2
雷にうたれるようにして急速にそれに気づいたのは、次の日教室にたどり着いたその瞬間だった。
「おはよ、みぞれさん」
いつも通り登校して、いつも通り自分の席につこうとしたその瞬間、昨日とは違うことが起こった。
嵐くんがそれを口にしたとき、クラスの女の子の目がこちらに向いた。
わざわざ名指しで挨拶をするなんてこと、これまで嵐くんが他の女子にしたことなどないのだ。
「ちょ、ちょっと来て柳井くん……!」
ぞわりと嫌な予感がして、慌てて彼を急き立てる。
「嵐でいいって言……」
「いいから来て!」
まったくもってわかってない彼を引きずるように教室から連れ出した。
人目がないところでと周りをきょろきょろしながら歩いていると、自然と四階と屋上の間にある踊り場までたどり着いた。
ホームルームがはじまるまでそう時間に余裕があるわけでもない。はやく話をまとめなければ。
「嵐くんは、自分の顔が良い自覚はある……?」
そう思い、単刀直入に口にすると嵐くんは眉間に思い切り皺を寄せた。
「なにそれ罠?」
「え?」
どうして罠なんて発想になるのだ。こっちは真剣なんだから変なことを言わないでほしい。
「え? いやだってそれ肯定したら俺すっげえ恥ずかしいやつじゃない?」
一般的にはそうかもしれないが、無自覚なせいで周囲で問題が起きるくらいならちゃんと自覚しておいてほしいものだ。
「それに俺、別にモテたりもしてないし……ほどほどに普通なんじゃね……?」
ごにょごにょと続けるから、ついため息が出てしまう。
「嵐くんさ、一年の頃に何人かの女子に告白されたよね?」
「なんで知ってんの?」
驚きから丸くなった目は、いつもより美月ちゃんに似ていた。
「なんでって、男子だって誰が付き合ったとか別れたとか告白したとか振られたとか知ってるでしょ?」
「いや俺は知らないけど……」
「………………それで、嵐くんが女子を振った話だけど」
スルーすると嵐くんが「え? 無視した?」と訴えてきたが気にしないことにした。
「告白しても絶対に振られるってわかってたら挑まないよね?」
「人によるんじゃ……」
「それは嵐くんだからでしょ」
「俺だって振られることはあるって……多分……」
多分というからにはこれまでにはなかったということだ。
「まず私の話を聞いてもらえるかな?」
「はい」
素直に大人しくなるところは女兄弟がいる男の子らしい。
「一年の頃は全員望みもなくきっちり振って、しかも二年になったら美月ちゃんが入学してきたわけでしょう」
「美月がなに?」
「子役でモデルでSNSのフォロワーが十万人もいて、それでもって勿論美少女の妹がいるって知ったんだよ」
「だから?」
「これは無理だなって思うでしょ」
私は二人が兄妹であることを知らなかったけれど、嵐くんに片思いをしてた子なら当然知っていただろう。
どうりで二年になってからは、表立ってさわいでいる子を見かけなくなったわけだ。
今更ながら大いに納得する。
「関係なくねえ? 俺は俺だし、美月は美月だろ」
「美月ちゃんの顔を見慣れてる人に告白をするのはハードルが高いって話!」
「ええ……?」
「だからもう嵐くんのこといいなって思ってる子も行動できなくなっちゃってるの。でもいいなとは思ってるの!」
むしろ行動できないからこそふつふつと燃え上がっている子もいるだろう。むしろそっちのほうが怖い。嵐くんとこうやって話しているのを知られたら、どう考えてもまずい。
「なんかよくわかんねえけど。……じゃあみぞれさんは?」
「私?」
「みぞれさんは俺のことどう思ってるの?」
どう? 何が? いいなって思ってるかどうかってこと?
「どうって……」
もしもここでいいなって言ったりしたらそれ告白じゃない? え、罠?
罠返し?
