残光
その日、王都は祝宴に包まれた。近郊の村人たちも招かれ、祭りさながらの賑わいを見せていた。
いいや、実際、今日という日は記念日となり、後世まで祭りとして語り継がれるだろう。
二度にわたる魔王討伐。その偉業を成し遂げた勇者を、真の自由を得た喜びと共に祝う日。
騎士たちは、男に何度も頭を垂れた。エグジキエルの”力”によって操られていたとはいえ、過去の行いを深く悔いていた。
「あー、鬱陶しい。気にしてねぇってんだろ」
男は城の謁見の間に来賓として招かれていたが、これを固辞し、街中での祝祭に身を投じた。広場には豪奢な料理が並ぶ大テーブルがいくつも置かれ、王都の人々は身分の隔てなく共に飲み、共に食べていた。
「うぅ……美味しい……美味しんだけどさぁ……」
リリスは不満げに、テーブルに並べられた料理を食べている。
「なんだ、随分と不満げじゃねぇか」
「あのさぁ、私サキュバスなんだけど?料理は美味しいけど、求めてるのが違うっていうかぁ……」
彼女はずっと異世界転生者で勇者の「リリィ」ということで誤魔化し続けている。そして今、男と共に英雄として祭り上げられているのだ。
「勇者サマとの恋人設定のせいで他の男に声かけても拒否られるんですけどぉ?」
そして、男とは恋仲という関係になっている。
当然、王都では勇者である男の実力と恐ろしさは知れ渡っている。そんな勇者の恋人であるリリィに手を出す男など、いるはずがないのだ。例えリリィが誘ってきたとしても、丁重に断る選択肢しかない。
「ひもじいよーねぇー今更普通のごはんとか無理だよー責任とれよー」
しかし、そもそもリリスは既に至高の食事を知ってしまっていた。
男と交わした抱擁は、羽根が触れ合う程度の束の間の邂逅。軽いキスも、蜻蛉の羽ばたきのような淡いもの。それでも、その一瞬一瞬が、彼女の心に焼き付いている。
それは、他のどんな甘美な食事も、色褪せてしまうほどだった。もはや、他の何ものも彼女の心を満たすことはできない。まるで、禁断の果実を味わってしまったかのように。
「そうだな、なら今夜あたりどうだ?」
「はいはい、分かってますって。どうせ私のことなんて……」
いつものように突き放した言葉がくる。そう分かりきっていたリリスであった。
しかし、男の言葉に言葉を失う。聞き間違いだったかと、一瞬頭によぎる。
「暫く女を抱いていないからな。別に構わねぇぞ?」
「え、え、え?」
予想外の言葉に、リリスは驚きを隠せない。まるで、純真な少女のような反応に、男は戸惑いを覚える。
「なんだ、その生娘みたいな反応は……」
「だ、だって……勇者サマは、そういうことに興味がないのかとばかり……。大体、こういうお話の勇者って、ヘタレだったり、鈍感だったり、誤魔化したりして、結局なにもしないって相場が決まってるじゃないですか……」
リリスの言葉に、男は苦笑する。
「いや、別に娼婦を抱くことに抵抗もないが」
「しょう……!仮にも上級魔族で、色魔の中でも最上位のサキュバス相手にその……!」
リリスは上級魔族サキュバス。色魔の一種であり、男性の精力を奪うことが目的なのは事実である。故にやることは娼婦と変わりないといえば変わりないのかもしれないが、リリスにも矜持というものがある。
だが、そんなリリスのわだかまりも、一瞬のことだった。男に誘われたという事実。決して妄想でもないという事実が、徐々にリリスの中で実感を増していく。そして、彼女は自然と口数が少なくなっていることに気づいた。
「今夜からは、いい宿も借りれるだろうし……丁度いいな、いや自宅があったか」
「あ、あの!それなら勇者サマ!王都から少し離れたところにある、滝の裏側にひっそりと咲く『ムーンフラワー』って知ってる!?」
「ん?いや……知らんが」
「凄く、凄く綺麗な花でね!ベッドにその花びらを敷きたいなって……」
その滝には、妖精が住むと言われている。言い伝えによると、ムーンフラワーの花びらを恋人に贈ると、妖精が二人の愛を祝福し、永遠の愛で結ばれるという。
