生贄
「私たちをどうする気……!?」
「嫌ぁ、嫌ぁっ」
「クソったれ……。どうにかならねえのかよ!」
声がする。
あれは確か、ええと、誰だっけ。
あたしは鉛のように重たい瞼をゆっくりと持ち上げた。
今日は高校へ行く日だったろうか……そう思いながらふと身を起こそうとして、気づく。自分の手足がロープで縛られていることに。
「……?」
その瞬間、ぼんやりしていた頭に激痛が走った。
そうか、そうだった。今の状況を瞬時に思い出す。
両親はもういない。食人鬼二人と人間の女性一人と一緒に行動を共にしていて、そして、車に乗って。
「捕まった、のか」
「お姉さん、起きてくれたんですね!」
小さく声を漏らした瞬間、幼い少女が飛びついてくる。
茉麻だ。でも彼女も両腕を思い切り縛られていて、飛びつくというよりはあたしの腹に乗っかってきたと言った方が正しいだろう。
「ま、茉麻ちゃん、重いっ!」
「ごめんなさいっ。つい……」
そう言って涙ぐむ茉麻の頬は赤く腫れ上がっていた。
誰かに打たれたに違いない。そう思い、胸の奥から怒りが湧き上がって来る。
「あんたも起きたのか。頭を強くやられたみたいだから心配したが、声が出せたところを見ると無事みたいだな」
「淳……。ねぇ、この状況一体どういうことなの? あたしたち、なんで」
今はカビ臭い地下室のようなところに、淳と茉麻、桜田、それにあたしがそれぞれ手足を縛られて放り込まれているという状態だ。
見渡す限り他には誰もいない。地下室の出入り口が施錠されていてまるで――否、まさに檻そのものだった。
気絶する前、車を襲って来たあの武装集団の仕業だろうとあたしは思ったし、それは当然ながら間違っていなかった。
「なんで私がこんな目に遭わなくちゃならないのよ。私が何をしたっていうのよ……」
この四人の中で最年長である桜田が目に涙を浮かべて呟く。
大人気ない、とはこの状況ではとてもとても言えなかった。食人鬼に襲われるならともかく、同じ人間に襲われたのは辛いし悲しい。
まだあの学校の教員たちの動機なら頷ける。しかし今回は顔も知らぬ相手に襲われた上、人間であるあたしたちもまとめて殺されようとしているのだ。
痛む頭を抑えてなんとか身を起こしたあたしは、ここからどうやって抜け出せばいいのだろうと考えた。
あたしにはやらなければならないことがある。だからこんなところで捕まって死ぬつもりなど、毛頭ない。けれどどうすればいいのか、その方法がわからなかった。
ロープを噛みちぎる? それができてもあの檻はどうする。いくら食人鬼の力であっても、鉄は噛み砕くことができない。
であれば他の逃げ道があるのかと言えば、この地下室には一切の脱出経路が見当たらなかった。まさに牢屋だ。
相手と話して交渉してみる? それも手だが、果たしてそれができるだろうか……。
と、その時だった。
暗い、薄ぼんやりと蛍光灯で照らされただけの地下室に足音が響き、その人物が現れたのは。
「出ろ。時間だ」
それはあの武装集団の長。真ん中に立っていた男だった。
突然の訪問者にあたしは思わず息を呑み、と同時に体を震わせる。
だってその男は今も大きな斧を手にしていたのだから。
「――――」
この男がどういうつもりで呼びに来たのかはともかく、絶対に何か良くないことが始まる。それをこの場の皆が感じ取り硬直した。
しかし、彼はあたしたちの返事を待つことなく、四人まとめて引きずって上階へ向かって歩き出してしまう。抵抗しようと思ったが殴られた記憶が蘇り、できなかった。
あれが人生で初めて殴られた瞬間であり、思い出すだけでとてつもなく怖かったのだ。
そのまま、あたしたち四人はとある場所へ連れて来られた。
どうやらここは元々ショッピングモールらしく、先ほどの檻は倉庫だったらしい。それに後から檻を取り付けたのだろう。
そして今やって来たばかりのところは、だだっ広い通路だった。本当に何もなく、空き店舗に囲まれてがらんどうの場所。しかしそこには五十人近くの人間が集い、こちらを待ち構えていた。
「やっと来たか」
「遅かったじゃないか」
「早く祈りを」
群衆が、リーダーと見られる例の男に囁く。
ここに集まっている彼らは武装集団の一味なのだろう。あたしたちを見ては指差し、「生贄だ」「生贄の儀式だ」と騒ぎ立てる。
生贄と言えば旱の時に池に沈められるような……ああいうことなのだろうか?
考えるだけでゾッとした。
「生贄って何のことなのよ!」とうとう桜田が耐え切れなくなって金切り声を上げた。「あなたたちどういうつもりか知らないけど、こんなことをしていいと思ってるの!?」
その瞬間、あたしたちの体がドンっと床に叩きつけられる。
どうやら運んでいた男が激昂したようだった。
「ああもちろんだ! 神は今、怒り、嘆いておられる。その怒りを鎮めるにはこの方法しかないのだ。お前たちは生贄が嫌だというのか」
……いやいや、そんな話を急に聞かされましても。
もし心の余裕があればそうツッコミを入れていたに違いない。唐突すぎて笑ってしまうくらいの話だった。
でもその場にいればそういうわけにもいかない。ましてや自分が殺される側だ。
そんな怪しい宗教のような話を聞かされても、「喜んで身を捧げます!」だなんて誰が言うだろう。
でも男たちはこう言う。
今、世界が食人鬼で溢れているのは神の罰なのだと。だからそれに償いを見せるべく、多数の人の命が必要なのだと。
「我らはすでに百人の命を天へ捧げている。これが千に達した時、我らが報われる時は来るのだ」
武装集団――というよりかは宗教団体と言った方がいい彼らの年齢層は様々だ。
リーダーの男が三十代。その他は老人から子供まで幅広い年代がいるが、皆、狂ったような目でこちらを見ている。
もはや生贄を捧げれば自分たちは救われると信じて疑っていないらしい。
しかしそんなので救われるはずがないではないか。
あたしは内心、怒りに震えた。そんなことのために彼らは百人も殺して来たのか――想像するだけで恐ろしい。
「嫌……死にたくないです……神様、助けて……」茉麻の震える声がした。
彼らの言い分に乗っ取って言えば、その神様があたしたちの命を欲しているというのだから笑えない。
そんなわけのわからない天罰に殺されるわけにはいかなかった。
だから――。
「これより、生贄の儀を始める!」
そう宣言し、斧を高々と掲げたリーダーの男。
しかし直後――ドスンと低音が響き、あたりに血が飛び散ったのだった。




