始まりの狼煙
「うるせぇぞクソ女神、一々叫ばないと会話もできねぇのか?ニワトリか何かか?」
「こ、この……!」
男の暴虐非道な発言をシュブは抑える。感情的になってはダメなのだ。
無知で無謀で愚策の男を、寛大で慈愛に満ちた私が支える。これが女神の正しいあり方……!よし、こう修正しよう。
「いいですかー?愚かで醜い人カスのDV糞野郎?転生直後にいきなり魔王に挨拶行くとか、イカレ以外の何者でもないんですよー?」
口角が痙攣していた。ピクピクとした笑みを浮かべ、シュブは男に、常識を説く。
「お前……」
男はそんなシュブの言葉を黙って聞いていた。流石に訴えが通じたのだ。そんな光明が見える。
「鏡見てみ、すげー面白い表情してるぞ(笑)」
「あぁぁぁ゛゛ぁ゛ぁぁぁ゛ぁ゛ぁ!!このヒトカスマジで無理ぃぃぃぃぃぃい!!」
鉄拳!思わずシュブは男に向けて殴りつける!だが……
「ぎゃぁあああああ!!折れたぁぁぁぁ腕がぁぁぁ!どうなってんのこいつの身体ぁぁぁ!!?」
殴りつけたシュブの腕は、ポキリと折れる。あまりにも無惨なものだった。
「……あぁ!そういうことか、分かったよクソ女神……そうだな、こういう時、大事なことだ」
「わ、分かってくれたの……?」
折れた腕は再生する。だが激痛は変わらない。思わず涙ぐむシュブであったが、男の理解を示す言葉に、僅かに救われた。
「おいクソガキ!」
突然呼ばれたパン屋の少女はビクリと反応する。
今までの会話から、少女は察したのだ。男が魔王を倒そうとしていることに。いいや、察するべきだったのだ。昨日のサキュバスとの戦い。彼は「勇者」と呼ばれていた。
その使命は魔王を倒すこと。この村からは、すぐに発ってしまう。
そしてもしかすると、それは今生の別れかもしれない。数多の勇者が、魔王に殺されている。目の前の男も、同じなのではないかと。
「心配すんな、魔王は俺がぶっ殺す、その時はまた宿を使わせてもらうぞ……祝勝会をするためのな!」
そんな少女の不安を払拭するように、男は気持ちの良い声で、そう宣言した。
不思議な魔力が込められているような気がした。
なぜだか、少女はその言葉を聞くと、先ほどまで心にかかっていた曇天の雲が晴れたような気がして……本当にこの男ならやってしまいそうなのだと、確信めいたものを感じさせたのだ。
「……はい!それじゃあ私は待ってます!勇者様が、いつでも泊まれるように……部屋を空けて!」
だから少女は満面の笑みで答える。
その笑みを見て男は少し目を丸くし、顔を背ける。そして頭を少しボリボリと書いて、軽く手をあげる。
彼なりの別れの挨拶。再会を約束する挨拶。いざ言ってみて、真っ直ぐな少女の答えに、彼自身も恥ずかしくなったのだ。
男が向かうは魔王城。その目的はただ一つ。魔王を倒すために!
「いやだからおかしいってぇぇぇぇぇ!戦力増強してから行こうよぉぉぉぉぉ」
……シュブの慟哭とも呼べる嘆きとともに。
「だからねぇぇ!?魔王城には強い魔族だけじゃなくて、たくさんの罠なんかもあってぇ!」
魔王城へと一直線に進む男をシュブは懸命に引っ張り止めていた。だが力ではまるで敵わない。ずるずると引きずられている状態である。
「んなことは分かってるよ、敵の本拠地に無策で突っ込む程、馬鹿じゃない」
「分かってたの!?ならほらまずは王都に行こ、王都!」
男の腕を手に取りシュブは指を差す。その先に見えるのはこの国の王都ローデリア。魔王テュポンに抵抗している、王国の首都である。
「……何してんの?」
男は指を突き出して集中をしていた。そして「よし」と呟き松明を取り出す。
「魔王城の周囲は『毒沼アケロン』により立ち入ることも難しく、更に沼の周囲は強力な魔獣が住む『禁森ヘルシニア』が勇者たちの行く手を阻む天然の要塞となってる……んだろ?」
今、男たちが目の前に広がる大森林こそ 禁森ヘルシニアの一端。その深奥は光さえ届かない。満ちた魔力は空間を歪め異界化しているとも呼ばれている。
「そういうこと!中にはこの間、倒したサキュバスと同レベルの上級魔族もいる可能性が……」
「だからこうする」
男は松明の火を近くの木に点ける。みるみるうちに炎は燃え上がる。炎は近くの木々にも燃え移り、大きな火事となっていく。
「なにしてんのぉ!?か、火事!!け、消さないと!!」
シュブは男の突然の行動に慌てふためいていた。
そうこうしている内に、風が突如吹き、炎は瞬く間に広がっていった。
先ほどの指を突き出していた動作。男は風を読んでいたのだ。そして突風が吹くことを感知した。その風向きは……魔王城を取り囲む森と毒沼。
「頭おかしいんじゃねぇのこのヒトカスぅ!!?森には動物とか何とかいるんだけどぉぉ!?」
「あー知らねぇよ、これが一番効率的だろうがよー」
「効率的……!効率……」
そう、事実としてこの森と沼で多くの勇者たちは消耗した。しかし男はそれを無傷で突破するのだ。この事実は大きい。
「ありかこれ、よっし!おいヒトカス!もっと火を焚べろ!ヒャハハハ!!燃えろ燃えろ~!!」
「うわぁ……なんだこいつ」
ノリノリで松明を振り回すシュブを見て、男は少し引いていた。しかしそれも束の間である。燃え盛る森の中から何者かがやってきた。全身黒焦げで、半死半生。だがその装備から魔王の部下であることが分かる。
「この……正気かお前ら……森を焼くなど……」
「俺から言わせると、攻められると分かってて焼き討ちの対策もしてないお前らに非があると思うぞ」
そう、男の世界では焼き討ちなど当然の如くある戦略である。いうならば、そんなことをされる場所に城を築いたのが間違いなのだ。
「だが……勇者め、焼き討ち程度ではこの『禁森ヘルシニア』は破れん!見よ!」
男は見た。黒焦げの森の奥、悪霊が無数に彷徨うその姿を。