想い出オークション
新宿御苑の森を一望するオフィスで、僕は壁に映し出された「想い出オークション」の注意書きを読んでいた。
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【出品にあたってのご注意】
以下の想い出は出品することができません。
1.著作権、肖像権等、他人の権利を侵害する可能性のある想い出。ただし、想い出が曖昧で映像が鮮明でない場合はこの限りではありません。
2.個人を特定できる想い出(個人情報に関する部分を再生不可能にするパーソナルガード機能をご利用下さい)
3.犯罪行為に関する想い出
4.低俗、わいせつな想い出
5.その他公序良俗に反する想い出
【入札/購入にあたってのご注意】
本商品は、出品者の個人的な想い出を出品したものですので、商品評価は人によって全く異なります。入札/購入は、ご自身の責任において判断するようにしてください。
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何回となく読み慣れた注意書きだったが、自分の記憶を出品するとなるとさすがに少し緊張する。もちろんお金が目当てではない。果たして自分が積み上げてきたノウハウの記憶にいくらの価値があるのか検証してみたかったのだ。ちなみに国内での今までの最高入札価格は2億円と言われている。出品者は夭逝した人気芸能人Kが死ぬ間際に残した、彼の記憶の全てだった。
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概要:出品者の記憶の内、想い出の記憶方法に関するノウハウの部分
期間:2021年1月1日~2030年12月31日
場所:都内各所
容量:0.8ギガ
出品者プロフィール:想い出コンサルタント鷲尾秀一(29歳/男性)
出品日時:2031年1月1日 午前11時56分
入札締め切り日時 :2031年1月2日午後0時
以上でよろしければ送信してください。
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新宿御苑の森からカラスが一話飛び立つのを見ながら、僕は(送信)を念じた。一昔前までコンピュータと配線に埋もれていたこのオフィスは、いまは1台のコンピュータもない。かわりに僕の指のメモリーリングが輝いて、僕の記憶は送信されていった。
「コンビニ行くけど、何かいる?」
キッチンで冷蔵庫をのぞきこんでいた美佐子が、調味料しか入っていない冷蔵庫にがっかりした様子で僕に声をかける。
「おにぎりふたつ。ツナとおかか。」
美佐子は僕の頭を軽くなでて出かけていった。
僕たちをとりまく技術は大きく進化した。食べることと寝ること、そしてたぶん愛だけが変わらない営みだ。
脳の仕組みの研究が進み、マウスやキーボードを使わないでも瞬時にして脳の中にある記憶を文字や映像としてダウンロードし、外部メディアに保存することが可能になったのは2025年のことだった。当初は、かなり重たいヘッドセットをつけて、1メガ程度を出力するのに2時間以上かかる作業だったが、2028年には、マウスに似た「メモリーボール」を手のひらで包みこめば、1秒に10メガ以上のスピードで記憶を送り込むことができるようになった。ダウンロードした記憶は、すべて階層に整理されて表示され、キーワードによる検索も簡単にできる。
19歳でマサチューセッツ工科大学のMBAをネット上で取得し、業界大手のモイクロ社に僕が入社したのは2028年、「メモリーボール」が発売された直後のことだった。当初このメモリーボールはビジネスユースが中心で、「異動する前任者の業務に関する記憶をダウンロードし、後任者に渡したい」とか「アルバイトにマニュアルかわりに伝えたい」とかいった「ノウハウのダウンロード」へのニーズが主だった。僕は法人営業部の新人として、多いときは1日に30個もメモリーボールを抱えて、都内を駆け回っていた。
「MBAもってるのに何で営業なんかやってんの?」
その頃つきあっていたユミちゃんは、メモリーボールでふくれあがった僕のカバンを見ていつもそう言った。彼女の手帳には、僕との想い出をダウンロードして友だちに自慢しようと、イベント予定がぎっしり書き込まれていた。
「若い内に体を使っておこうと思ってね」
本当は違う。21歳までにIT関係で起業して年商10億円を目指していたあの頃の僕は、現場のリサーチにいそしんでいたのだ。でもそんなことを口にしたらユミちゃんは将来の社長夫人の座を勝ち取ろうと必死になるに違いなかった。そんな真剣な交際は19歳の僕には必要なかった。
リサーチの結果はすぐに出た。
ある飲食店で、エスプレッソマシーンの洗い方のマニュアルを年輩の店長の記憶からダウンロードする手伝いをした時のことだ。内容が1メガもない。変に思って読み込んで見てみると、何だかわからない黒いモノ(たぶん機械の一部なのだろう)が行ったり来たりしているだけの映像だった。これでは新入りのバイトくんたちはマシンの前で立ち往生だろう。あわてて別のスタッフを呼んでくると、彼女の記憶は非常に明確に整理されていて、完璧なマニュアルをダウンロードすることができた。120メガあった。
(これはビジネスになるぞ!)
