名探偵の代替
指定された部屋に向かうと、ドア横にプラスチックのプレートが掲げられていた。
〈『密室大戦』選考委員控え室 赤瀬川舞衣様〉
――ここでいいみたい。
名前を確認し、私――赤瀬川芽衣は入室した。室内はがらんとしている。
床に荷物を投げ出す。備え付けのパイプ椅子に座ってため息をつく。
姉さんが職務放棄さえしなければこんな目には遭わなかったのに……。
姉さんの舞衣は、自他共に認める稀代の名探偵。推理し解決した事件は数知れず。世間では「虹色の脳細胞を持つ女」とまで称されている。頭がお花畑であるという揶揄も込められていると私は睨んでいるが、真のところは分からない。
そして残念なことに、妹の私はそんな才能は授からなかった。見た目は全く同じ双子だってのに、神は私を見放したのだろうか。
ともかく、私は自分の無能さを嫌というほどわきまえている。なのにどうして今日この場を訪れることになったのか。それはひとえに、姉さんに替え玉を頼まれたからということに尽きる。
替え玉として行動することは実は少なくない。姉さんの都合がつかなくなったときもそうだし、犯人を出し抜くために二人で協力することもある。
だが、今回に関してはただの姉さんのわがままだった。
「芽衣~、『密室大戦』とかいう意味不明な公募イベントの選考会があるらしいんだけど、ちょっと代わりに行ってきてくれない~?」
軽い口調でこんなことを言ってきたのは昨日の夜のことだ。私は「なんでよ」とぶっきらぼうに返した。姉さんの替え玉になるのはあまり好きではない。自分のありのままに振る舞えないのが気にくわないからだ。
しかし姉さんはいたずらっぽい表情で「めんどくさいから。じゃ、よろしくね~」とウインクしてくるだけだった。
私は名探偵なんかじゃない。誰かの作品を評価する資格なんてない。そういうのは姉さんの仕事でしょ。
口には出さずとも嫌がっているのが見て取れたらしく、姉さんは少し居すまいをただした。
「報酬は弾むから」
私はその言葉にピクリと反応する。期待しているのを悟られないよう、ゆっくりと顔を上げた。
「……いくら?」
姉さんはニヤリと口角を上げた。
「あたしへの依頼だけど、全部芽衣にあげちゃうよ。たしか謝礼金は10万円とか言ってたかな」
「……じゃあやる」
実はちょうど金に困っていたところだったのだ。友達からユニバに誘われているのだが、資金調達の目処が立たず返事を保留していた。これで母さんに頭を下げなくて済む。
私は心の中でほくそ笑んだ。
――というわけで現在、私は『密室大戦』なる理解不能な企画の選考会に臨んでいる。本来来るべきだった姉さんは今ごろ家のソファでダラダラとスマホでも見ているに違いない。
なんだか姉さんの操り人形になっている気がして無性に腹が立ってきた。でも背に腹は代えられない。10万円は大金だ。
私は手持ちぶさたのままパイプ椅子の背もたれに身を任せていた。
はぁ……このあとどうなっちゃうんだろ。無茶ぶりとかされないといいけど。
悶々としながら過ごしていると、十分ほど経ってドアがノックされた。
「赤瀬川舞衣様はいらっしゃいますか?」
「はい。どうぞ」
立ち上がるのも億劫だったので椅子に座ったまま答えた。ドアに鍵は掛けていない。
現れたのは、眼鏡が少しも似合っていない女性スタッフだった。
「まもなく、会議室にてミーティングがありますのでご準備をお願いします」
女性スタッフは終始ペコペコしながら「では失礼します」と言い残して再び廊下に消えた。
準備ったって何を……。
部屋の角に立てかけられていた姿見の前に立つ。目の前に映っているのは、見るに堪えない身なりの21歳女。アホ毛みたいにクルンと巻いた寝癖に、寝不足により半開きの瞼。服装は……パジャマのままじゃん!
慌てて持ってきたバッグをまさぐる。だが着替えなど当然持ってきていない。無い袖は振れない。
頭を抱えかけたが……思い直す。
そうだ。私は姉さんの代わりとしてやってきた。ということは、どんな不格好を見せようと全部姉さんがしたことになる。
面倒を押しつけてきたのだから、これぐらいの仕返しはしてもいいだろう。
シッシッシ。
我ながら気色の悪い笑い方だ。