれさんは、雲雀みたいなのいないの?」
嵐くんが言う雲雀みたいなのというのは、幼馴染という意味だろう。
「うち私が中学にあがるのに合わせて引っ越ししたんだ。だから今の家の近所に友達っていなくて……」
裕子とは仲が良かったけれど、家は反対方面だった。テニス部の子もクラスで話しをする子も、最寄りの駅がそもそも別だったりと近所の子はいなかった。
「前に住んでた家の近くの友達は、学校も別だからもうあんまり会ってないんだよね」
お父さんとお母さんは念願のマイホームを喜んでいたから言えなかったけれど、友達と離れるのは嫌だった。
「みぞれちゃんのお家ってどこらへん?」
「一丁目あたり」
御園井に通う子は電車やバスを使う子もいるけれど、私は徒歩通学だ。六年間通うからとそれも考慮して今の家に住むことに決まった。
「お、じゃあそんなに遠くないね。私らのマンション四丁目にあるんだよ」
一丁目から三丁目までは、だいたい歩いて十五分くらいの距離だ。
「これからはさ、暇してたらうちにおいでよ。おまけで隣に嵐くんや美月ちゃんもいるよ」
雲雀ちゃんは両手で私の手をぎゅっと握った。
「ありがとう……」
多分実現はしないだろうな、なんてことを思ってしまうけれど、それでも嬉しかった。
「俺ん家は三丁目なんでまあまあ近くはあるんですけど、女の子が来たら上の二人がやかましいどころじゃないんで嵐先輩のとこ行くときに便乗します!」
飯作ってもらえそうな気がするんで! と、続けられた大樹くんの言葉につい吹き出してしまう。
「さっきの嵐先輩はかっこいいはなんだったんだよ」
飯作ってもらうためにおだてたのか? なんて嵐くんは呆れている。
「料理できる男はかっこいいじゃないっすか」
「じゃあ大樹もできるじゃん」
「俺は凝ったやつ無理なんで」
一般的な中学生男子にしては嵐くんも大樹くんも料理ができるほうだと思うが、本人的にはまだまだらしい。
「はいはい料理男子勝負はそこらへんにしてね。お兄ちゃんルー入れて」
美月ちゃんに言われるまま、嵐くんは甘口と辛口をそれぞれ取り出して鍋に入れていく。
「この中で一番味にこだわるのこの人だから、本人にやらせてるの」
疑問が顔に出ていたのか、美月ちゃんが解説してくれる。
「あと一回雲雀に任せて痛い目にあったからな」
美月ちゃんと交代して鍋をかき回す嵐くんは、何かを思い出したのか遠い目をしていた。
「ちょっと間違えただけじゃん……」
「俺は塩味のケーキは二度と食べたくない」
どうやら塩と砂糖を間違えてしまったらしい。ベタだ。
「小学生のときの話じゃん……!」
美月ちゃんが教えてくれたところによると、小学三年生のときに嵐くんの誕生日ケーキを一緒に作ったときの出来事だそうだ。
誕生日なのに本人も一緒に作るのが不思議だったが、仲間外れになるのが嫌だったらしく昔からそうしているらしい。
「そうな、昔の話だな、お前が小さじ一杯の分量を大さじで投入しようとしたのは先月の話だけどな」
事実なのか、しれっと言われたことに反論できず雲雀ちゃんは振りあげたこぶしをそっとおろしていた。
「さー、カレーもできたことだしご飯よそうねー」
そそくさと雲雀ちゃんは炊飯器をあける。ふわっと炊きたてのご飯の匂いがして、くうっとお腹から音がした。
「俺、大盛りでお願いします」
「はいはい。みぞれちゃんは? 自分でやる?」
「お願いしようかな。雲雀ちゃんと同じくらいの量で大丈夫だよ」
見た限りこの前は同じくらいの量を食べていた。
「おっけー、はいどうぞ」
「ありがとう」
受け取ったカレー皿を持って鍋に向かうと、嵐くんがそのままカレーをかけてくれた。
「足りなくね? もっと食べていいよ」
皿のうえのお米の量を見てそう言われたが、盛られているお米はちゃんと一人前の量だ。
大樹くんが持っている皿には漫画みたいな盛られ方をしたお米がのっているが、さすがにあんな量は食べ切れない。
「うどんのときもうちょっと食べてなかったっけ?」
「この間はちょっと食べすぎちゃっただけだから」
前回海老の天ぷらをおかわりしていたのを覚えられてのかと思うと、ちょっと気恥ずかしい。
準備ができたらみんなで一斉に手を合わせる。
「いただきます」
不揃いだった人参は、けれどちゃんと煮られてやわらかくなっていてほくほくと美味しかった。




