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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

極楽pharmacy

作者: 奈良ひさぎ

「何とか言ったらどうなんだ、えぇ?」


 くぐもっていながら、確実に苛立っていると分かるドスの効いた声が、取調室に響く。私は自分が取り調べを受けているわけでもないのに、窓越しにその声を聞いてびくっ、と肩を震わせた。


「……しかし、何も喋りませんねえ」


 同僚が横で愚痴る。容疑者がここに連れてこられてから丸二時間。うんともすんとも言わず、黙秘権を行使するとすら言わず、ただただ沈黙が流れていた。取り調べをしている上司の美濃(みのう)警部が苛立つのも分かる。

 この度逮捕したのは、赤坂(あかさか)という名の医者だった。近くの町で開業医をやっており、顎に少し髭を蓄えた、柔和な印象を抱かせる男。何の変哲もないように見えるが、裏で何十件もの全国的な自殺幇助に関わった犯罪者だ。安楽死の認められていない日本では、たとえ医者であっても、本人の希望であっても、薬を打ち死に至らしめた者は自殺幇助罪に問われる。医者である彼がそのことを理解していたのか、あるいは何かやむを得ない事情があったのか、口を開けば内容によっては情状酌量の余地があるかもしれない。黙秘される限り、こちらとしては厳粛に法に則るしかない。


「口を開いたとしても、だけどねえ」


 被害者の人となりを調べて、分かったこと。それは被害者たちと容疑者をつなぐ手がかりはほとんどないに等しく、あくまで医者と患者の関係が一本通っているだけであるということ。彼は安楽死を望む者の元へ飛んでは、薬を打って旅立たせることを繰り返していたのだ。老若男女、年齢層や性別はまるでバラバラだった。


「――失礼」

「あぁ?」

「コーヒーを一杯、いただけませんか」

「なにぃ?」

「おや、せっかく人が思考を整えて、話を始めようと思っていたところ。そう無下に断られては、話す気も失せてしまう」

「……断ってはねぇだろうが」


 美濃さんがこうもあっさり折れるのは珍しい。少なくとも、対話ができる相手ではあると確認できたからだろうか。それにしても、取り調べといういわば自分以外が全員敵である状況で、これだけ冷静でいられるのはすごいことだ。恐ろしい、と言うべきなのかもしれない。


「ああ、ありがたい」

「それでだ。弁明なら聞いてやるが、どうだ。ウチらとしては事情が事情だ、淡々と法に従って事を進める前に、話は聞いておきたいんだ」

「そう。そこをまさに、考えていたのですよ」

「……んぁ?」

「なぜこのようなことをしたか。その問いに対して、どのように回答すればあなたがたが納得するのか、かれこれ二時間と考えてみたのですが、とんと思いつかず」

「は?」

「どのみち私の道は決まっている。ただでは済まないだろう。だからこの場で美しい物語を紡げるのであれば、その方がよいでしょう」

「……お前、何言ってるか分かってんのか」


 つかみかかりそうになった美濃さんを、慌てて部屋に入って引き止める。美濃さんには取調室を出てもらい、私が引き継ぐことにした。

 この場にいる警察関係者全員が、この男の悪行を知っている。この男が殺したのは、安楽死を望んでいた人だけではない。生きる希望があるのに、有効な治療法がなくいずれ死にゆく病を背負っている人まで、勝手に薬を打ち込み死に至らしめたのだ。それは自殺幇助でも何でもない、ただの殺人だ。人一倍正義感が強く、情熱のある美濃さんが耐えられるはずはなかった。


「あまり醜い争いはしない方がいいですよ。ドラマでよく見る腐った警察組織、あれは本当だったのだと、本気で失望してしまう」

「話してもらえるんですよね? そちらをお願いできますか」


 その言葉にはさすがの私もムッとしたが、それでも何か赤坂の口から話してもらえれば事情が変わるかもしれないと思い、促す。


「君は、極楽浄土というものを信じるか?」

「……え?」

「死後、極楽への生まれ変わりをできる者は限られている。この世界の人の数に限りがあるように、極楽にもまた席は限られた数しか用意されていない。しかもその席はもうすでに、ほとんど埋まってしまっている。極楽は大昔からあって、信仰心のある、悪い行いをしてこなかった者から順に座っているからね」


 それは想像以上に壮大な話だった。私は黙って、話が続くのに耳を傾けるしかなかった。


「今この時代で極楽行きの切符を用意するのは、相当難しい。人生は長いし、その間にただの一つも悪行を犯さない者はゼロに等しい。君は普段道を歩く時、懸命に餌を運ぶ蟻を踏み潰さぬように歩いているか? 時々気が向けばそんなことをやっているかもしれないが、いつもそんなことを意識している人間はいない。であるならば、この時代に極楽に行ける者はまずいないと言っていい」

「……極楽に行かせるとかそんな理由で、人を殺したんですか?」

「医者はこの世で唯一、その手をもって合法的に人を殺せる職業だよ。……おっと、これは美しくない答えだ」

「……っ!」

「そんなに驚くことかな? 人を死に至らしめるというのは、むごいことだ。病気でも人の手でも、何であってもね。しかしそこには決して他の方法では作り得ない、美しさが共存している。人間の死に顔ほど美しいものは、この世には存在しない」

「……ここで演説する必要はありません。事実だけを述べてください」

「事実を述べているよ。これは私の思考回路、それをまとめた述懐だ。本にまとめてほしいくらいだね」

「ただの思想の押しつけが、事実として認められるものですか」

「しかし彼は記録を続けている。きっと正確に、一字一句違わずにね」


 私は記録を続ける同僚の方を振り返る。ちょうど最新のところまで記録を終えたのか手を止めて、こちらをじっと見てきた。こんなものは記録する価値もないと思いつつ、しかし隠蔽と捉えられるリスクを考えれば、どんなに些細なことでも書き留めなければならないと思い直した。個人的な感情に左右されていてはいけないのだ。


