食人鬼の少年
吐き気に苛まれ続ける。
やっとのことで立ち上がり、あたしは大きく息をした。目の前に横たわる死体からできるだけ意識を外そうとするが、そんなことができるはずもない。
性別不詳の死体の横、そこには親子と思わしき大小の亡骸がある。
そのさらに奥にはすっかり歪んでしまった骨だけの死体。眼球だけがドロリと溶け出していて、気持ち悪さにまたえづきそうになる。
もうこの街は、世界は、終わってしまっていた。
あたしはこのまま引き返そうかどうかと悩む。
どうせもう食料を求めて街を彷徨い、集められたところで何の意味もないのはわかった。でもやはり死にたくはない。死ぬのが怖い。
「ど、どうしよう……」
しかし、その一瞬の迷いが命取りとなった。
何故ならすぐ背後から獣のような声が聞こえてきたからだ。
「ガルル、ガァ、ガルゥ!」
それは、目を血走らせて口から血を滴らせる男だった。
この顔は見たことがある。確かあたしの隣の部屋に住んでいたおじさんだ。
最近見ないなと思っていたが、食人鬼になっていたのか……。もはや人間らしい面影はなく瞳に理性は感じられない。
あたしは、猛然とこちらへ駆けてくるおじさんの姿に身を固くした。
どうしたらいい?
逃げる? 逃げなきゃ。でも足が動かなかった。
どうする。殺されるのは嫌だ。食べられたくない。死にたくない。
どんどんどんどん迫ってくる。
ああ、もうダメだ。逃げるにしたって間に合わない。運動部だったとはいえあたしは女子高生。噛まれたのかして足に傷があるにせよ、おじさんの方が足が速いのは確実だ。
――これ、詰んだわ。
そう思ったその時だった。
おじさんの頭が何かの衝撃に吹っ飛び、体が地面に勢いよく崩れ落ちたのは。
「は……?」
今何が起こったのかが分からず、あたしは変な声を漏らす。
そして視線を巡らせた先――そこに一人の少年が立っていることに気づく。
中学生らしき学ラン服。
しかし、右手に血が染みついたノコギリを持ち、髪を乱したその姿は先ほどとはまた違う恐怖を感じさせた。
「大丈夫か、あんた」
少年があたしへ向かって問いを投げる。
一体何なんだろうこいつは。おじさんの首をノコギリでぶった斬ったことはやっとのことで理解した。つまり彼は……味方ということ?
「え、えっと。その、んと、大丈夫。ありがとう」やっと声が出た。「あなた誰?」
その瞬間、じゅる、と音が聞こえた。
何かと思えば少年の口元から聞こえる。……嫌な予感しかしないのだが。
「事情は後でだ。とりあえず、あいつの肉を食わせてくれ」
そう言って少年は地面へしゃがみ込み、そこに横たわるおじさんの死体をがっつき始めたのだった。
あたしはあまりのことに言葉を失ってただ突っ立っていることしかできなかったのである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「待たせた、ごめんな。
それでさっきの質問の答えだが……俺は、食人鬼だ」
おじさんの遺体を食した後。
口の周りを血で汚す少年は、あたしに笑顔でそう宣言していた。




