ナツ
セミがうるさい、夏の昼下がり。
縁側では風鈴が鳴っていて、お盆の上に二つ飲み途中のグラス。その中には麦茶が入っている。ゆらゆらと揺れる風鈴を映し、風に水面を揺らされて小さく揺れる茶色の液体。
夏だ、そう感じる風景だ。
突然、バタバタと騒々しい足音が聞こえ、それは縁側から畳の部屋へと入っていった。カシンッと音がして障子が開けられた。そこには、真赤な着物を着せられて、自分を抱え、うっすら微笑んでいる少女が座っていた。
「ナツ、何てことを・・・」
入ってきた青年は、その場に崩れ落ちた。少女は、夏だというのに厚い内掛けを羽織り、青年の声を聞くと顔を上げ、くすくすと笑い出した。思わずぞっとするような笑顔で、楽しそうに笑っている。
「ナツ・・・おじさんと、おばさんを・・・」
少女の左手の薬指には、青く光る銀色の指輪があった。そして、青年の手にも。二人は婚約者だった。青年の足音に、静まっていたセミが再びうるさく鳴き始める。
「どうして・・・もうすぐ結婚だって決まっていたのに・・・なんでだっ!ナツっ!」
少女の肩を指が白くなるほど強くつかんで、問い詰める。少女はまだ笑っている。
「セイちゃん、おじちゃんとおばちゃんはね、ナツが嫌いなの。ずっと前から嫌いなの」
言いながらなおもくすくすと笑いながら、ナツは魂の抜けた二つの固体を見た。一つを指差して、青年を見る。
「コレはね、おじちゃんの抜け殻。ナツに、ずっと痛いことしてたの」
そしてもう一つを指差して、
「コレはね、おばちゃんの抜け殻。ナツがおじちゃんが痛いことするって言っても、おじちゃんを怒らないで、ナツを怒ったの」
指差していた手をパタッと力なく下ろすと、ナツはまた笑った。
「だからナツもおじちゃんとおばちゃんを怒ったの」
ナツがおじさんから性的な悪戯を受けていたことを、青年は知っていた。知っていて、助ける方法が結婚してこの家を離れることだと思っていた。だけど、それは遅かったのだ。ナツがこの家に預けられて、すでに15年。
青年はナツを抱きしめた。泣きながら抱きしめた。
「ごめん、ナツ・・・ごめん・・・」
抱きしめる青年の肩越しに、ナツは揺れる風鈴を見ていた。美しい音を奏でて、ゆっくりと揺れる風鈴。ナツは、自由になったことへの喜びからか、微笑んだ。
「セイちゃん、バイバイ」
小さく言ったナツの声が青年の耳に届くことはなかった。青年は嗚咽を漏らし、泣いていた。ナツはゆっくり目を閉じる。その目が永遠に開くことは、なかった。