公然の痴態
「ねぇ、ひょっとして勇者さま?」「うわーすごーい!本物!?」
気がつくと、男の周囲には女性が集まっていた。露出の多い、男性を誘惑するような服。一目で娼婦だと分かった。
「わたしつよーい男の人って大好きなんだぁ、ねぇ魔王討伐の話聞かせてよ」「ずるーい!私も私も!ねぇ、勇者様ぁ、奥の部屋で、私たちと……お話、しない?」
集まってきた娼婦たちは、男の腕にまとわりつき、あからさまな誘惑を仕掛けてくる。中には、豊満な胸を押し付けてくる者もいる。
「むむむ……ッ!」
娼婦に取り囲まれる中、リリスは不機嫌そうな目でそんな様子を見ていた。サキュバスも娼婦のようなもの。同族嫌悪というやつだろうか。
「あーーー?消え失せろ、馴れ馴れしく触んじゃねぇ」
「ひっ!」
男は露骨に不機嫌そうな目で娼婦たちを睨みつける。心底、不愉快な態度を露わにしていた。今、ようやく考えがまとまりかけたというのに、邪魔されたようで苛ついたのだ。
娼婦たちはそんな殺意混じりの男の視線に完全に萎縮し、蜘蛛の子散らすように立ち去っていく。
「むっふーん!」
「……なんだお前?」
そんな様子を得意げにリリスは鼻をならす。男はそんな彼女が不思議でたまらなかった。
「ママ……無理だって、やっぱ無理ですよぉ~」
そんな中、娼婦の一人が、奥で泣き言を言っているのが耳に入った。
そして奥から、ママと呼ばれる女性が姿を表す。
男は彼女が娼婦たちのリーダー格であると一目で理解した。年は他の娼婦たちより年上。しかしその立ち振る舞いは洗練されていて、社交界の令嬢にも劣らない。彼女が表に出ると、酒場の男たちは機嫌良く挨拶を交わす。
その光景は、彼女がどれほど愛されているかを物語っていた。
「預言のとおりだね、勇者さま」
ママは男の前に立ち、そう告げる。
「預言?」
「そう、この世界には古くから預言があってね、なんでも世界が魔に包まれし時、清廉潔白、正義感に溢れる者が、異世界からやってきて世界を救うだろうって話さ」
それは勇者がやってくるという伝承。よくある話だな、と男は思った。メタ的に推察すると、神とやらが人類を異世界転生させて、勇者として活躍させやすい下地を作っていたというところか。
そんな男の考えをよそに、娼婦たちのママは言葉を続ける。
「あたしら娼婦たちは商売柄、宿場とつながってるんだよ、大切な恋人なんだろう?そこのお嬢ちゃんは」
ママはチラリと、穏やかな眼差しでリリスに視線を向ける。
「なら、ハニートラップなんて効くわけないよ。悪かったね、王都に言われてやったことなんだ、うちの娘たちをどうか許してやってください」
そう言ってママは深々と頭を下げる。
男は溜飲が下がる思いだった。そうだ、リリスに手を出そうとしていたのだから、自分にも何かしらの手段がくることは想定できていた。
ハニートラップ。なるほど、古典的だが確実。
だが、それはそれで、新たな懸念事項が男には浮かび上がる。ハニートラップが通じなかったと娼婦から王都は報告を受けるが……果たして納得をしてくれるのだろうかという点。
ハニートラップを仕掛ける側は当然、男は皆、こういうのに弱いという先入観がある。それが通じないと聞かされ、素直に納得するだろうか?変な方向に邪推されないか……それが不安だった。
「あぁ、王都にはちゃんと伝えとくから安心しな」
そんな男の不安を看過したかのように、ママは穏やかな笑みを浮かべて答える。
「勇者さまは預言通りの御方。可愛らしい恋人がいて、一途でいらっしゃるのですから、無理だった……ってね」
「???????」
娼婦のママが繰り返す恋人という言葉。男には、その意味が理解できなかった。ママの視線が、時折、自分とは違う方向に向けられていることに気付き、男はその先を追う。
リリスと目が合った。
全部、察した、というか思い出した。
「まぁ……そういうことだ、すまないな、俺はこいつ……リリィを愛してる。どんな娼婦も、リリィの前じゃあ路傍の石ころにしか見えないんだ」
「!!」
男の言葉に、リリスは目を丸くする。そして、それも束の間、上機嫌に男の腕を抱きしめる。
「んふふ、そういうこと……もぅ、勇者サマって素直じゃないんだからぁ、んーーー」
すかさず、リリスは男にドレインキッスを迫る。対象のレベルと体力と魔力を吸い取るサキュバスの上級技である。男は抵抗せず、その口づけを受け入れる。唇だけは死守するものの、頬、首筋、耳朶……跡が残るほどの情熱的なキスを、リリスは男に浴びせる。
