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隣人に愛を

作者: 矢本MAX

誰でも隣人の動向は気になるものです。

それが魅力的な女性であれば特に、ね。

これからの束の間、あなたの心は、この不思議な時間の中へと入っていくのです。

 汝の隣人を愛せよ!

 それが僕の信条だ。

 だから今日も、アパートの隣の部屋の女性の監視を続けている。

 いや、監視などというとちょっとニュアンスが違う。

 愛のまなざしで見守っている、

 という方が正しい。

 これはもちろん、隣人愛を基調とした無償の行為なのである。

 彼女、井村香澄さんが左隣の部屋に引っ越して来たのは、三ヶ月前のことだった。

 特別美人というほどではないのだけれど、食品会社のOLをされている、眼鏡の似合う清楚な感じの人で、僕はいっぺんで気に入ってしまった。

 とても礼儀正しい人でもあり、引っ越しの当日、さっそく引っ越し蕎麦を手に挨拶に来てくれた。

 蕎麦は、最近発売された、人気投票ナンバーワンの蕎麦を水でほぐしてすぐに食べられるようにしたもので、鰹節の出しが利いたつゆと、とろろ芋の真空パックがセットになったもので、蕎麦好きの僕には、最高のプレゼントだった。

 さっそく翌日、お礼に最近人気のスイーツを買ってドアをノックすると、

「わあっ、これ大好きなんです!」

 と言って、とっても喜んでくれた。

 その笑顔が素敵だったので、僕はさらに一層気に入ってしまったという次第である。

 そう、正直に言おう。僕は彼女に惚れ込んでしまったのだ。

 まずは親切にすることだと思い、ゴミ出しの日だとか、このアパート内の暗黙の了解事項などを、彼女に教えてあげた。

 出勤時間や帰宅時間を見計らって、顔を合わす機会を増やし、挨拶することも欠かさなかった。

 二人の距離は、なかなか縮まらなかったけど、確実に好感度は増しているという手応えはあった。

 ところが、急に風向きが変わり始めた!

 一ヶ月ほど前のことだ。

 それまで、時々女友達が遊びに来る程度だった彼女の部屋に、男が現れるようになったのだ。

 しかも男は、長髪に無精ヒゲという、いかにも胡散臭い風体なのだ。

 これは只事ではないと思った僕は、熟考の末、インターネットで盗聴器を購入した。壁に取り付けるタイプのもので、壁の向こうの振動をとらえて、音声として再現するというシンプルなものだが、驚くほど鮮明に隣室の様子を感知することが出来た。

 盗聴器というと聞こえが悪いが、これはあくまでも香澄さんを不審な男から守り、誤った道へと進むことを阻止するための愛の行為、すなわち「愛聴」なのである。

 盗聴器を仕掛けてから三日後、土曜日の午後に例の男が現れた。

「ちょっとマズいことになった」

 部屋に入るなり、男が言った。

「どうしたの?」と香澄さん。

「木山がパクられて、アジトに使っていたアトリエが封鎖された」

 男の正体は、僕が予想していたのよりはるかに危険な存在のようだった。

「どうするの? これから……」

「早急に新しいアジトを確保する。ちょっと心当たりがあるんだ。だから、そこが確保出来るまで、ここに置かせてもらえないか?」

 なんという図々しい男だろう!

 怒り心頭に発し、今すぐにでも隣室に怒鳴り込んで行きたいほどだったが、ぐっとこらえてさらに様子をうかがう。

 香澄さんは「いいわよ」と答えた。ちょっと声が弾んでいるように思えた。「でも、気をつけてね。最近はご近所の眼も厳しいから」

 今度は悲しくなった。

 香澄さん、なんでそんな怪しい男の言うことを聞くんだ?

 涙をこらえながら、その後の会話を注意深く聴いていると、男の正体がだんだん明確になって行った。

 男は、香澄さんの高校時代のクラスメイトで、美術大学を卒業してアルバイトをしながら画家として活動していたが、反政府思想を持つ友人のグループに参加するようになった。非合法の反戦画を描いていたその友人は、当局からマークされ、とうとう逮捕されてしまったというのだ。

 これは大変だ!

 このままでは香澄さんまでもが思想犯の仲間として逮捕されてしまう。

 僕はすぐに隣人局に通報することにした。

 隣人局というのは、国民の一致団結を目標に、隣人同士が助け合い、隣人が誤った道や危険な道に踏み込もうとするのを助けるために、相互監視を奨励し、重要な通報には即座に対応し、特高警察と連携して危険分子を排除し、隣人の平和を守るための政府機関のことで、昨年創設されたのだ。

 通報から十分も経たないうちに、灰色の制服を着た隣人局の職員が特高警察の刑事とともに隣室に押し入り、見事、問題の男を逮捕してくれた。

 残念ながら、香澄さんも参考人として連行されたが、反政府活動との関連が認められないということで、数日で解放された。

「どうもありがとうございました」

 帰宅した香澄さんは、すぐに僕のところに挨拶に来た。連日の取り調べで、眼に見えてやつれてはいたけれど、表情には清々しさがあった。

「誤った道に踏み込むところでした。感謝しています。これからもよろしくお願いしますね」

「いえいえ、隣人として当然のことをしたまでです」

 と僕は誇らしい気持ちで、答えた。

 テレビからは来るべき全面戦争に備えて、国家総動員法が可決されたというニュースが、勇ましい音楽とともに流れている。

                                        了

愛情も過ぎると危険な方向に向かうものです。

これは、明日のあなたの姿なのかも知れません。

それではまたこの、不思議な空間でお逢いしましょう。

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