西へ向けての旅立ち
「――ごめん、なさいっ。私、怖くて……!」
会議室に響くのは、茉麻のすすり泣く声だ。
誰も彼女を咎める者はいない。だが、ただただ沈黙が落ちていた。
結果から言えば、あれは反乱のようなものだった。
食人鬼をただで生かしておくという校長の方針を嫌った教員たちがまとまって、こっそり食人鬼を始末してしまおうという話になったのだという。
そしてそれに気づき、止めに入った校長は殺された。そして茉麻と淳のいる保健室へ実行犯の教師が立ち入り――。
死の危険を感じた茉麻が、本能のままに彼を噛み殺そうとしたのだ。
こうなる可能性を考えておけば良かった。
あたしが外に行ったりしなければ防げたかも知れない。なのに迂闊にも目を離してしまったから。
「あなたたちが責任を感じる必要はないわ。……でも、弱ったわね」
そう言ったのは桜田だ。
彼女はこの事件には直接関与していなかった。食人鬼を快く思っていなかったのは桜田も一緒だが、校長と割合仲良くしていた彼女は、食人鬼殺害計画から外されていたらしい。
ちなみに企んだ教員五人は縄で拘束され、別室に入れられている。
「でも……。私、人を殺そうとしたんです。嫌だって、あんなに思ってたのに」
茉麻は、食人鬼になってしまった。
だから人の肉を食べたいと思うのは当然だろう。それを今までは死体で押さえていたが、窮地に陥ったというせいで、人を噛み殺そうとした。
その事実が彼女にとっては恐ろしいのだろう。いつまた人を食べようとしてもおかしくないのだから。
彼女を哀れに思うと同時に、あたしは「間に合って良かった」と心から思う。
もしもあの時、本当に茉麻が生きた人間の肉を食べ、殺していたとしたら、あたしの手で茉麻を殺さざるを得なかっただろう。
そんなこと、考えたくもなかった。
「……ごめんね。今度から絶対、あたしが助けてあげるから。だから、心配しないで」
「お姉さん、でも」
「あたしはあなたのことを妹みたいに思ってるんだ。だから最後まで……平和に暮らせるようになるまであなたを守ってあげようって決めたの」
途端に茉麻がうわあっと泣き出す。
なんて可愛いんだろうと思った。その温もりを感じながら、あたしは、
「それで、桜田先生。他の教員たちの処遇はどうしますか」
あたしたちの様子を悩ましげに見ている彼女へ、そう問いを投げかけたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
校長を殺した教員たちは当然ながら同行させない。彼らは大いに反省してもらうため、食人鬼たちの集う体育館に入ってもらった。
そうしてあたしたちは用意した物資を持ってこの学校を立ち去ることになった。
メンバーはあたしと茉麻、桜田、そして――。
「淳、気がついたんだね!」
ベッドの上で目を覚ました彼に、あたしは思わず抱きついていた。
あの事件の翌朝のことだ。三日三晩以上悶え苦しんでいた淳がやっと意識を取り戻したのは。
「ああ……あんた、か」
「良かった。もう二度と起きてくれないんじゃないかと思ったよ」
「なんとか助かったんだな、俺は」
まだ体が痛むらしいが、どうやら淳は無事のようだった。
あたしは心から安堵のため息を漏らすと、その場に崩れ落ちてしまった。それほどに嬉しかったのだ。
こうしてメンバーは揃った。
皆が皆万全とは程遠い。それでも果たさなければいけない目的がある以上、旅出は早いに越したことはないだろう。
「……旅立つのね」
桜田がなんだか寂しそうに言った。
彼女としては数年働いた職場である。気持ちはわかるような気がするが、もはやその機能を果たしていない以上は何の意味もないのだ。
食人鬼から身を守るにはもってこいの学校。離れるのは惜しいが、しかしここが安全でない以上留まることはできない。
あたしたちはこの地に別れを告げると、遥か西の方へと向かって、旅立ったのだった。
――きっと救いの道はあると信じながら。