サタンとなった女神
突然、隕石のように降り立ち、修羅の如き形相でこちらを睨む男の姿は、村人たちにとって恐怖以外の何者でもなかった。
「な、なんなんだあんた!突然……!ってあれ……?みんなどうしてこんな夜中に広場に集まってるんだ……?」
それと同時に、村人たちに異変が起きていた。
先ほどまで狂ったように処刑を行っていた者たち、リリスを信仰していた者たちが、まるで夢から覚めたかのように、記憶を失ったかのような態度をとっている。
「あぁ……?」
男は思わず呟く。状況の不可解さに。
しかし、状況から察するに、リリスが原因で村人たちの正気が失われていたのだろうと結論付けるのには十分な情報だった。
サキュバスのリリス。
その本質は、人々を堕落させ、洗脳すること。
リリスが死亡した時点で、村人たちの正気は取り戻されたのだ。
「あ、あの……!」
広場の中央に立つ男に声を掛ける少女がいた。先程のパン屋の少女だった。
「あ、あ、あ、ありがとうございまた!あ、ました!に、二度も助けてくれて!」
少女は何度もペコペコと頭を下げる。
「ありがとうだぁ?クソガキ、てめぇは、感謝の伝え方もろくに知らねぇのか」
男は、そんな少女の頭を掴み、無理やり顔を上げさせる。
「ありがとうってのはなぁ?心の底から気持ちを込めて言うんだよ、舐めてんのかおい」
男は睨みつけながら少女に答える。少女はビクビクと震えながら、男の言葉を黙って聞くしかなかった。
「"そんな顔で”なぁ、ガキが一丁前に体裁取ろうってか?」
少女の目からは、涙がボロボロと溢れていた。表情は歪み、悲しみに明け暮れているというのに、無理やり作った笑顔は、口角が僅かに痙攣している。
無理もないことだ。少女は今、先程目の前で父が殺されたことを知ったのだ。
だが、少女にしてみれば、男は二度も自分の命を救ってくれた恩人、そして自分の父の仇をうってくれた人。
最初に助けて貰ったときのこと。あまりにも突然過ぎて頭の中が真っ白になって、お礼も言えなかったことを彼女は悔いていたのだ。
だから、何としてもこの場で、何よりも優先して、男に感謝の言葉を伝えたかったのだ。
しかし、それが男の逆鱗に触れた。幼い子供をここまで追い詰めたこの世界に、男は激しい憤りを感じていたのだ。
「感謝の礼節を学んでから出直してこいクソガキ」
男はそういって立ち去ろうとする。だが、そんな彼を少女は呼び止める。
「ちっ、なんだよ」
「だったら……せめて私の家、宿をしてるんです!旅人……さんなんですよね……」
「んだとぉ……」
それは、魅力的な提案である。
屋根の下で、ふかふかのベッドで眠れる。男にとって未知の世界であるこの世界において、それは魅力的なのだ。
「それは……ありがたいな」
男は、早速宿へと案内をしてもらった。
宿は男が思っているよりもずっとしっかりとしたもので、男にとってこの世界で初めての幸運だったと感じさせた。
「え……まじ……リリス倒しちゃったよ……報告……あ、あ、あ」
そんな男の後ろでシュブはずっと俯きながらブツブツと呟き続けていた。
「しかしこの世界は本当に何なんだ。見るもの全てが……分からないものだらけだ!まぁ明日になって考えるか。」
自室へと入り鍵を閉める。ひとまずは休息をとる。男は極めて冷静だった。自分がなぜこんなところにいるのかは不明だが……今はこの世界に慣れることが大事だと思い、照明を落としてベッドで横になった。
「待てやぁぁぁぁ!!何、私みたいな美女神部屋の前に置き去りにして念入りに鍵まで閉めて勝手に寝ようとしてるんじゃあぁぁぁぁあ!?」
衝撃!ドアを蹴破りシュブが部屋に乗り込んでくる!女神にとって人間が作り出したドアなど容易く破壊できるのだ!
「なんだお前!?娼婦のサービスか!?悪いが今、女を抱く気分じゃねぇんだよ失せろ」
「はぁぁぁぁぁ!!?わたしだってあんたみたいな低級低能単細胞下等生物とまぐわいたくなんてありませんし!!わたしを野宿させるつもりなんですかぁぁぁ!!そこをどけろぉぉぉぉぉ!!」
ずかずかとシュブは部屋に入り込み、男が横になっているベッドのスペースを奪い取ろうと、男に手を出す。だがしかし男の力は絶大!容易く力負けし、投げ飛ばされる!