「あはは……お熱いねぇ、でもここは公衆の場、それ以上のことをするなら二階でしてきなよ、あたしたちが客と使う部屋があるんだ、詫びもかねてタダで二人で使って構わないよ」
「悪いな、実はもうそろそろ我慢できないんだ、おい行くぞ」
男はすっかり発情しきった様子のリリスの腰を掴み無理やり抱き寄せて二階へと向かう。
「もうー強引なんだからぁ、でもぉ……そういうのも悪くないかなぁ……?ねぇー勇者サマぁ?もう一度言って♡私のこと愛してるって♡」
リリスは完全に舞い上がっていた。
そう、自分の魅了がようやく男に通じたのだと、確信したからだ。先程のドレインキッスで得られた男からの精力。それは想像を遥かに上回る甘美なものだった。お腹だけではない、心も同時に満たされる、今までにない充足感。
リリスはその正体をまるで理解はしていなかったが、それでもはっきりとしているのは、男が今まで自分の知る限り、最高峰の食料だということ。あれだけのドレインキッスをして、未だ体力に余裕があるのはその証拠である。
「…………」
男は無言でリリスの腕を掴み案内された部屋へと向かっていた。
「あー、ツンデレさんなのかな♡てか……がっつきすぎぃ♡そんなにわたしのこと求めなくても、わたしはいつでも受け入れるのに♡」
リリスは今からベッドで交わす熱い抱擁を妄想しながらも、男についていく。
案内された部屋は、古びて薄暗かった。だが、清潔なシーツが敷かれたベッドと、簡素なシャワーが設置されている。
「へー良いじゃん、それでどうする?わたしはもうこのままベッドインしたいかなぁ……♡」
息を荒くし、頬を紅潮させ男に問いかけるリリス。そんな彼女の頭を男はがっしりと掴んだ。
それは、朝の再現。激しく求めるのではなく、男の手が優しく頭を包み込む。リリスの心臓は高鳴る。こんなアプローチの仕方は、予想外だったことに。慣れぬ愛し方に、戸惑いを感じながらも上目遣いで男を……
「って、いたたたたたた!痛い痛い痛い痛い痛い!!」
などというのはすべてリリスの都合のいい妄想でしかない。万力のように込められた男の握力が、リリスの頭部を締め付けていた。
「待って待って待って!割れる!割れるって!恋人!恋人にするにはバイオレンスすぎるよぉ!!中身でちゃうぅぅ」
「それはてめぇが勝手につけた設定だろうがよ……!」
男の怒りは、頂点に達していた。
勝手に恋人設定をつけられただけでなく、拒否する選択肢のないドレインキッスという攻撃の数々。おまけに大衆の場でこれから二人、恥ずかしげもなく二階で今から愛の営みを交わすとかいうバカップルぶりを演じさせられる屈辱。
男の怒りを買うには十分すぎるものであった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさーい!!調子に乗りすぎましたぁ!!これ以上は壊れるからやめてぇぇ!!」
ミシっと音がする。リリスの頭部が粉砕される一歩手前である。流石に男もそれはまずいと思ったのか、乱暴にリリスを投げ捨てた。
「ぎゃんっ」と床にゴロゴロと転がるリリス。
「恋人設定は怪我の功名だ、王都に怪しまれずに済みそうだからな、だが次、舐めた真似してみろ、串刺しにして磔にするぞ」
「す、すいません、すいません!……あのーでもちょっとくらい舐めて良いですかぁ?さっきのドレインキッスの味、忘れられなくて……で、できれば唇重ねて!」
「そういう意味じゃねぇよ……!?」
土下座するリリスに詰め寄る。その時、コンコンとノックが響き渡る。
男はリリスを突き飛ばして、ドアの方へと向かった。ドアを開けると、先程の娼婦のママが申し訳無さそうな顔で立っていた。
何かまずいことでもあったのか、男に緊張感が走る。
「オホン、その……あまり特殊なプレイはやめてね……?一階まで聞こえてるから……」
そう言って、ママは静かにドアを閉める。
考えてみれば、この建物は木造だ。防音など、ほとんど期待できない。今のやり取りが、全て……聞こえていた……?
「うぁぁぁぁぁあああああ!!」
男は、この世界に来て初めて、絶望を味わった。完全に変態バカップルだと思われたのだ!よりにもよって、サキュバスと同レベルの!!
「……大丈夫、勇者サマ?とりあえず一発やっとく?」
「うるせぇよお前はぁぁぁぁ!!」
それは、リリスが初めて男に対して一矢報いた瞬間でもあった。




