世界で一番怖いのは
「暇ですね」
「暇だよね〜」
車旅を始めてから五日が経った。
普通に行けば今頃着いていても全然おかしくないのだが、食人鬼から隠れて山の近くを走ったりしていたために思っていた以上には進んでいない。
後二、三日で着くであろうと思われる。だがしかし、ただ車に乗ってじっとしていることしかできないあたしたちは有り余る暇に喘いでいた。
幸いなことに別に大きな事件はない。
暗い話題を避けて明るい話をしようと心がけていたが、それも数日で尽きてしまった。
後は沈黙が落ちるだけ……。ゲームもなければスマホも使えず、ただただ暇。暇すぎる。
「平和なのはいいことじゃない。食人鬼に襲われた方が楽しいのかしら?」
桜田の言葉に、あたしは「とんでもない」と首をぶんぶん振った。
でも、とはいえやはり暇には違いないのだが。
「仕方ないのかな……」
と、その時、運転席から声がした。
「今から高速道路を走るぞ。気をつけろ」
「え、高速道路? 大丈夫なの?」
「下道じゃどうしても行けないところがあるから仕方ない。できるだけ安全運転を心がけるが」
青い軽自動車がエンジンを吹かしながら、高速の乗り口へ向かって突き進んでいく。
初心者が高速道路を走るのは少し心配だが、でもまあ淳なら何とかやるだろう。あたしはそう思っていた。
しかしそれが到底甘い考えであったことを、半時間後に知ることになる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
高速道路には倒れた車両がゴロゴロと転がっていた。
混乱の中で事故を起こしたのだろうか。中でぐちゃぐちゃになっている死体が見えた気がするが気にしない気にしない。
「ああ、この高速道路懐かしいな……」
車窓から町を見下ろしていた茉麻がそう言ったので、あたしは訊いてみた。「茉麻ちゃんはここ、来たことあるの?」
ここは、あたしの故郷の街から結構離れた場所だ。
茉麻もあたしの住んでいたアパートからそこまで遠くない一軒家で暮らしていたらしいので、こんなところまで来ていたのは意外だった。
「あの、お盆の里帰りで毎日よく通ってたんです。お母さんの運転する車で……。田舎のおばあちゃんたちに会うのが毎年の楽しみだったんです。次のお盆も、また会えるでしょうか」
遠くを見る目をしながら幼い少女が呟いた言葉に、あたしは何と返事をしていいかわからなかった。
「また会えるよ」だなんて言えない。もしかしたらその田舎とやらは食人鬼で溢れかえり、死体の山が積み上がっているかも知れないからだ。
あたしは家族を失った今、もう他に思い出の人はいない。だから茉麻の気持ちは本当のところ共感してあげられない。
あたしは今、ここにいる人たちが全てでありそれを守り抜かなければならないだけだ。
沈黙が流れる中、少し重たくなってしまった空気を和らげたのは桜田だった。
「次のお盆が来たら会いに行きましょう。私も実は母とは連絡が取れていないの。……そのためにも私たちはちゃんと生き延びなくてはね」
「……はいっ」
最初でこそ食人鬼である茉麻たちに疑心を抱いていた桜田も、もうすっかり仲間だ。
あたしは彼女らのやりとりを微笑ましく横目で見ていた。
だがしかし、そのほんの少しの静かなひとときが続くはずもなかった。
「――? なんだ、あれ」
車のハンドルを握っていた淳が突然、前を指差したのである。
何事だろうと思い慌てて前を見たあたし。するとそこには――。
「……えっ」
斧、槍、鉄パイプ。
ありとあらゆる武器を手にした集団が、目の前にずらりと立ちはだかっていたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「そこの奴ら、止まれ!」
武装集団の中央に立つ男が声を張り上げる。
男は、西洋の死神が掲げていそうな大斧をこちらへ向けていた。
淳が訊いてくる。「あいつら、どうする」
「轢き殺しなさい」桜田がすぐに答えた。「相手がどういうつもりであれ、ああいう連中に捕まれば命はない」
第一、話している間に距離が接近しすぎていてもはやブレーキをかけるにもかけられなかったようだ。
「きゃっ」
「いやぁ!」
茉麻とあたしの悲鳴が重なる。車はそのまま男たちへと突っ込んでいった。
――だが。
「――――」
ブシュッと破裂するような音がして、突然に速度が緩む。
そのまま男が立っていた場所の寸前で停車してしまった。
一体、何が起こったのか。
思わず目を閉じてしまっていたあたしは慌てて目を開け、その状況を知った。
地面に無数の釘がばら撒かれており、それによって車のタイヤがパンクしたのだと。
「クソ……!」
もう逃げ場はない。
車の窓など簡単に破られてしまうだろう。相手はありとあらゆる武器を持っている。幸いにも銃はないが、それでも危険は危険だ。
再び車を動かそうにもどうやったって走れるはずがなかった。すぐに武装集団に車を取り囲まれてしまう。
先ほど、進むのではなく引き返すという選択肢を取っていれば。今更ながらそう思ったが、もう遅い。
男が怒鳴った。
「今すぐドアを開けろ。応じなければここで殺す」
「わかった。わかったから」これは降参するしかなかった。「殺さないでくれ」
「お姉さん、怖い……」
「大丈夫だよ茉麻ちゃん。なんとかするから」
武器を向けられ泣き出す茉麻を、あたしはただ抱きしめることしかできなかった。
今、あたしの胸の中にあるのは疑問と不安。まずこの集団は何者なのか。なぜ襲って来たのか。
そして淳と茉麻が彼らを殺さなければ切り抜けられないような事態になるのではないかという恐怖だった。
「助けて」と心の中で叫んだが、もちろん助けが来るはずもなく、あたしたちは武装集団によって車を降ろされる。
そしてすぐさま縄で縛られ、身動きが取れなくなってしまった。
「あなたたち、何をするの!」
桜田が叫ぶが、その声に誰も耳を貸さない。
あたしも泣きそうだった。どうして? 昨日まで、いいや先ほどまで何もかも順調だったはずなのに。怖い。殺されるかも知れないと思うとどうしようもなくて、震えが止まらなくなる。
淳はしばらくロープを噛みちぎろうとしていたが、男たちに暴行を受けて気絶させられてしまった。
茉麻はどうなったのだろう。別々に縛られてしまったから見えないが、遠くで彼女の呻き声が聞こえた気がする。
「茉麻ちゃん!」あたしは暴れた。「離してよっ!」
しかしその抵抗も虚しく、何度か頭を殴りつけられてしまい、あまりの痛みに動けなくなった。
「――さあ、お前らをとっておきの場所へ連れて行ってやろう。話はそれからだ」
食人鬼がいないからと言って油断していた。しかしそれは大きな間違いだったのだ。以前の高校の件で学んでおけば良かったのに。
平和ボケしすぎていた。先ほどまで暇だ暇だと言っていた自分へ文句を言ってやりたくなる。
この世界で一番怖いもの。
それはやはり人間に違いない……遠のく意識の中でそう考えた直後、世界が暗転した。