「お゛っ!」
勢いよく頭を打ち付けたシュブは苦悶の声を上げる。
地面に転がるシュブにまるで無関心の男は崩れたベッドのシーツを少し正し、完全に無視をして横になった。
「うっ……うぅ……どうしてこんなことに……うわぁぁぁぁん!!ひどいよ……わたし神様なのに!!なんでこんなナメクジみたいな低次元生物に馬鹿にされないといけないのよぉぉぉぉ!!ひどいよぉぉぉ!!崇めなさいよぉぉぉ!!!」
「う、うぜぇ……泣き落としかよ……。」
恥も外聞もなかった。シュブは大粒の涙を流しながら、ただ男の身体を掴み揺らす。男は手を出せなかった。
ここは仮宿だがしばらく厄介になる。野宿は何度も経験があるが好きでやりたいと思わない。ここがどこかも分からない以上、派手に暴れて無用なトラブルを起こしたくなかったのだ。故に、シュブの泣き落としは実のところ合理的であった。こうも駄々をこねられては無視できない。
「おいお前、神様なんだろうが!だったらその神界とやらに帰れば良いだろ馬鹿らしい!」
「帰れないんだよぉぉぉ、あの衣服は神々の証、通行手形のようなものなんだよぉぉぉ!!お前のせいだぁぁぁぁ!!責任とれぇぇぇぇ!!」
シュブが酷く狼狽えていたのはそのためだった。神界に帰る手段を失った。どうしようもない現実。頼りになるのは自らの手で異世界転生させた男。
男は定義上は召喚神である彼女の御使いのような扱いなのだ。もっとも本来の御使いは主従関係。主であるシュブに男は手も出せないはずなのだが、その縛りは男にはまるで効いていなかった。
しかしそれでも御使いとしての最低限の役割はある。それは主であるシュブの護衛。故にシュブはこの世界で彼から離れることができなかった。堕ちた女神など……魔王たちの格好の餌食だからである!
そんなシュブの嘆きが天に届いたのか、一筋の光が部屋に降り注いだ。
「聞こえますか……私の名前はフレイヤ……この世界を見守る女神です……。」
「うわ眩しい……さっきから何なんだ空から変な女が出てきて……。」
フレイヤとはシュブの上司にあたる女神である。新米である彼女をサポートするために任されたのだが、あまりの体たらくぶりについに姿を現したのだ。
「ふ、フレイヤ様ぁ!私を助けに来てくれたんですね!は、早く引き上げてください!今日はまだシャワーも浴びてないのに!!」
シュブはフレイヤに向かって手を伸ばしてぴょんぴょんと跳ねる。そんな様子を冷たい目でフレイヤは見ていた。
「その件ですが……シュブ……あなたは魔王を倒すのに何をしたか自覚がありますか?」
「ええ、たくさんの人間を尖兵として送り込みました。見てくださいよ今回の勇者!性格に難はありますけど今度こそ魔王を倒せるはずです!」
「たくさんの人間を……?」
男は自信満々に胸を張って答えるシュブに訝しげな眼差しを送る。この女は自分以外にもあのようなことをしてきたのかと。
「……多くの人々が犠牲になりました。彼らの魂は元の世界に戻ることもできません。」
「え?人間なんて何人死んでも構わないでしょ?だってあたし神様だもん。あんなのいくらでもいるんだし良いじゃん。それよりも早く私を神界に戻してくださいよ~人間の前だからって格好つけてるんですかぁ?」
男の拳に力が入る。この邪悪はこの手で殴り殺す。そう決めたのだ。そんな気も知らずシュブはフレイヤに対して馴れ馴れしく、安堵の笑みを浮かべながら話しかけていた。
フレイヤはため息をついた。
「私たち、神々は人類に過度に干渉してはなりません。シュブ……あなたのしたことはサタンそのものです。確かに世界を救う勇者を導けという神令はありましたが……大量殺人をしろとは誰もいっていません」
毅然とした態度でシュブにそう伝えるフレイヤであったが、当のシュブはまるで耳に入っていない。彼女にとって人間とは下等な存在であり、虫けらに等しい。家の外で飛び交う羽虫がどうなろうが知ったことではない。それと同じ感覚なのだ。
「神界の決定を告げます。召喚神シュブ、貴方は神界より追放します。その勇者が貴方が魔王と戦わせる最後の勇者とします。後の魔王征伐の勤めは別の者が執り行うのでご安心を」
そう言ってフレイヤはまた空へと消えていった。あたりを照らしていた天からの光も消えていき、暗い宿部屋に戻る。シュブはただ消えていったフレイヤがいた何もない天井を唖然とした様子で見ていた。
微動だにしないシュブを仕方無しに男は抱え、廊下に運び、蹴破られたドアを閉める。上手く閉まらないので、そこらのゴミ箱を支えにして、せめて開きっぱなしにならないようにした。
「さて寝るか」
男はベッドに戻り横になる。無駄に眩しかった女もいなくなったし、これで安眠ができる。毛布をかけて枕元の照明を消した。