少女の処遇
「わ、私っ。死にたくない。死にたくない……。お、お姉さん。私を助けてくれますかっ。私、私!」
噛まれた腕の傷を隠すようにしながら、茉麻があたしに泣きすがった。
本当にまだ小さな少女だ。おそらく十歳少しだろうと思える。
彼女は確実に腕を噛まれていた。
食人鬼の寄生虫は、噛まれればたちまちに感染るのだとまだ健在であった頃のテレビニュースが言っていたのを思い出す。
つまり茉麻はもう手遅れなのだ。
「いつ、噛まれたの」
「さっき……。お母さんと逃げ、逃げてて、お母さんが殺されて、一人で。一人で逃げてたら、見つかって……」
「そうなんだ」
別にあたしに何ができるわけでもない。
一度噛まれてしまえば、素人にはどうすることもできないのだ。噛まれた部分を切断したり、何かの薬を投与してみたりという実験があったそうだが、それは有効ではなかったらしい。
つまり、茉麻にしてあげられることは皆無だった。
どうして、こんなに小さくて可愛い女の子が死ななければならないのだろう。
国からは『噛まれた人間は無条件で殺せ』との命令が出ていたはず。だから本当はあたしは、この子を殺さなくてはならないのだけれど。
「そんなこと……できないよ」
不安そうにあたしを見つめるこの少女を、どうしてこの手で殺すことができるだろう。
本当なら助けてあげたいのに。あれが後数分早ければ、彼女は噛まれないで済んだかも知れないのに。
ここ数日が平和すぎたから、受けたショックは小さくない。
この終末世界の不条理な運命を今更ながら嘆きたくなった。
その時、どこかの部屋から探して来たらしい包帯を手にした淳が戻って来た。
彼はあたしと茉麻を交互に見る。そして一言、
「この子、どうするんだ?」
言外に「殺すか?」という意味を含んだ問いかけをしてきた。
「――」あたしは思わず沈黙する。
確かに、このままでは彼女は食人鬼になるだろう。そうしたら理性を失って暴れ出す。でも、それでも。
「包帯、巻いてあげて。あたしが連れて行く」
あるはずもない奇跡に縋ることに決めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
淳のような、人間の思考を保った食人鬼がこの世界にどれだけいるのか。
きっと万分の一よりも少ないのではないかと思う。しかし、やはり幼い少女を目の前にして、それを殺そうだなんて思えなくて。
だから、彼女が暴れ出したら必ず自分の手で殺すと誓って、彼女を連れ歩くことに決めた。
淳はきっとあたしの考えがわかったのだろう。渋い顔をしながら唸った。だが、本人がいる手前、「殺した方が」などと言えるはずもない。
彼はあたしに囁くように尋ねた。
「死ぬかも知れないぞ。それでもいいのか?」
「いいよ。……あたしは絶対に死んでやらないから」
とにかくここに長く居るわけにはいかない。
バリケードが破られた――というより、逃亡の途中で茉麻が壊してしまったらしいが――以上、ここはもう安全地帯ではないのだ。それに、あんなに騒いでしまったのだから、食人鬼が集まってくる可能性だってある。
「出発しようか」
「は、はい……。すみません」
申し訳なさそうに頭を垂れる茉麻を、あたしは思わず抱きしめる。
あたしと同じで彼女にももう家族はいない。だからあたしが、この子の姉になって最期を看取ってあげなくては。
「この先が思いやられるな」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
茉麻の支度は簡易的なものになった。
あたしのブカブカの服を貸してあげ、最低限身なりを整える。さすがに血まみれの格好では見苦しいから。
腕に包帯を巻き、とりあえずは止血。彼女の分の荷物はないが、その点はおそらく心配ないだろう。
普通の女子高生、殺人鬼の少年、殺人鬼未満の幼い少女。
奇妙な取り合わせの三人は、こうして今度こそ住み慣れたアパートを離れ、新天地を求めて旅立つことになる。
――この先に待ち受けていることへ、それぞれに大きな不安を胸に抱えたまま。




