恩寵と冒涜
「ともかく!ほらぁ、何か言うことがあるんじゃない?頼りになるリリィちゃんにさぁ~」
それでいて本人は得意げに鼻をならしている。男のためにやったことなんだから感謝しろと。
分かりきったことだが、リリスが瞬殺できる程度の暴漢ならば、男にとっては羽虫にも等しい。故に、男が感謝しなくてはならない意味がわからないのだ。
男は手を伸ばす。瞬間リリスは「ひっ」とビクつかせた。調子に乗りすぎた。殴られるかちぎられるか……過去のトラウマがリリスの身体を強張らせる。
「凄く助かったよ、お前がいてよかった」
その言葉と一緒に、男がそっとリリスの頭を撫でる。たった一瞬の出来事だった。
だというのに、リリスは時間がまるで止まったかのように感じた。男の大きな手のひらの温かさが、彼女の髪を優しく包み込む。まるで電流が走ったかのように、指先から足先までしびれているようだった。
「えっ……」
リリスは呆然として、ただ男の顔を見つめることしかできなかった。
今まで、数え切れないほどの者たちから甘い言葉を囁かれ、優しい愛撫を受けてきた。でも、どうしてだろう。男のその仕草と一言が、今までのどんな言葉や愛撫よりも、今の一瞬の出来事が、彼女にとっては愛おしく感じていた。
まるで、心を溶かされていくような感覚。
「えっ、えっ……うぇへへ……」
その感覚の理由は分からない。ただリリスは、サキュバスとしての本能に従い、今、感じる最大限の快楽を素直に受け止め、自然と頬を緩ませ、笑みがこぼれていた。
「…………」
男はシュブとの会話でこういうのは適当にあしらうのが一番だと学習していた。
感謝の言葉を添えて、さっさと会話を終わらせる。それだけで、耳元で延々と続く愚痴から解放される。別に、お礼を言ったところで、損はない。むしろ、平和な時間を買えると思えば、安いものだ。
昔、行動を共にしていた猟犬を思い出し、同じように接してみたが、リリスの反応を見て男は間違ってなかったようだと自らの行動に花丸をつけていた。
「とりあえず尻尾、早く隠せ、街に出るぞ」
「ひゃん!む、むうー!尻尾をすぐ引っ張らないでよ!敏感なんだから!」
リリスは男と同じ女神に喚び出された異世界転生者ということにしている。故に人間の姿に擬態してもらわなくてはならないのだ。
二人が宿を出ると、息を切らしてこちらに向かってくる男性が見えた。名前はそう……マサノリである。
シュブに召喚された勇者の一人だが、怪我によりリタイアして、ここ王都で騎士をしている男。
「リリィさん、宿はどうでした?」
「えー最悪だったよ、昨夜暴漢が入ってきたし、勇者サマは何もしないしー」
「おい」
リリスはこれみよがしに得意げに男をチラリチラリと物欲しそうな目で見ている。
おかわりを希望してるのだ。ここぞとばかりに、もう一度男の手でお礼の言葉を。だが二度目はない。男はリリスのそんな視線を無視した。
「なんと!あぁなんてことだ……リリィさんのような可憐な女性がそんな目に……!僕のせいだ……!」
こいつもこいつで、いきなり何を言っているのだこいつは。
マサノリは男を無視して、リリスの身体をべたべたと馴れ馴れしく触る。不愉快極まりないのかアイサインをリリスは男に送る。
(マジでうざいんだけど)
(我慢しろ)
男はそれに答える。今、リリスに暴れられたら王都から出禁不可避だからだ。
「怖かったよね、暴漢に襲われて……大丈夫!僕の力でなんとか君だけでも王宮に住まわせるようにしてあげるから!」
なるほど、答え合わせが向こうから来たか。
男はマサノリの嘘に気がついていた。心底リリスを心配してそうな表情。だが知っている。あれは謀りごとをしている顔。何度も見てきた気持ちの悪い表情である。
しかし、では一体何を考えているのか?それが疑問だったが、自白してくれた。
要するにこのマサノリという男、治安最悪な宿を手配し、暴漢にリリスを襲うように指示したのだ。目的は……
「異世界転生者の女の子はよくあるんだ、スラムの暴漢に襲われてひどい目に遭うなんて……あぁ本当にすまない!もう二度と、僕がそんな目に遭わせないから!」
リリスの心を射止めようとしているのだ。
筋書きはこうだ。
ボロ宿に泊まることになったリリス。当然、男とは別部屋。一人初めての慣れぬ土地。その夜、暴漢たちが侵入し乱暴を受けることになるが、男は暴漢の数に負け見ることしかできない。そうして翌日、傷ついたリリスの前に現れる白馬の王子様という展開。
「似たような手口をしてた詐欺師を昔見たことあるな……」
どの世界にも似たようなものはいるもんだなと男は感心していた。
マサノリの手が伸びる。傷心のリリスを慰めようと、彼女の頭を撫でようとしたのだ。その瞬間だった。リリスはマサノリの手を思いっきりはたいた。
「あ」
男は思わずつぶやく。やめろといったのに手を出しやがった。
リリスは、慌てて男の顔色を窺う。その瞳は、戸惑いを含みながらも、どこかくすぐったいような、不思議な感情で揺れていた。
「ち、違うんです勇者サマ、こ、これは……」
リリス自身、男に逆らうつもりはまるでなかった。だというのに反射的にはたいてしまった。マサノリの、いいや、他の男の手が、自分の頭に触れるのが、心底不愉快に感じて。
「ご、ごめんよリリィちゃん、そうだよね、あんなひどい目にあったんだ。男性の手が怖いんだよね?大丈夫、僕は君を傷つけたりしないよ」
叩かれた右手をぶらぶらさせて、めげずにマサノリはリリスに声をかける。
見た感じ、骨が折れているな。リリスは上級魔族。反射的にとった行動とはいえ、その威力は並の凡人には致命的。幸いだったのはあまりにも綺麗に折れすぎたのか、本人が痛みを自覚していないことか。あるいはやせ我慢をしてるのか。
とはいえ気がつくのは時間の問題。ならば───
「ちょっといいか?」
男はマサノリとリリスの間に割って入る。明らかにマサノリは不愉快そうな目で男を睨みつける。
「あ?なんだこのヘタレ野郎、昨夜何も出来ずに震えてたんだろ?」
「まぁちょっと話をしようじゃないか、ゆっくりと」
「はぁ?なんだお前、え、ちょっと待って力つよ、え、なにこれ、動け、た、助け」
男の手を振り払おうとしたマサノリだったが、その時、初めて違和感に気がつく。例えるならばそれは大樹。まるでびくともしない。口を塞がれ、マサノリはただ連れ去られていくことしかできなかった。
男がマサノリを連れて行ったのは、王都スラム街の空き倉庫。最初にこの王都に来た時、男は"こういうこと”をするのに最適な場所の目星をつけていた。




