堕天の暁
翌日、シュブは目を覚ます。身体の節々が痛い。天使たちにマッサージを頼もうと思ったが昨日のことを思い出した。そう、自分は神界から追放されてしまったのだ。ベッドを見ると男はまだ眠っていた。外を見ると日はこれから昇ろうとしていて、朝早いことが分かる。慣れない場所で寝たためか、眠りが浅かったのだ。
シュブはベッドを改めて見る。眠っている男が無性に苛立った。
「ちょっと、起きなさいよ。私はもう起きてるんだから、それに合わせるのが下僕の使命でしょ」
「ん……何だお前随分と早起きだな。もう少し寝てて良いぞ、大体やることも決まってないんだしな……」
男は眠たそうに目を開けて答えるが、またすぐに目を瞑り眠りについた。
「起きろっつってんだろがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「うるせぇぇぇぇぇぇぇ!!何がしたいんだてめぇぇぇぇ!!まだ外は薄暗いだろうがぁぁぁぁ!!」
「命令よ、ほらマッサージしなさいよ」
いつもは天使にさせていることだが、神界追放をされた身では天使は世話をしてくれない。仕方ないので召喚の御使いである男にマッサージを頼むという腹積もりなのだ。
男はベッドに寝転がりマッサージを促すシュブをベッドから突き落とした。ゴツン!という音がした。頭を打ったのだろう。男は毛布を敷き直し横になる。
「なんでそういうことするのよぉぉぉぉぉ!!敬いなさいよぉぉぉぉ!!私、女神であなたの召喚主でご主人さまなのよぉぉぉぉ!!」
「やかましいぃぃぃぃ!!自分を殺したイカれ女を敬うことなんてできるかぁぁぁぁ!!大体どこなんだよここはよぉぉぉ!!」
「え?ここ?第六世界かな。あなたがいた世界は第二世界。要するに別世界ってわけ」
神々はいくつもの世界を管理している。この魔王テュポンが支配し壊滅的な被害を受けているのは第六世界。男がいた世界は第二世界と呼ばれ、シュブは男を殺害したあと、その魂と肉体を第六世界で再構成し転生召喚させたのだ。
「別世界……だと……?おい、それじゃあ俺のいた世界はどうなったんだ!あの突然湧いてきた訳のわからん巨大な物体はあのあとどうなったんだ!」
「ん?異世界トラックのこと?あぁあれなら辺り一面焦土になったよ、あれだけやってようやく死ぬとか受ける」
笑いながら他人事のように話すシュブを男は殴りつけた。だがシュブは死なない。地面に転がるだけだった。
「またぁぁぁぁ!!女神を何だと思ってんのこの蛮族はぁぁぁ!!うわぁぁん!!」
「このくそったれの邪神が!!大量殺戮者のクソ女……」
男は思い出した。昨日のフレイヤの言葉を。大量殺人を咎められ追放されていた。そうか、ようやく話が見えてきた。目の前の女は神の中でもトップクラスのゲスで、神々からも昨日、見放されたということだ。
「ちっ……神様連中のけじめってことか……?アホくせぇ……」
ならこれ以上は手を出せなかった。それは男の矜持だった。そもそも男の手ではシュブを殺せない。だからといって痛めつけるのも何か違う。罰を受けているのならば、もうこれ以上は無粋だと感じたのだ。
「おい女、教えろ。何の目的で俺を殺して、何をさせたいのか。包み隠さず全て」
男は知る必要があった。今の現状を。そして打破する手段を。別世界に移動したというのなら、当然帰る手段もあるはずだ。元の世界に未練があるとかそういう話ではない。ただ、もしも自分が死ぬのならば、それはせめて自分が生まれた世界で死ぬべきだと、そんな単純な思いからだった。
シュブはようやくその気になったのかと、男に説明した。この世界の現状を、魔王テュポンを、数多の勇者が敗北したことを、そして男の並外れた力に賭けたかったと。
「なるほどな……断ったらどうなるんだ?」
「え?私が普通に困るんだけど」
違う、そういうことは聞いていない。何というかもっとこう……代わりの者が送られるとか、処罰を受けるとかそういう答えを男は期待していた。そんな子供みたいなことを言われると逆に困る。
シュブは真顔で答えた。本当に何も考えていなかったのだ、断られることなど微塵も。
そんな呆れた視線に流石にシュブも気がついたのかむっとした表情を浮かべ反論した。
「いやいや!そもそも断られるのがありえないし!あなたがおかしいのよ、言うこと聞かないし……さっきから催眠洗脳術も使ってるのでまるで効いてないし……」
「さらっと洗脳とか言い出してんじゃねぇよこの邪神……」
「邪神じゃありませんんん!!女神ですぅぅぅ!!こんな愛らしい邪神がいますかぁぁぁ?」
男は思案した。昨日の主神特権とかいう現象。まぁ普通に考えれば断るとあの一撃を食らうのだろう。避けることすらできない理不尽な一撃。あんなものに怯え日常生活を送るのは困難……ならばとっととその魔王とやらを倒すのが賢明だと思った。
「分かったよ女神様。んで、俺がその魔王とかいうのをぶっ殺したらどうなるんだ?何かご褒美とか貰えんの?」
