街を脱出せよ
アパートから出ると、まず、食人鬼たちの大歓迎を受けた。
旅出早々の危機。それも、十人やそこらではなく、もしかするとこの辺り一帯から集まって来たのではないかと思うほどたくさんの数だ。
早速、罪にしか思えない。
「ウギャアアアアアア――!」
一斉に吠える食人鬼を前にして、あたしたちはすぐさま逃げ出した。
しかし、逃げ出すと言っても入り口は囲まれているから、逃げるのは上しかない。
あっという間にアパートの上階まで逆戻り。背後からは大勢の怪物の波。
「淳、なんとかして!」
「なんとかも何もない。に、二階から飛び降りるぞ!」
「む、無理ですっ。死にますっ!」
今は三階。
淳はあたしと茉麻の手を引いて、サッと適当な部屋に引き込む。
そして窓へ駆け寄ると、そこにかかっていた純白のカーテンを引きちぎった。
「これを伝って下まで降りるぞ」
その時ちょうど、後続の食人鬼たちが雪崩れ込んできた。
彼らの原動力は飢え。ただただ飢餓感のままに動いている。淳の攻撃を受けて何体かは大きく負傷しているのだが全く動じることなくこちらに迫っている。
――やばい。
「なんでこうなるのっ!? 最低なんだけど!」
「とにかく今は降りましょう」
茉麻に言われ、あたしは慌ててカーテンを引っ掴む。
淳によって命綱に変えられたカーテンは、地面へ向かってまっすぐに垂らされていた。
「まずはあたしが行く! 茉麻ちゃんは次来て! 淳、お願い」
あたしは彼らの返事を聞き届ける余裕もなく、カーテンに捕まったまま、窓から身を乗り出した。
ふわりを浮遊感を感じたかと思うと、直後に猛烈な落下が始まる。
ああ、なんで今、あたしは落ちてるんだろう。
ぼんやりそう考えながら、全身で地面へダイブしたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
結果的に言えば、なんとか全員助かった。
茉麻は右腕が使い物にならなかったので淳が抱え、下りて来たらしい。あたしはあまりの痛みに失神してしまい、淳の肩の上で目が覚めた。
男の子の肩の上だなんて……。
せめて胸の中であれば良かったのに、これでは米俵みたいだ。あたしは男の子の体と触れ合っているのが恥ずかしいのもあって、なんだか物凄くイライラした。
……と、それはともかく。
「キリがないな」
「ひぃっ」
他二人の声を聞き、あたしは慌てて担がれたままで首を前に回した。
そこにはまた、まるで幽霊のようにふらふらと道を歩く食人鬼たち。
悲鳴を上げる茉麻とあたし。ただ一人冷静を保っていた淳が、全速力で走り出す。
それからは本気の追いかけっこが始まった。
ゴミ箱の影に隠れたと思えば別の食人鬼に見つかり。
人気のない小道を進んでいれば、バッタリ食人鬼集団と遭遇し。
淳の体力もいつまでも保つわけではない。あたしたちは肩から下ろされていたが、それでも彼は限界のようだった。
「クソ。もう走れないのか……」
茉麻はまだ十歳前後。とてもではないが彼をサポートする体力なんてない。
だから当然その役目はあたしに回ってくるわけで。
「ああもうっ。本当に神様がいたら呪ってやる……!」
今度はあたしが茉麻と淳を抱き込んで逃げ惑う番だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二人分の体と、荷物。
重たい。足が鉛のようで動きづらく、肩も鉄でできているのかと錯覚するほどだった。
目的はこの街からの脱出。
それができなければ、当然死ぬ。
きちんと戦える武器があれば良かったのに、と今更思った。
あたしが今手にしているのはナイフ一本だけ。これだけでは接近戦にしかならず、この現状ではまともに扱えるとは思えなかった。
また、目の前に食人鬼集団が現れる。
もうダメだった。
「お母さん! お母さん!」茉麻が泣いている。
泣きたいのはあたしなのに。
あたしは抱えていた二人を地面に下ろすと、とにかくめちゃくちゃに食人鬼たちへ突っ込んでいった。
相手は三人。とりあえず一人を膝蹴りで吹っ飛ばし、そしてもう一人をナイフで刺す。
人間、窮地に陥れば何でもできるものだなとあたしは思った。彼らは見た目は人間だから殺人には違いないのに。
けれど、足も手も使ってしまってもう一人への対応が遅れてしまう。
残った食人鬼があたしへと飛び掛かってきた。
なすすべなく押し倒されるあたし。
その首筋をその女の食人鬼が齧ろうとし――直後、彼女の首から血飛沫が上がった。
何が起こったのかと慌てて顔を上げれば、そこには淳の顔。
彼を見た瞬間に体から力が抜け、あたしは地べたに四肢を広げた。
……どうやら、助かったようだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
どうにか街を脱出した頃には、あたりが薄暗くなっていた。
あたしたち一行は全員満身創痍。まさかここまで厳しい道のりとは思わなかった。油断していたようだ。
「やっぱりこの世界は、平和なんてないんだね」
ポツリとあたしが呟くと、茉麻が俯き加減に頷く。
この先あたしは、あたしたちは、あとどれくらい生きられるのだろうか。
「とにかく今日は野宿の場所を探そう。できれば、誰にも見つからない場所がいいな」
「――そうだね」
よろよろとした足取りで、夜を過ごせる場所を探し始めた。




