楽しかった一日
いったいいつになったら日付を跨げるのか。
5月19日(土)22:50 就寝
キャンプ場
脚の震える監督を叱咤しながら何とかスタッフの集まるテントへ送り届けて自分達のテントへ向かう。
寝床についての分け方はシンプルで、キンダーズとサッカー部は数人のグループで幾つかテントを分けて使い、スタッフは男性と女性と医療テント。臨時スタッフは学年と性別に分けられた。
そのため私と久米井のテントは違う場所にあるため、途中で別れてそれぞれの寝床へ向かう。
私に宛がわれたのはファミリーサイズのかなり大きめなテント。キンダーズスタッフの私物らしく、傍から見てもかなり年季の入った物だと解る。
防虫剤の下げられた入り口を開けるとシュラフに入った二年女子がそこかしこで寝息を立てていて、広いテントの筈なのに見た目より狭く感じる。
「…ある意味丁度良かったかな?」
彼女らの周辺には持ってきたスナック菓子やスマートフォンが落ちている。入浴後に夜更かしをしてたみたいだ。一部は充電器が挿されていない辺り、そのまま寝落ちした者も居そうだ。
そんな彼女たちを横目に私は残っているシュラフが無いかを探す。設営時に人数分のシュラフがテントの中に入れられたので、いくら学校一の嫌われ者な私とは言え存在しないはずが無い。
テントの中を見回して程なく。奥の方に私の荷物と共に折り畳まれたシュラフがちょこんと置いてあったのを見付けた。
「失礼しまーす…」
うっかり寝ている彼女たちの腹や背中を踏まないように慎重に足場を選びながらシュラフを拾う。入り口付近が空いていたのでそこに広げて中に入る。
「おやすみー…」
こうして私は眠りに──
──プ~ン…
眠りに──
──プ~~ンン…
──いや、寝られるか!臭いしうるさい!
よくよく考えたら今の私は隣接世界で魔物を倒しに倒してその影響で五感が著しく強化されている。それに今気が付いたけど入り口の防虫剤の匂いがかなりキツい。入り口付近が人気で無いことが間違いなく頷ける要素だ。
嗅覚もそうだが当然聴覚も強化されている。匂いと音でまともに寝られそうに無い。
彼女たちにその自覚は無いと思うが、今の私にはこの上なく効果的な嫌がらせになったと思う。
「………」
それに今このキャンプ場で起きていることを思うと私は安心して寝られる自信が無い。
そう考えていると段々眠気も引いてくる。
気が付けば起き上がってテントから出ていた。
◇ ◇ ◇
同日23:00 夜更かし散歩
湖畔
落ち着ける場所に向かおうとして気が付いたらかなり歩いていた。ふと、日帰りキャンプへ行く前の久米井の言葉を思い出す。
『十六夜山間キャンプ場。ファンの間では『深緑の湖畔』なんて洒落た渾名が付けられている。夜には湖に映る月が綺麗なキャンプ場だよ』
「確かにキレイかも」
湖面に反射する弓なりの月を見てそう呟く。
学校に行かなくなってバイトをしたり課題をしたり遊んだりした毎日を過ごしてきたが、こういう景色を見たことは今まで無かったと思う。
そう思うと少し勿体ないことをした。
「キャンプ道具っていくらしたかしらね…」
そう思ってスマートフォンでキャンプについてあれこれ検索してみる。
「げ…」
今まで貯めたバイト代で買えないことは無さそうだが、そうすると口座の中身がかなりの割合で消し飛びそうだ。
「もうちょっと貯めておきましょう」
そう言いながら湖周辺を歩く。
そうして頭の中を整理しながら今日一日を振り返る。
朝出かけるときは殆ど久米井に手を引かれていたと思う。中学と高校を入学して暫くは普通に朝早くに起きて朝練をしていたと思うのに、今ではすっかり朝に弱くなってしまった。久米井にはかなり迷惑を掛けてしまったと思う。
行きのバスは寝てた。だからどのルートを通ってここまで来たのかが解らない。いざという時の避難ルートを把握してなかったのはかなりの痛手だ。
テントの設営は生まれて初めてやった。慣れないことばかりでスタッフの皆さんには散々迷惑を掛けてしまったと思う。まぁそれは私達臨時スタッフみんなに言えることか。
練習試合はとても迫力があった。サッカー部側に課せられたハンデはかなりやり過ぎに思えたけど、試合その物を見ればあんな物はハンデの内に入らない事がよく解る。それぐらい月校のサッカー部は強かった。それに食い下がるキンダーズもかなりレベルが高かった。特に幸大くんが指揮したときの勢いはこのまま勝ててもおかしくない物だった。結果としては負けちゃったけど、サッカー部が多少の危機感を覚えるくらいには良い刺激になったのでは無いだろうか?