「思ってたよりもずっと面倒見の良い人……?」
混乱したままに正直な気持ちを口に出すと、嵐くんはぶはっと吹き出すように笑った。
「そりゃどうも」
おかしそうに笑う声は止まらず続いた。
「からかった……?」
じとりと恨めし気に見つめると、嵐くんは笑いを止めた。
「からかってないからかってない。昨日までのみぞれさんの中の俺はなんか良い人だったのが、一日で面倒見の良い人にイメージ変わったんだなーと思っただけ」
そういえば昨日彼が良い人なのは知っていると、雲雀ちゃんに向かって言ったのだった。
「だってそうだったでしょう」
馬鹿にせず包丁の使い方を教えてくれたし、美月ちゃんと一緒にいるときは終始お兄ちゃんって感じだった。
「おお……」
「なんで今度は照れるの?」
まったくもって基準がわからない。
口元を右手で隠した彼の顔は、昨日のようにまたちょっとだけ赤くなっていた。
「いや、うん、えーと、で、結局俺はなんでここまで連れて来られたの?」
ここまで話しても首を傾げてくるから、さっきよりも長々とため息をついてしまう。
「だから、嵐くんと私が必要以上に話してるのを女子に見られたらよくないってことを言いたいの」
「そうかあ?」
「よ、く、な、い、の! 嵐くん基本的に男子としか一緒にいないのに、急に私と話すようになったら目立つでしょ!」
事実さっきだって嵐くんが挨拶をしてきたとき、女子からの視線が突き刺さって痛かった。
「別にたまたま気が合うのがいつもいるやつらなだけで、女子とだって話すけどな。雲雀とか」
「でも二人が話してるの見たことなかったよ?」
雲雀ちゃんと同じクラスだった二年のときだって、二人が並んでいる姿すら見たこともない。
「そ…………。ん? そういや学校だと放課後くらいしか話すことないかも」
「それ! 私ともそれでお願いします」
勢い込んで言うと、制止するようにてのひらがこちらに向けられる。
「いや雲雀とわざわざ学校でまで話さなかったのは、話すタイミングが他にあったってだけで狙ってそうしてたってわけじゃないから」
「他? ああ、料理部の活動のとき?」
そういえば料理部はどれくらいの頻度で活動しているのだろうか。
次もおいでとは言ってもらったけれど、詳しいことはまだ聞いていなかった。
「それもだけど。俺ん家と雲雀ん家、同じマンションで家が隣なんだよ」
「そうなの? え、なんかすごいね」
「すごい? 何が?」
「同い年の子と家が隣なんて、少女漫画みたい」
つい正直に言ってしまったが、嵐くんが困ったような呆れたような顔をしているのを見て口にしたのをちょっと後悔する。
ミーハーみたいというか、友達に向けて言うのはあんまり良くなかったかもしれない。
「ご期待に沿えない関係性だけどね」
「そうなんだ」
「そうなんですよ」
勝手にきまずくなり口をつぐむと、なんとも言えない沈黙が漂った。なんでこういうときの沈黙って一秒が一時間くらいあるようにも感じるのだろう。
ホームルームがはじまる前に早く話しをまとめなくてはいけないのに、どうしてこんなに話を脱線しているんだろう。
黙ってる場合じゃないとうつむきかけてた顔をあげたとき、空気を変えるように嵐くんが一つ息をついた。
「まあ、だからさ。雲雀とみぞれさんだと事情が違うよ」
嵐くんの言い分もわからなくはない。わからなくはない、けど。
「でも、ごめん」
胸の前で両手を合わせ頭を下げる。
「私の平穏な学校生活のためにお願い!」
うちは中等部から高等部にそのまま進学する子が多い。
人間関係のあれそれはまだまだ続くのだ。立てなくていい波風は立てるべきじゃない。
「あー……、わかった。まあ考えるよ」
しぶしぶではあるが折れてくれたことに胸を撫でおろす。
発言通りに何か考えてる様子の嵐くんは、無言でこちらをじっと見てきた。
あまりに凝視されるので居心地悪くなりはじめていると、彼は突然ふはっと笑いをもらす。
「なに?」
「なーんか、みぞれさん自分の思ってること全然口にできる人じゃんって思ってさ」
「それは……良い意味で言ってる……?」