その夜から2週間、ユミちゃんとの全てのイベントをぶっちぎって、僕は一冊の本を書き上げた。
『ロジカルメモリーテクニック~他人に伝えやすい記憶の方法。なぜあなたの記憶は曖昧なのか』
第1章:5感をロジカルに整理して記憶するための10のトレーニング
第2章:文字や映像による記憶のための5つのテクニック
第3章:ダウンロード時までの整理
第4章:外部メディアへの保存は時間とテーマのマトリックスで
この本は1ヶ月の間に100万回以上ダウンロードされた。僕は入社半年目で喜々として上司に辞表を提出し、その日の内にネット上で「(ネ)ジャパンメモリー」を設立した。
注:「ネ」は「ネット会社」の略。株式会社、有限会社等に加えて2024年より登場した。ネット上で出資者を募り、資本金が集まればすぐに法人として登記が可能。
ジャパンメモリーを設立するやいなや、僕には講演やコンサルティングの依頼が殺到した。特にコンサルティングが盛況で、大企業の取締役クラスや大物政治家といった輩が秘密裏にコンタクトしてきて、ノウハウを知りたがった。たしかに、会合の記憶をダウンロードしてみたらお花場にチョウチョがとんでいただけだったなんてことになったら目も当てられない。政治家の中には「特定の記憶がダウンロードされないテクニックを教えてほしい」なんて人もいた。え?もちろん方法ありますよ。僕の本の第3章の後半を読めばピンとくるはずだ。もちろん彼には、実際に何回もトレーニングをしながら、手取り足取りやり方を教えた。1年も立たないうちに10億を優に超える金が僕の懐に入ってきた。結局僕にふられた形になったユミちゃんは、今ごろものすごく悔しがっているだろう。
「ただいま」
コンビニの袋をがさがさ言わせながら美佐子が戻ってきた。
新宿御苑の森に向かってソファに並んで腰掛けると、僕はツナ、美佐子はおかかのおにぎりを頬張った。
「どう、オークションの値段?」
美佐子はメモリーリングをしない。彼女のカバンの中には旧式のメモリーボールが入っていて必要に応じてそれを取り出して使っているようだった。
僕はメモリーリングに指示を送り、プロジェクターがわりの白い壁面にオークションのページを映し出した。
「えー、もう1000万円を超えたの?」
「そりゃそうさ、僕のノウハウが全部手に入れば、想い出コンサルタントにもなれるし、自分の記憶を高く売れるようになるんだもの、1億円は軽く行くだろう」
「さすが鷲尾先生ね....」
おにぎりを頬張りながら美佐子が言った。あれ?それは...