「話を戻そう。極楽に本当に行ける者はそうはいない。だが極楽に行きたいという人の愚かな願いは昔から変わらない。誰しも楽をしたいと考えるのが普通だ。ならば、極楽行きの切符を無理やり作る他はないだろう。君もそう思わないか?」

「そこまで極楽浄土のことを冒涜的に考えている人間は、あなたの他にいませんよ」

「……素人が適当なことを口にするのはやめた方がいい」

「……はい?」

「君は極楽浄土が何たるかについて、欠片も知らないのだろう。恥を晒す数は少ないのに越したことはないからね」


 だんだんと、この男に対して湧き起こってくる感情。それが「不快感」なのだと、ようやく気づいた。言い方がいちいち鼻につくとか、そういうレベルではない。その考えが、言葉が、並の人間には到底受け入れられないものなのだ。何の変哲もない家庭で育った私がそう思うのだから。この場で眉をひそめているのは私だけではないのだから。


「もちろん、君が表立って反論できないことは織り込み済みだ。取調べはあくまで情状酌量の余地がないか、容疑者の事情を聞き出す場だ。君のエゴを聞く場ではないからね」

「……今のままだと、(おもんぱか)る余地は少しもなく、検察へ送ることになりますが?」

「構わないよ。命乞いをしようという気は毛頭ない。私の行いはこの国では犯罪扱いされるのかもしれないが、私と彼らに、罪を犯したという気は全くないのでね」

「……安楽死を望まない、これからも生きるつもりでいた人まで殺しておいて、よくそんなことが言えたものですね」

「君はどうしても話をぶり返したいようだ。自らの愚かしさを晒す一方であると思うが、まあどうしても望むのであれば仕方ない」


 こちらを子供扱いするように、わざとらしいため息が静かな部屋に響く。私はもしかすると、もっとはっきりと、不快感を通り越し怒りを抱いているのかもしれない。心がざわつくのを感じた。


「死とは救済だ。君たちには難しい考え方かもしれないが、人間を生の苦しみから解放する行為そのものなのだよ」

「……」

「人為的に死を作り出せば、そこには極楽へ行く者と地獄へ堕とされる者、その両方が生まれる。極楽行きの席が空いていなくとも、隣に対となる地獄行きの者がいれば、極楽へ捻じ込みやすくなる。そうは思わないかい?」

「その独りよがりな思想のために、人を殺したと?」

「話を聞いていたのかな、君は? 君に同意を求めたつもりはない。君が賛同するかどうかは関係ない。これは事実だからだ。現に私は、罪に問われているわけだからね、たとえ順当に裁かれようとも地獄に堕ちることは変わらないだろう」

「……あなたの経歴からして、特殊な宗教にのめり込んだような形跡はありませんが?」

「日本人が無宗教だと信じてやまない人間からすれば、そう見えるのかもしれないね? 個々人が持つ思想など関係ない。先ほどから私は、事実の話しかしていないと思うが?」

「あなたの言う事実は、『極楽』やら『地獄』やらが、実在するものという前提に立っていませんか?」

「そこから話さねばならないか」

「極楽浄土は、正しい行いをした人間が『生まれ変わる』場所。そうですよね? 地獄も同様です。でもあなたのような人に、そもそも『生まれ変わる』だけの価値があるかどうか、私は疑問です」

「……ほう?」


 初めて、赤坂が眉をひそめた。私が思わぬ反論をしてきたことに、少し驚いたようにも見えた。


「完璧に遺族全員の承諾を得ていれば、こうはならなかった。まだ議論の余地があったかもしれません。でもあなたは違う。誰か一人でも、少しでも安楽死かどうか疑わしい死なせ方をしたならば、その時点であなたは殺人犯なんです。堕ちる地獄もない、永遠にこの世界に囚われて苦しみ続ける」

「君は阿鼻叫喚という言葉を聞いたことがあるか? 阿鼻地獄は地獄の最下層。最も人道に反する罪――すなわち、殺人を犯した者が堕ちる場所だ。私はそこに堕ちる覚悟を、すでに決めているのだよ」

「堕ちませんよ。堕ちることすら許されないと、言っているんです」

「……」

「自分がれっきとした殺人をした、そのことすら自覚できない人がいくら地獄に堕ちると口先だけのことを言ったって、意味はありませんよ」


 赤坂が完全に黙った。ぷるぷると震えていた。怒っているのだろう。しかしそれは自らの不甲斐なさに、ではない。単に私にやり場のない怒りをぶつけているだけだ。なぜ私に反駁されたのか、それすら分かっていないのが明らかだった。


 しかし。赤かったはずのその顔は、だんだん青ざめていった。ぷるぷると身体が震えるのは止まらないまま。


「……残念ながらタイムリミットのようだ。よかったね、私の真意のほどが聞き出せて。祝福するよ」

「なっ――」


 間もなく赤坂が口から泡を吹き、椅子ごとその場にばたりと倒れ込んだ。捕まる直前に毒を()んでいたのだと気づき、その半身を起こした時には、すでに赤坂は事切れていた。


『先に地獄で待っている』


 哀れにも自分が地獄へ堕ちられると信じて疑わなかった男は、最後まで私たちを痛めつけてきた。懐から見つかった、古びた紙切れに書かれたそれは、私たちを強張らせるのに十分だった。

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