意外だったという言い方からは、彼は私のことを思ってることを口にできない子。自分の意見を何も言えない子だと思っていたという様に聞こえた。
「勿論、良い意味だって。口にできないっていうか、これまで人に譲ってるところばっかみかけてたからさ、意見がぶつかるのとかすげえ苦手なんだろうなって思ってたんだよ。でもそればっかってわけでもないんだって安心したっていうか」
安心? なぜ? 嵐くんが時々わからない。
「苦手っていうより、面倒だっただけだよ」
別にそこまでこだわりがあるわけでもないことで人とぶつかっても、心が削れるだけだ。
だったら譲ってしまうほうが楽だ。
「面倒、ね。まあでもそれで助かるやつがいるならいいんじゃね」
なんでだろう。この話、あんまり続けたくない。
そう思ったとき、ちょうどよく予鈴のチャイムが鳴り響いた。
「戻ろっか。嵐くん先に行ってくれる?」
一緒に戻ってはここまで彼を連れ出してきた意味がない。
了承してくれたのは本当のようで、嵐くんはお願い通りに階段を下りはじめた。
だがその途中、何かを思い出したように足がぴたりと止まりこちらを振り向く。
「そうだ。俺、みぞれさんの連絡先なにも知らないんだよね」
教室で話さないようにするなら確かに必要だ。先に気づいておけば良かった。
いま交換できれば良かったのだが、咄嗟に嵐くんを連れ出してきたからスマホは鞄の中だ。
校則では校内でのスマホ使用禁止だけれど、守ってない子はたくさんいる。
没収されたくもないし、親に連絡がいくのも嫌だから、私はこれまでは使ったことはないけれど。
「美月のインスタ見てるんだっけ? じゃあ美月にDMしてよ」
送るのはいいのだが、十万人もフォロワーがいる人のDMなんてちゃんと確認できるのだろうか。
できるにしても手間なんじゃないかと思うと、ちょっとためらう。
「嵐くんはやってないの?」
「俺もう全部消しちゃったんだよな」
男の子はあんまりSNSは見ないのだろうか。
「雲雀の連絡先って知ってる?」
「二年のときのグループラインまだ残ってるから、わかると思う」
「じゃあ雲雀に料理部のグループライン招待してもらってよ。活動日とかそこでやり取りしてるからさ」
そう言うと、嵐くんは今度こそ止まらずに階段を下りていった。
時間をずらして教室に戻るといっても、そんなに時間をかけていてはホームルームに遅刻してしまう。
嵐くんの姿が見えなくなってすぐに私も階段を下りて教室に向かった。
三年の教室がある廊下まで来ると、途端にさわがしさが戻ってくる。
さっきまで話をしていた踊り場の階段は五組側にあるので、二組に戻るには地味に距離がある。
急いで歩いた。五組の前を通るから、余計に。
クラスの窓から視線をそらす。教室の中が見えないように。目が合ってしまわないように。
それなのに、そうしたせいで目の前から歩いてくる彼女と顔を合わせてしまうなんてタイミングが悪いんだろう。
指先からすうっと血の気がひいていくのがわかった。
固まって足を止めた私を見て、裕子は驚いたようだった。
二度、瞬きする間、彼女は待って。けれど何も言わない私を見て、目をつりあげた。
勢いよくこちらに近づいてくる。
「嘘つき」
文句は、直接は叩きつけられず、すれ違い様に彼女は言った。
ばっと振り返ると向こうも足を止めていた。怒りの混ざった目が私を見ている。
「成績が下がったから部活やめるとか、やっぱ嘘じゃん」
嘘ではない。本当に成績は下がっていた。でもそれだけが理由というわけでもなかった。
なんて言っていいのかわからず黙りこむ私に、冷めた声で彼女は言う。
「良かったね、彼氏できて」
さっき嵐くんと連れ立って歩いていたのを見ていたのだろう。それだけで勘違いされるなんてやっぱり釘をさしていたのは正しかった。
「ちが……」
説得しようとした言葉は喉にからんでつぶれてしまう。
すぐに背を向けて教室に入っていった裕子に、私は何も言うことができなかった。
裕子は、私が二年のおわりにやめたテニス部で、ダブルスを組んでいた相手だった。
一番仲が良くて、何をするにも一番一緒にいた相手が裕子だった。
私がちゃんと話をせずに部活をやめたとき、一番怒ったのも、彼女だった。