「ご褒美……そうご褒美!それよ!魔王を倒したらきっと神界に戻れるはず!だって神々は皆、テュポンの恐ろしさを知ってるもの!」
「それは良かったな。心底羨ましいよ。それで俺には何かないのか?」
「……え?神のために戦い世界を救ったっていう素晴らしい名誉がもらえるじゃない。それ以上は強欲。己を知れ下賤な人間よ」
つまり何もないということだ。ため息をついた。勝手に神に選ばれて、異世界に飛ばされて、殺しの片棒を担げだ?どこが神だ、やってることはマフィアの鉄砲玉みたいなものじゃないかと、男は酷く神の理不尽を嘆いた。
「あ、そうね……でもあえて言うなら先払いでご褒美は貰ってるじゃない。ほら神々の加護を得てるでしょ?」
シュブに言われ手のひらを前に突き出し念じると、空中に映像が映し出された。リリスと戦った時に見たものと同じ。色々と細かく見るとスキルの他にレベルだのステータスだのと書かれていることに気がついた。
「それが神の加護の一つ。困難を成し遂げるたびにレベルが上がり、神気をその身に宿し決して失われない……つまるところステータス……能力が上昇するの。スキルは私たち神々が与えし加護。どう?これは素晴らしい特典でしょう?」
レベルやステータスとやらを男は眺める。何か色々と書いてあるがよくわからない。
「要するに楽して強くなれるってことか」
「そういうこと!怠惰なお前たち下等存在にはぴったりでしょ?」
「だが、これだけのお膳立てをしてもらっても魔王テュポンには勝てなかった……ってことか。大したことないじゃねぇか」
「ぐ……そ、それは元が悪かったの!あなたは元から優れた戦士なんだから、そこに神々の加護が加わってもう完璧よ!!」
つまり今まで素人を戦いの場に送り込んでたのかこの女は。やっぱり邪神の類じゃねぇのか。
そう思いつつ男は敢えて口にしなかった。目的は分かった。自分に起きたことも分かった。ならばやることは一つだ。
「おい女神様、俺がテュポンをぶっ殺したらさ……女神様より偉い神様も喜ぶんだろ?」
「……!ふふ、ようやく神の偉大さを理解してくれたのね。そのとおり、きっと主神様も一目置いてくれる。それは最高の褒美じゃない!」
「んで……女神様も追放が取り消しになって神界に戻れてめでたしってことか」
「なになに?急に聞き分けがよくなったじゃない!そういうこと!だからあなたには私の下僕として働いてもらうのよ!おわかりかしら?」
そう、先ほどからこの女は人を下僕だの何だの人を支配下に置こうとしている。男は感じ取っていた。おそらくは本来ならばこの女の手で召喚したものは、強制的に隷属化するのだろう。だが、理由は分からないが自分は例外だった。だから女は惨めに焦っているのだ。
「それだ、俺が女神様の下僕なら……俺も神界に連れていけ。それが自然だろうよ」
シュブは唖然とした。男の提案、というより言葉に。しかしその言葉の意味を理解した瞬間、絶頂にも似た感覚で満たされた。やはり下僕化は成功していた。その悦びで満ち溢れたのだ。
召喚神である彼女の神格は召喚し隷属化した御使いによって決まる。此度召喚した男は英雄に比肩する超人。それが……自分の下僕となるということは、大神オーディンにも並ぶというものだった。
「~~ッ!!当然じゃない!下僕……私の所有物なんだから連れて行くに決まってるわ!!はー、洗脳の効きが悪くて立場をようやく理解したの?ったくこれだから下等存在は……ほら、とりあえず今までの無礼を侘びて、これから一生の忠誠を誓い土下座して足を舐めなさいよ、あとついでにマッサージもお願いするわ、それとおやつも買ってきてね?ほらほらぁ!!下僕ぅ!!ご主人さまの前でワン!って言いなさいよう。うへへ、こいつがいれば今まで私を馬鹿にしてたクソ女神どもも、ざまぁできるってもんよ……。」
男の理屈は決して屁理屈ではなかった。それは涎を垂らし妄想をはせるシュブの態度からも明白で、それが男の思惑を確信へと至らせた。男の目的はただ一つ。神界が複数の世界を管理しているというのならば、一度神界に行けば、自由に他の世界に行けるはずだと考えたのだ。
第二世界……それが男の世界だと言っていた。ならば今は、シュブの下僕として振る舞い、元の世界に戻る足がかりとするのだ。
「それじゃあ飯でも食いに行くか。この宿の一階はパン屋らしい。腹に何か入れないと話にならねぇからな」
靴下を脱いで、足を舐めさせようとするシュブを無視して、男は部屋を出ていった。
「……。ふっ……ま、まぁ?別に舐めてもらいたいわけじゃないし?ていうか気持ち悪いし?全然望んでないし?下僕は私のそんな思いを読み取って敢えて何もしなかっただけだし?」
命令を完全に無視した男に対し、シュブは言い訳をしながら、男の後を追いかける。魔王を倒す。そこから先のことはお互いまるで別の方向を見据えているが、ともかくとして魔王テュポンを倒す、二人の戦いが始まろうとしていた。