「ねえ、どうして僕のおかか、食べてるの?」
メモリーボールはあっという間に小型化し、2年前、僕がつけているこの「メモリーリング」が発売された。このリングを指につけていれば、思い立ったときいつでも記憶を保存できたし、操作に慣れればネットサーフィンやメールの送受信、ファイルの作成なんかもできた。(要は「念写」なので、慣れていない人がやると文字化けの嵐になるのが玉にキズだったが。)赤外線機能もついていたから、プリンターやプロジェクターに情報を送ることもできた。僕が会社を立ち上げた頃はまだ電車の中ではみな携帯を手にメールを送ったりサイトを見たりしていが、今ではみな手ぶらでメモリーリングに記憶を保存し、メールや写真や映像もメモリーリングを経由して昔のEメールよろしく友人や取引先に送信するようになっていた。電車の中で友人を見かけてうっかり声をかけたら、「さっきのミーティングの記憶を保存しているところなんだ、ちょっと待ってね」と邪険にされたことも一度や二度ではない。
その昔、究極まで行き着いた携帯電話がデザイン合戦になったように、メモリーリングも早い時期から様々なデザインが出始めた。美佐子は、大ヒットをとなったハート型のリングシリーズを担当したジュエリーデザイナーで、発売記念のパーティで知り合った。彼女の付けているアクセサリーがメモリーリングではなかったことが僕の興味を強く引いた。
「人間には過去指向の人と未来指向の人がいるの。過去指向の人は、記憶や経験を大切にするの。未来指向の人は、見たことのない物を想像することが大好きなの。私は未来志向だからメモリーリングはいらないの。忘れてしまった記憶は、忘れられる運命にあったんだと思うから。」
想い出作りに没頭する今までの恋人達とは明らかに違うその言葉に、僕は夢中になった。一ヶ月後、未来指向の僕たちはネット上の教会で、500人を超える友人達に祝福されながら結婚した。
オークションのサイトに想い出が出品されるようになったのは、ちょうどその頃だったと思う。
「スリルたっぷり!!貸金業者との21日間の攻防戦!!逃亡者は私だ」
「21歳銀行OLとのめくるめく一夜」
「xx女子高等学校3年生の奈良/京都修学旅行」
「スイスアルプスとグルメ紀行」
「エキストラは見た!アイドルMちゃんの稽古場日記」
「夢美の六本木グルメツアー」
出品物のクオリティはまさにピンキリだっだ。僕が見た中でいちばんひどかったのは、「スイスアルプスとグルメ紀行」だ。サンプル写真にはきれいな山とおいしそうなチーズフォンデュの写真が載せられていたが、読み込んでみると、1時間、白い山とチーズフォンデュが代わる代わる現れるだけだけだった。よほど五感の鈍い人なのだろう。僕の本を読んで出直しなさい、ね。
そして、僕が知る限りでの一番のヒットは「アイドルMちゃんの稽古場日記」だ。200万円ぐらいだったと思う。ある無名な俳優が、トップアイドルのMちゃんの舞台にその他大勢として出演した記憶を、出品したのだ。彼は少ないギャラを補うために、最初からこの記憶を高値でうりさばくつもりだったらしい。僕の本を隅から隅まで読み、セオリー通りに実行し、Mちゃんの一挙一動をほぼ現実通りに再現することに成功した。
ちなみに最後の「夢美の六本木グルメツアー」は、その頃僕がつきあっていた木下夢美ちゃんが、僕が連れ回った高級レストランでの記憶を売り出した物だった。彼女は料亭の娘で味覚が特に優れていたから、彼女の記憶は味覚までもほぼ正しく再現されているという評判で、シリーズ化されるほどだった。今は商社マンとつきあっているらしい。「夢美のドリーミー♪グルメツアーinパリ」「夢美のドイツグルメチック街道」などヨーロッパシリーズを続けざまに出品している。
そして昨年、古巣のモイクロ社がWWWM(World Wide Web Memories) ネットワークを作り上げた。このネットワークは固有のIPアドレスを持ったメモリーリングをつけた世界中の人間をつなぐもので、瞬時にして世界中の人間の記憶を検索することが可能になった。もちろん公開する記憶はひとりひとりが選べるのだが、一般人にはなかなか難しいことらしい。僕は例によって早速マニュアル本も売り出し、さらに一財産作ったのは言うまでもない。
「8700万だって!」
僕のおかかと彼女のタラコを食べ終わり、壁のスクリーンを見た美佐子が目をむいている。
「だから言ったろ、1億円を超えるって」
「びっくりだわ」
言いながら美佐子はスケッチブックをとりだして新しいデザインを書き始めた。僕はそうやっている美佐子がたまらなく好きだ。コンピュータやメモリーリングにはできない仕事、人間だけができる仕事だからなのかもしれない。僕はそっとメモリーリングを外した。これが僕たちが愛し合う前の儀式だ。うっかりオンラインになって、記憶が実況中継されたりしたらたまったものではない。
愛を確認し終わった時は陽が新宿の高層ビル街の向こうに沈み始め、入札の数字は9000万を超えていた。残りは18時間。どこまで上がっていくだろう。