湖畔の逃走。森の戦闘
彼女はもう人間から離れ始めてる。
5月19日(土)23:15 逃げないと
深緑の湖畔
──何で?
──どうして?
幾つもの疑問が頭に湧いて消えていく。今はそんな場合では無いと私の本能が叫ぶ。
──逃げろ。
でもどこに?どうやって?そもそも私はどうやってここへ来た?さっきはどうして出られた?
解らない。今の私には何も解らない。
──カサッ
「──っ!?」
近くの茂みで物音がした。私と同じで誰かここに来たのか?
そんな希望は次の瞬間に呆気なく崩れ去る。
──ヒュッ!
「ひっ──!?」
咄嗟に屈まなければ私の頭は何かに貫かれていたと思う。その後の私は早かった。
屈んだ体勢からクラウチングスタートの要領で走る。とにかくここに居ては危険だ。走って逃げるしか無い。
幸いここは整備された散歩道。それに空の満月で思ったよりも視界は明るい。
鏡みたいに像がそっくりな世界。隣り合っている世界。だから隣接世界。
今の私はそんな特性に救われている。
──今の内に出しておかないと。
行く先が暫く平坦なのを見て私は自身の内側に意識を埋没させる。私が意識の海と呼んでいる領域。そこにぷかぷか浮かぶ二振りの剣銃。迷い無くそれに手を伸ばす。
現実に戻ってくると背中が熱いと感じた。いきなりのことで何が起こったのか解らない。熱源に手を伸ばすと細長くて硬い物が私の背から生えている。
「うぁ“…!?」
自覚した途端に熱が痛みに変わる。
恐らく人生で感じることは殆ど無い感覚の筈だ。背中から体内に異物が入り込む事なんて。
──射掛けられた。
そう理解するのに時間は掛からなかった。
──ヒュヒュヒュ!
音は小さいが背後から何かが空気を切り裂く音と共に飛んでくる。私の強化された聴覚が普段は聞こえないはずのそんな小さな音を捉えていた。
「──くっ!」
手にした拳銃の峰で私に届きそうな矢を叩き落とす。かなり無理のある姿勢の上、背中に刺さった矢が私の動きに合わせて傷口を広げてくる。
それでもバランスを崩さずに走っていられるのは中学時代の走り込みの成果か、はたまた生存本能の成せる業か。
そう考えている間にも背後からは無数の矢に射掛けられている。飛んでくる矢をの全てを落とすことは私には無理が有ったようで、既に2本目3本目の矢が背中に突き刺さり、その度に動きが鈍っていくのを感じる。
そうして暫く走っていると矢の勢いが少しずつ弱くなっていく。全ての矢を撃ち尽くしたのか、または単純に矢の届かない距離まで間隔を離したのか。何れにしても反撃のチャンスが来た。
音で何となく矢の発射位置は特定できてる。あとはその方向に向かって銃撃。引き金を引いた瞬間に体から何かが抜ける感覚。多分これが魔力という物を消費しているのだろう。
遠くで何かが倒れる音。それと共に動揺する気配。命中。射撃が止まった。その隙に距離を離す。
走る最中にも不規則な間隔で牽制の銃撃。当てるつもりは無かったが、2発に1回の割合で何者かが倒れる音がする。
私の射撃を警戒してか、無闇に攻撃してくることは無くなった。私は辺りを警戒しながら安全な場所を探して回ることになった。
◇ ◇ ◇
同日23:40 スマホの時計は動くみたい
深緑の湖畔:岩室
「──っ…ぅあ“あ“」
背中に刺さった矢を慎重に引き抜く。
嘘です。自分一人でそんな器用な真似が出来るわけが無い。とにかく勢いに任せて乱暴に引き抜く。こういうのは躊躇した分だけ痛みが長引く。そう考えて全身に走る激痛を意志力で捻じ伏せて全て引き抜く。
あとは私の驚異的な自然治癒で治るのを待つだけだ。
「はぁ…はぁ…うっ…」
──痛い。やっぱり痛いマジで痛い本気で痛い洒落になんないくらい痛い。
安全に休める場所に着いたと思って気を抜いたら、思い出したように全身を激しい痛みが走る。
逃げている最中は火事場の馬鹿力か何かが働いてたのか、殆どの感覚にフィルターが掛かっていた。今こうして痛みを感じられるのは生きて居ることの証なのだろうか。
「──っ!ふぅ…ふぅ…」
一瞬意識が飛び欠けた。今ここで気を失ったら、私は自分の身を守ることが出来なくなってしまう。
動物園の時は未来が居た。繁華街の路地裏はたまたま久米井が来た。
でも今は一人だ。ここで私が気を抜いたら助かる物も助からなくなる。それだけはご免だ。
「……っ…ふっ…」
少しだけ楽になってきた。
起き上がって軽く体を動かしてみる。
若干のぎこちなさは残るが、特に違和感は無い。
着ていた服を脱いで傷口を軽く触ってみる。傷は塞がったが、瘡蓋とはまた違う硬さが有る。これは痕として残ってしまったかも知れない。帰ったらまた思い切りシャワーを浴びてやろう。そこまで確認し終えて私は天井を見上げる。
(……居る、わよね)
