最終話
"悲しい"
そんな感情が浮かぶ。
目の前には斜めに切り裂かれ、血に塗れて息絶えたオンドがいる。
なぜこんな感情になるのだろうか。
今朝、街でおばさんから話を聞いた。
森に小さな男の子がいて。剣を持っていたけど、森の魔物は強いから危ないと思って注意しに行ったの。そしたら剣を振りかぶって私のことを殺そうとして来たの!急いで街に逃げ帰ったわ。あの子、街までは入ってこなかったから良かったけど……。
そう言っておばさんは顔を青白くさせながら震えた。
少年、剣を持って襲いかかる。
最近頻繁に聞いていた。
実際に死人も出ていたぐらいだった。
許せない。悪は消えるのが正解なんだ。
そう思っていたところに、オンドがいた。
一本の角が生えた後ろ姿だったが、オンドだとすぐにわかった。
なぜすぐにわかったんだろう?
少しの間しか一緒にいなかった。
他の森に迷った人はあまり覚えていなかったのに。
血塗られたオンドは何か禍々しかった。
すぐさま切りつけなければ逃げられてしまう。そう思い、剣をオンドめがけて振り落とした。
避けたオンドは今までとは違い、素早く、こちらを見た目つきが鋭かった。
初めて私は恐怖を抱いた。
これまで、私はどんな魔物に対しても恐怖という感情を抱かなかった。なのに、この少年に対して抑えきれない恐怖を抱いてしまった。
動揺を隠すために口元に笑みを浮かべる。
血が飛び散ったオンドの顔を見ると苦しかった。
悪には正義の鉄槌を。
私は次の斬撃を喰らわせた。
きっと軽々と避けるのだろう、そう思っていたが、オンドは少し表情を和らげ、静かに斬られ、殺された。
彼は最期に何を思ったのだろう?
オンドの顔を見ていると不思議と懐かしさが込み上げてくる。
思い出せそうで思い出せない、もどかしい気持ちだった。
この感情が示す真実を、見てみたかった。
私は嫌々ながら、彼の心臓を取り出し、ナイフを刺す。
人のカタチをした魔物はこうしなければ蘇ってしまう。溶けるまで保管しとかないくてはならないと聞いたことがある。
そのまま箱に入れ、街に帰った。
書物を全て読み返した。
魔物のことに関する本。この街に関する本。
今までに撮ってきた写真だって見返した。
そこには、確かにあった。
幼いオンドと私が一緒に写っていた写真が。
二人とも笑いながらカメラに視線を向けている。
私は満面の笑みを浮かべ、オンドは照れ笑いをしながら。
写真だけだったが、仲が良かったことが見てとれた。
涙が溢れ、止まらない。
あの出来事を思い出してしまった。
10年前の出来事だ。
私とオンドは共に5歳になった。
親同士が仲良く、私たちはいつも一緒だった。
今まで5年、生まれた時から一緒に遊び、過ごしてきた親友と呼べる存在だった。
ある日、二人で遊んでいた時、オンドに黒い何かが纏わりついていることに気がついた。
「オンド?何それ」
私はそれに興味を持ち、尋ねた。
「うーん、なんだろう。よくわかんない」
オンドはさほど興味がないのか、わかんないとだけ言って話を終えた。
今思えば、その時のオンドの表情は少し曇ったような気がした。
「ふーん」
私もそれほど深追いをせずに話を終える。
「あ、私クレヨン持ってくるね!」
何を思ったのか。当時の私はクレヨンで絵を描きたいと思った。
オンドはうん、と軽く頷いて折り紙を続ける。
私がクレヨンを持って戻ってきた時、オンドの周りには"境目"ができていたのだ。
境目はどんどん大きくなり、穴が深くなっていく。
そんな状況でも、オンドは変わらず折り紙を続けていた。
どこか雰囲気が違い、オンドの表情は冷たく諦めを伴っているように見えた。
「オンド!?早くこっちきなよ!危ないよ!?」
私は必死に呼びかけるが、オンドは視線をこちらに向けただけだった。
なぜ動かないのだろう?
私は泣きながらオンドに向かって呼びかけ続けた。
何かがオンドを飲み込んでいく。
それは昔からそこにあったかのようにオンドに溶け込んでいた。
「オンド!!」
闇がオンドを飲み込んでいき、離さない。
オンドは折り紙を折り続ける。
少し表情に焦りを含ませた。
しばらくして、オンドが完全に飲み込まれて、消えた。
後に残ったのは、オンドが必死に折り続けていたハリネズミだけだった。
オンドの日記を見つけた。
もう見たくはなかった。
けれど、あの闇はなんだったのか。真実がどうしても知りたかった。
オンドの日記にはほとんどが私のことについて書かれていた。
レットが優しかったとか、犬から守ってくれたとか、こんな僕とも遊んでくれるとか。
読み進めていると、最後のページに辿り着いた。少し大人っぽく、思考が達観しているような書き方で。
"今日はレットに伝えれなかった。明日きっと、僕は消えるんだろう。僕が生まれた時からあった闇は、日々大きくなっている。この世界の中で、僕だけが忌み子であり、魔物なんだ。僕の中の闇が僕を殺すのが見える。これは暗喩?それとも本当に?どちらであっても、これからはレットに会うことはできないだろう。だから、明日は忘れずに、レットにハリネズミを送りたい。レットの幸運を願うために。僕がレットと共にいたことを、忘れないように"
オンドは勘づいていたのか。自分がいなくなってしまうことを。
忘れて欲しくなかった、その思いが苦しいほど伝わってくる。
最後の文字が滲んでいる。
きっと泣いたのだろう。
私は何も知らないまま、忘れたまま、のうのうと生きていた。
そして、彼だったものを殺してしまった。
いや、きっと彼だったのだろう。
殺す前の日々に見ていた夢のオンドは、きっと元の彼だった。
怖がりであり、優しかった彼だった。
闇に飲まれ、血に塗れてしまった彼もまた、元の彼だったんだ。
彼の本質であり、形質だったんだ。
私が気付けなかっただけで、彼はあの時から同じだったんだろう。
あの時は必死に抑えていただけで。
私は正義を味方とし、悪を敵としたが彼は本当の悪だったのか?
親友の本質に気づけぬまま殺した私は、親友とは呼べないのではないか?
最期まで私を理解して、自分を殺させた彼は、どんな気持ちだったのだろう。
私はオンドの心臓の入った箱を開ける。
すでに心臓は溶けきっており、ナイフだけが残っていた。