平和が壊れた世界で
どうしてこんなことになってしまったのか。一体誰が悪かったのかはわからない。
あたしはアパートの中で一人、閉じこもっている。
外にはもう一週間以上出ていない。集めた食品も尽きかけていて、そろそろ集めに行かなければならない。
電気は止まっているし、ラジオをつけても雑音が流れるだけ。
他の人はまだこの世界に生き残っているんだろうか。それを確かめる勇気もないまま、あたしはため息を漏らした。
この世界は終わりに近づいている。
二ヶ月前、日本より西に位置するとある国で暴動が起きた。
元々治安が悪い国だったが、しかしその暴動は特別だった。何しろ、人が人を食らうという恐ろしい事件が起こったのだから……。
そして腕を食べられた人が病院に運ばれ、その先でも事件が起こる。被害者が突然唸り出し、同じようにして病院の人々を襲い始めたからだ。
ニュース映像で流れたのは、まるでゾンビゲームのようだった。
その病は『食人鬼』と名付けられることになる。
死んでいない点を除けば、ゾンビと同じようなものだ。脳内になんらかの寄生虫が棲みつき、同族で殺し合いその肉体を食らうようになるのだという。
それはたちまち世界中に広がった。最初に発生した国は三日足らずで崩壊、他の国も次々とその脅威に晒され、やがてこの日本にも上陸。
大きな都市が滅び、たくさんの死傷者が出た。
食人鬼に襲われれば即死か、はたまた自分も食人鬼になる未来しかない。そんな中でどれほどの者が絶望して命を絶ったのだろうか。
学校に通い、部活をし、大学を目指していた。ゲームが大好きで暇さえあればやっていた。
そんなごくごく普通の女子高生であったあたしはすっかり変わってしまった世界の中、取り残された一人だ。
母は襲われて食人鬼になった。それを殺した後、父は自殺した。
父が最後に残した言葉は「お前は生き残れ……」というあまりにも残酷なもので。
だからあたしは、死ぬに死ねずにアパートに引きこもりここ数日を過ごしていたのだ。しかしそれももう終わり。外に出るしか、ない。
「ひっ……」
窓を開けた。
外を見れば誰もいない。それなのに悲鳴を上げてしまい、あたしはハッとなる。
食人鬼は人間と同じ五感を持つ。だから、声を立てるのは見つかる原因になるというのに。
あたしは慌てて窓を閉める。そしてアパートの部屋を出て、下へ降りることを決心した。
きっとあたしは生きて戻ってくることができないだろう。
そんな風に思いながら、しかしこもっていても死ぬのは同じ。怖いのを必死に我慢し、進んだ。
胸がドキドキした。息を殺しながら無人の道を歩いていく。
街は静かだ。静かすぎる。まるで死んでいるみたいな街の中を歩き、ふととある物に視線が釘付けになった。
それは道端に転がる死体だった。
年齢も性別も分からなくなってしまったボロボロの亡骸。ほんの少し残っている肉にうじ虫が集り、なんとも言えない汚臭を放っていた。
買い出しを行っていた母が噛まれてしまってから、あたしはずっとアパートにいた。
だからこんな光景を見るのは初めてで……、だから当然耐えられるはずもなく。
「お、おえっ、あ、うぇえっ」
黄色い胃酸を吐き出し、あたしは蹲る。
それでも足らず、さらに呻いた。女子なのにみっともないなんて考える余裕もなかった。口の中が酸っぱい。目に涙が溜まる。
その道には他にも折り重なるようにして死体の山が並んでいた。
それを前にしてあたしは、深い絶望と恐怖を一緒に味わったのである。