夜になるとムーンフラワーは月の光を浴びて淡く光り、幻想的な雰囲気になる。
水のせせらぎとムーンフラワーの輝きの中で、二人はロマンチックな時間を過ごすのだ。
昔からの言い伝えだが、今でも王都の娘たちの間では、恋人との初夜ではムーンライトフラワーの花びらをベッドに敷くことが憧れとして語られている。
リリス自身、なぜこんな提案をしたのか分からなかった。ただの食事のはずなのに。雰囲気などどうでもいいはずなのに。
きっと、極上の食事のための彩りも、極上でなくてはならないといけないのだと、そう思った。
「なんだそれは……この世界のしきたりみたいなもんか?しょうがねぇな、近くだし宴が終わったら取りに行くか」
「う、うん!あの……もしよかったら、滝まで手を繋いで歩かない?」
頬を染めながら、目を僅かに逸らし、リリスは男にそう提案する。
サキュバスは、本来、目的外での他者との肉体的な接触を嫌う傾向がある。だがリリスは男に対して、恥ずかしがりながらも手を差し出す。
「そうだな」
男はぶっきらぼうに答える。城に向かってスプリントした時のように、リリスを引っ張って滝までいけば確かに早い。そんな合理的な考えで。
いつまでも続きそうな宴も終わりに近づき、人々は皆、酒に酔い溺れ、眠り始めるものも出てきた。魔王の消滅。それは、この世界の人々にとって本当に希望の光のようであり、その嬉しさは、言葉では言い表せない。
そんな中、後片付けで一生懸命走り回る少女がいた。
「すいません、食器を……あ、勇者様!」
最初に村で出会ったパン屋の少女だった。
此度の宴の手伝いとして、王都に招かれた一人である。少女は両手いっぱいにテーブルクロスや食器を抱えて忙しそうにしている。
男は、大型の食器を手に取った。
「運ぼう、一人だと大変だろ」
「い、いえいえ勇者様!これは私の仕事です!勇者様は宴を楽しんでください!」
少女はそう言うが、男の持つ巨大な器は宴のために用意されたもので、そのサイズは少女の体ではとても持てないようなものだった。
「今夜は飲みすぎた。軽く運動をしたいんだ、こういうときは主賓のワガママを聞くものだぞガキ」
「ご、ごめんなさい……それじゃあ、あそこに仮設炊事場があるので!」
男と少女は二人、宴の会場を歩く。道行く人々は皆、男に感謝の言葉を告げる。
「……勇者様は本当に凄いですね」
「あ?」
「だって、いつの間にか王都の人たちからこんなに慕われて、遠い存在になっちゃったなって……なんて勇者様だから当然なんですけど」
少女は初めて男と出会った日のことを思い出していた。酒場で出会った乱暴そうな男。魔王軍の幹部よりも恐ろしくて、思わず泣き出しそうだった。
でも、今は違う。男の本当の姿を知っている。
「関係ねぇよそんなもん」
少女の少し寂しげな言葉に、男はそっけなく答えた。
「俺が王都でどうあろうと、お前と俺の関係は変わらない。この世界の魔王を倒しに来ただけの、世界の異分子だしな」
例え身分、立場が変わろうとも、男にとってこの世界で得た関係性に変わりはない。人の繋がりは立場によって決まるものではないと、男は考えていた。
それを聞いて、少女は微笑む。
「勇者様、本当にありがとうございました。きっと私も、私たちも勇者様がいなかったら、今ここにいなかった。勇者様のおかげで今があるんです」
少女は改めて、感謝の言葉を男に伝えた。炊事場に着いた二人は、流し台の前に立ち、洗い物を始める。食器を洗いながら少女は言葉を続ける。
「それで、もし良かったらですけど……勇者様が良ければ今後も……」
ずっと、この王都に留まって守ってほしい。そしてたまにで良いから、自分の焼くパンを食べに来てほしい。そう告げようとした時だった。
「勇者様……?」
振り返ると、そこには勇者の姿はなかった。
まるで最初から存在しなかったかのように。まるで影法師のように。
男の気配は完全に消え去っていた。




