淳の願い
茉麻の暴走を抑えられたのは、人肉を与えたからだ。
寄生虫に乗っ取られ、食人鬼と化すのは人肉を口にしたいという狂気とも言える欲望があるためだ。だからそれをきちんと与えていれば、食人鬼化するのを遅らせることができるのではないか。
それが淳の推論であり、実行に移したのだという。
そしてその方法は見事に成功したのだった。
一番怖かったのは茉麻だったはずなのに、あたしが大号泣してしまったものだから、むしろ彼女らは落ち着いたようだ。
茉麻は震えながら、地面に座ってあたしの手を握ってくれている。全く立場が逆だなと思い、あたしは情けなくなった。
「……ごめんね。あたしが泣くなんておかしいのに」
「お姉さん、ごめんなさい。私、迷惑かけて……」
「茉麻ちゃんは何も悪くないよ。悪いのは、世界なんだから」
そう言いながら、互いに言葉を交わす。
ああ、本当に良かった。あのまま彼女が食人鬼になってしまっていたら、あたしまで気が狂ってしまったのではないかと思う。
そんなあたしたちに、その様子を見ていた淳が言った。
「多分、しばらくは安全だと思う。茉麻はまた食欲が堪えられなくなったら俺に言ってくれ。適当な奴を探してやる」
「は、はい……」
「一度食人鬼になった俺たちには肉を食べる道しかないんだ。諦めろ。他の物を食べても、それは満たされないぞ」
「わかり、ました」
涙目の茉麻が頷く。
あたしはそれをただ見つめることしかできなかった。人肉しか食べることができないだなんて、どんなに残酷な話なのだろうか。
あたしだったら間違いなく死んでしまいたくなる。
「お前は、運が良かったらそのまま理性を保てるかも知れない。食べても限界だった時は自死だ。わかったな? ――よし、いい子だ」
大人しく言うことを聞く茉麻に、淳が微笑みかける。
それだけであたしも茉麻も、まるで救われたような気分になった。
「茉麻ちゃんは助かるの?」
「わからん。今のところ正気を保てているのが遅いだけなのか俺と同じタイプなのかはまだ判別がつかない。が、今のままであれば大丈夫だと思う」
「そうなんだ」
思わず胸を撫で下ろすあたし。
その時、突然淳が咳払いをした。
「あんたに頼みたいことがある」
「何?」驚きつつ、あたしは首を傾げる。
そして彼は言った。
「俺たち食人鬼を、救ってほしいんだ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
彼があたしに頼んできたのは、食人鬼を救ってほしいという、あまりにも無茶な話だった。
彼らだって本来は普通の人間なのだ。あたしの母だって、茉麻だって、淳だって、元々は社会の中で生き家族を愛する真っ当な人間だった。
それをどうしようもなく歪めたのはこの世界だ。
「俺も最初は仕方がないことだって思ってたよ。でも……怖い。怖いんだ。いつか自分が自分じゃなくなって、あんたを襲ってしまうんじゃないかと思うと。今も食べたくて食べたくて気が狂いそうなんだ」
「…………」
あたしは言葉を失い、彼を見つめた。
あたしより一回りほど小さな体格の少年がそこにいる。涙ぐむ姿がとても愛おしくて、胸が痛くなる。
茉麻は淳を見上げて戸惑っていた。
「お、お兄さんも、食人鬼なんですか?」
「そうか、まだ言ってなかったか。両親は殺されて、俺も二週間前に噛まれた。……その時は死んでもいいって覚悟したんだ。でもあんたに出会って、この子を見て、気持ちが変わった。一緒に生きていきたい、だから俺は助かりたい。この苦しみから助けてほしい」
正直、「何言ってるの?」と言わざるを得ないことだ。
食人鬼になった彼らの苦しみは到底あたしなんかに理解できないことだろうし、もしもあたしが目の前の人間を食べたくなってしまったらと思うとゾッとする。
なんとかしてあげたい。だが、ただの女子高生で、何の力もないあたしに頼まれたってどうしろというのだろう。
でも、あたしは彼と、彼らと仲良くなってしまったから。
「――大丈夫だよ。あたしが、助けてあげる」
淳の頬にキスをした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あたしたちが求めるのは平和。
ただただ平穏な暮らしがしたい。化け物に怯えるでもなく、狂おしい食欲に喘ぐでもない、普通の日常がいい。
そして、人と人が互いに愛し合える世界を目指して。
――ただの高校生でしかなかったあたしは、食人鬼になってしまった彼らを救う決意をしたのである。