徒手空拳、恐怖の再召
「良いだろう、最後の勇者として相手してやろう……この魔王テュポンが!」
放たれるオーラ。玉座を埋め尽くす魔王の貫禄。シュブはその凄まじさに戦慄した。しかし男は違う。魔王を前にして、決して震え上がることはなかった。
「……いや待て、貴様、武器は?」
魔王は男が丸腰であることに気がつく。
この世界には魔王に届きうる武器もある。伝説級の装備たち。此度の城攻めに使われた圧倒的な破壊は、それによるものだと思っていた。
だが違った。男は何も持っていないのだ。
「武器は……ここにある……」
男は瓦礫に手を突っ込む。その中から拾い上げたのは、壊れた燭台だった。男はそれを構える。
「ウェポン……マスタリー!」
それは男が勇者として持つ基本スキル。効果は武器を使いこなす修練スキル。
男はそれを拡大解釈し、男が武器と認識したものは、スキルの延長線として武器として扱えるものと変貌していた。
言うならば、武装変容、ウェポンマスタリー改である。
「行くぞ魔王ッ!!」
燭台を振り下ろす。死神の鎌のように魔王の首を正確に捉えていた。しかし、鈍い音とともに、燭台は無残にもへし折れた。魔王はただ、そこに佇んでいるだけだ。ただ振り下ろした燭台が、魔王に叩きつけた瞬間、燭台はその耐久限界を迎えて折れたのだ。
「なら、こいつはどうだ……!」
壊れた燭台を投げ捨て、壁に立てかけられていた松明を掴み取る。握りしめた瞬間、ウェポンマスタリーとして武装に変容する。さながらそれは、灼熱の炎纏う槍のように。
燃え盛る松明を、男は咆哮と共に魔王へ突き立てる。
だが、虚しい音と共に炎は消え失せ、松明は砂のように崩れ落ちる。先ほどの燭台と同じように、武器としての限界を超えたのだ。魔王は、ただ静かに佇んでいるだけだ。
「うぉぉぉぉぉぉッ!」
男は石柱を掴んでいた。それは半壊した玉座に転がっていた石柱。武器と呼ぶにはあまりにも無骨で、巨大。
男はそれを軽々と振り回し、魔王へと叩きつける。瞬間、石柱は砕け散る。だが……
「茶番は終わりか、哀れな勇者よ」
魔王は、男をただ憐憫含んだ目で見ていた。無意味なことを続ける、哀れな者を見る目。
「オラァッ!」
男は渾身の鉄拳を魔王の顔面に叩き込んだ。信頼できるのはやはり自分の肉体。
しかし、手応えが、まるでない。魔王は表情一つ変えず、男の鉄拳を顔面で受け止めていた。
「魔王には、魔力の籠もった装備でなければ傷をつけれない、無駄なのだ、お前のしていることは」
男の拳越しに、淡々と告げる。それは詰みの言葉。
同時に男に魔王の魔法が放たれる。男は咄嗟に防御するが、その衝撃波で吹き飛ばされた。
「魔力……?」
男にはまるで理解できない概念だった。
魔力とは魔族の持つ力。その力を持って放つ技を魔法、魔術と呼ばれる。
ただし、特殊な加工をすることで、この魔力を装備に付与することができるのだ。魔族の血を吸うことで魔剣と化した呪いの剣、あるいは魔力の宿した特殊な鉱石を加工した武器、あるいは神がもたらした伝説級の武具。
多種多様であるが、その力は魔王に通じる絶対の力である。
そして、当然のことながら、男には魔力を宿した装備は、ない。
「やば……詰みじゃね……」
シュブも知らないわけではなかった。故に、最初に準備を整えるよう提案したのだ。
それでも、どこか期待していたのだ。男ならば、魔力なくとも、魔王を倒せると。それだけ男には不思議な魅力があったのだから。
しかし、それは淡い希望だった。
「魔力もないものが……我々を倒そうとしていたのか……ならば、お前のような相手に一番相性の良い戦い方をするだけのこと」
そして、魔力がないということは、魔力を行使した技に対する対抗手段もないということ。それはすなわち、魔法をそのまま受けてしまうのだ。
魔王が指を鳴らすと召喚陣が展開される。男に一番、特効対象となる魔族を、この場に生成しているのだ。
「ぷはぁーーー!ふっかーつ!!魔王様信じてたよ、わたしの力が必要だもんねぇ?」
それは、サキュバス。
サキュバスのリリス。彼女の魔法は、人間を魅了し堕落させる。魔力の持たない相手にとっては、抵抗手段も持たない最悪の相手である。
「その勇者を魅了し配下にしろ、魔力抵抗もない奴だ」
「え?また勇者来たんですかぁ?ったく……どんな身の程知らうわぁぁぁあああああぁぁ!!!!」
リリスは振り向く。男と目が合う。瞬間悲鳴をあげる。
無理もなかった。何せ自分を一度殺した相手なのだから。しかも完膚なきまでに。
「ぎゃぁぁぁぁああああ!無理無理無理無理!!なんでいんのもうラストダンジョンに!!?私私ついさっき殺されたばかりなんだけど!!?」
「おい」
錯乱するリリスに、魔王はただ呟く。
「貴様、魔王の命令に背くのか?いいや……」
言葉の奥に、魔王の憤怒が燃え盛る。それは部下に初めて反抗された怒り。それも、サキュバス如きにである。
「今、魔王に指図をしたのか?」
「わァ…………ぁ……」
リリスは泣いた。
魔族である自分は魔王に絶対服従。反抗などできるはずがない。
かといって目の前にいるのは、自分にトラウマを与えた最悪の勇者。何も出来ず、ただズタボロにやられた相手。頭の中に一瞬にして駆け巡る男との戦いは、リリスの脳髄に刻まれていた。
「ゅ……ゆうしゃ~……わ、わたしが……あ、相手だ……」
「あ?」
「ひっ!ち、違います!ゆ、勇者サマ!あ、相手!お相手させていただきやす……!」
完全にリリスは腰が引けていた。
男たちを誘うための薄布を纏い、豊満な胸元を強調している露出度の高い衣装も、欲望を掻き立てる蠱惑的な肢体も、今は無意味な飾りでしかない。
彼女は、ただ怯える小動物のように、男の前に立ちすくんでいた。
「おい」
そんなリリスの様子に苛立ちを見せた魔王が声を掛ける。
ビクリとリリスは背筋を伸ばす。
「早く魅了魔法を使え、魔王を苛立たせたいのか……?」
「ひゃ、ひゃい!えーい!み、魅了魔法!!」
ちなみにサキュバスの魅了魔法は別に宣言する必要はない。ならばなぜそんな間抜けな宣言をしたのか。それは魔王に対して魔法を行使したことをアピールするため以外の何者でもなかった。
男はリリスの魅了魔法を受けたが、不動。その表情に何一つ変わりない。わかりきっていたことだった。