私が身を隠した岩室は、襲撃地点から大分離れた場所、湖から少し距離を置いた森の中にある。辺りには落ち葉や小枝が無数に落ちているため、どれだけ気配を殺したところで私には直ぐにわかる。丁度私の真上。そこに二体ほどの微かな息遣いを感じる。
(となると…)
私は脱いだ服を片手に岩室の入り口に立つ。何も知らない者が見たらただの痴女に見られそうだが生きるためには仕方ないと何とか我慢する。
「すー…はー…」
軽く深呼吸。ここからはスピード勝負だ。
右手に持った服を大きく広げる。左手に持った剣銃も忘れない。
私は右手を大きく振りかぶり──
「ッ──!」
──力一杯投げる。
広げられてバサバサ波打ちながら飛んでいく私の服は、激しすぎる空気抵抗のために入り口が出て直ぐに落ちる。
しかしその寸前に服を基準に私の心臓と脳がありそうな位置に2本の矢が突き立つ。
次の矢が装填される前に私は岩室から飛び出す。
「そぉらっ!」
矢の向きから相手の大まかな場所を確認。振り向き様に左手の剣銃を斧投げの要領で投擲。
一体が斜めにずり落ち、もう一体も片腕をロスト。逃げの姿勢に入る。
「逃がさない…来い!」
掛け声と共に両手に剣銃が収まる。
ジグザグ走行で逃げる敵に銃弾を連射。多くは外れたが何発か命中。足を縺れさせながら転倒するのが見える。暫く見ても動く気配が無い。
「ふー…」
──終わった。終わったのか?
抜けそうになる気を引き締めて周囲を警戒。動く影も何かが歩く物音も聞こえない。今の所は安全らしい。
「うっ…!」
視界が激しく揺れる。一気に銃弾をばら撒きすぎた。魔力を凄く消費したみたい。もうこんな無茶はよそう。こんな所を狙われたらひとたまりも無い。
「っ…すー…はー」
深呼吸。出来れば水も欲しい。でも手元に無いから我慢。でも欲しい。
「…今は我慢。それよりも…よいしょっと」
地面に縫い付けられた私の服を拾って軽く土を落とす。着直すと内側が私の血で濡れていて気持ち悪さと肌寒さが一度に襲ってくる。しかし手に入る防具がこれしかないので何とか我慢する。
「にしても不思議ね、これ」
両手に収まる剣銃を見ながら呟く。
表に出していないときは勿論だが、こうして出しているとき、多少のムラは有れどちょっと意識するといつの間にか手元にあるときが多い。強く意識した場合は確実に手元にある。来るのでは無く有る。
想いという物は常に纏わり付くと言うことだろうか。そう考えると無機質な見た目に反して何処か生々しさを感じる。全体的に赤み掛かっているから余計にそう感じる。しかも返り血とかでは無く素の色でこれだ。
久米井のはどうだっただろう。そう思って思い出そうとするも、よく考えたら彼女の想装をそこまでよく気にしていなかったのを思い出した。今度見たときはキチンと観察しよう。
──サァーー……
風が森の中を通り過ぎる音が聞こえる。最近読んだネット小説でこう言う時なんと言ったかだろうか。そんなことをふと思う。
年々気温が高くなってきてるとは言え、夜の山の気温は思った以上に低く、その上着ている服もボロボロになったから余計に寒く感じる。
「取り敢えず、どこに行こう…」
恐らくここも補足されている。長く居たら居た分だけ危険も増すだろう。だったらその前に移動すれば良い。
──でもどこへ?
先の夜散歩の帰りに私達が通った道順を思い出そうとする。湖に近かったのは確かだ。でもここでは場所がわからない。下手に見晴らしの良い湖に顔を出せば的になってしまう。迂闊な真似は出来ない。だったらどこへ行くべきか?
「あ、そう言えばあの時のフェンス。あそこに行けば何とかなるかしら?」
キャンプ場と森を隔てるように設置された大きなフェンス。取り敢えずの手掛かりを得るためにはそこに行くしか無さそうだ。
パンフレットに記載された地図を何とか思い出して湖から距離を離す。そこから私はきゃん浮上とそこに設置されたフェンスまでの移動を開始した。
心が晴れない
違う。
曇ってる。
いやそれも違う。
震えてる。
そう、私は震えている。
どうして?
どうして私は震えている?
そんなの決まっている。
──何が?
怖いから。
──どうして?
怯えてるから。
──何に?
決まっている。
──だから何?
アイツ。
──誰?
解ってるクセに。
──だから誰?
言いたくない。
──どうして?
言いたくない。
──どうして?
言いたくない。
──どうして?
しつこい。
──ホントは解ってるんでしょ?
なにが。
──死ぬのが。
誰だってそうよ。
──唐竹さんが死ぬのも。
うるさい。
──解ってるんでしょ?
うるさい!
──貴女いい人だものね。
「うるさい!!!」
「うわっ!?どうしたの蘭?」
「え?あ…え?」
「寝惚けてたの?」
「ううん。大丈夫」
「そう?疲れてない?」
「それは貴女もでしょう?」
「まぁね」
「ちょっと夢見が悪かっただけ。お休みなさい」
「うん、おやすみ」