そう言えば灰田先輩もキンダーズでサッカーをやってたのかな?月校であれだけ強かったんだから何かあってもおかしく無さそう。
お昼ご飯はもう大変だった。何が大変かって久米井の暴走。彼女をあそこまで駆り立てた物って一体何だったのかしら?まぁ何にしても突然奇行に奔るのはやめて欲しい。フォローするのも大変だから。あと未来の作るカレーには及ばないけど結構美味しかったわね。
その後の焚き火勢による鍋の煤落としがかなり大変ではあったけどね。まさかちょっと力を入れるだけで鍋が壊れるなんて思わなかったし。ホントに大変だった。
大変だったと言えば久米井から炊事場を追い出されたときに藤原さんに会ったことか。
改めて振り返ると彼女だけが私に対して憎悪を向けていたと思う。
他のサッカー部や同学年のスタッフとかが私に対して向けていた視線は嫌悪と困惑。多分臭い物程度くらいにしか見ていなかったと思う。どうあれ私にマイナス感情を向けているのは確かなのだが、半年以上経てばその在り方も変わってくる。そしてそれだけの時間があれば当然同じマイナスでも意味や捉え方が変わってくる。人間だってずっと同じ感情を抱き続けられるわけじゃ無い。困惑はもうどういう風に私を見れば良いのか解らなくなったんだろう。小森が私に対して謝罪してきたのはきっとそれらの感情の発露なのかも知れない。
だけど藤原さんだけが灰田先輩が亡くなってからずっと同じ、嫌それ以上の憎悪を向けてきていた。教室で過ごしている間も彼女の席からは私に向けた憎悪や殺意を感じる。
何故藤原さんだけなのだろう。そう疑問に思いつつも私にはそれを問い質す勇気はない。見えてる地雷ではあるし、好き好んで手を出そうとも思わない。灰田先輩絡みなのは何となく想像はつく。初めは彼女以外の女子からも様々な感情を向けられた。それこそ藤原さんレベルのヤベーヤツも。でもそれだって程度の差こそあれ、今は比較的落ち着いた。
藤原さんだけが私のことを憎み続けている。
午後のトレーニングは特筆するところは何も無い。久米井なんかはどこから持ってきたのか誘導人形まで置いてた。そこで初めてキャンプ場についてあれこれ調べた結果を聞かされた。正直何を聞いてもまったく現実感が無かった。だってこっちと来たらつい先日まで引きこもり予備軍の女子高生だ。いきなり陰謀論のような物を聞かされてどうしろというの?隣接世界で何度も死にかけた身としても実感が沸かない物はある。正直聞いていたくなかった。
後半では小森からのこれまでに関する謝罪があった。でも私は今でもそれをどう受け止めたら良いかが解らないで居る。彼が心の底から悔いているのはよく解ったけど、それでもまだ受け入れがたい物がある。
その後は久米井とキャンプ場について関係者に聞き込みを行った。と言ってもここの責任者である管理人が何処かへ消えてしまったため、出だしから調査は難航。仕方なく管理人小屋の調査を久米井が担当し、私は合宿の責任者である監督へ聞き込みを行った。その時点では私は有益な情報は聞き出せなかったが、後ほど知っていることを話す約束をしてくれた。でも何故監督は私達にあんな話をしてくれたのだろうか?こうして歩いている今でもよく解らない。
思えばこの時点から私はこのキャンプ場に不穏な物を感じていた。気のせいだと言いたい。今だって言いたい。今人気のキャンプ場で何か恐ろしいことが起こる気がする何て思いたくない。思いたいのに、そんな漠然とした嫌な予感が私の心に引っ付き虫みたいについて離れなかった。
監督への聞き込みを終えた私は管理人小屋の久米井と合流し、調査を手伝うことに。小金井からの助言を得てから調査がスムーズに進んだ。その時に久米井が何か数枚の書類を発見していたが、休憩時間の終了が迫っていた私達は急いで部屋を元の状態に戻して管理人小屋を後にした。あの書類は隠されていた場所からして、かなり重要な物だったに違いない。でも一体何が書かれていたのだろうか?厳重とまでは言わなくても、あんな誰も予想していない場所に隠されていた物だ。突然の失踪と関連付け無い方が無理がある。後で久米井にこっそり訊いてみようかな?
夕飯派もやっぱり大変だった。また久米井が火起こしを始め、それに多くの人間が追従していった。もう訳が解らない。でもどこの班もとても美味しそうな料理を作ってた。私も味見させて貰ったけど、本当に美味しかった。監督からは未来へのお土産にお婆さん直伝の豚の角煮のレシピを貰った。
キャンプファイヤーを止められて久米井は酷く落ち込んでいた。そこだけ切り出すと年相応の反応もするのかとちょっと意外に感じる。私に膝枕されて甘えてくる様子は不覚にもクルものが有った。ような気がする。いやそんなはずは無い。私はノーマルだ。久米井の戯れ言に乗ってはいけない。別に同性愛がダメとかでは無い。単純に私は異性愛者なだけだと言うことだ。
『ふふふ~そんなこと言って~いい加減認めちまえよ~(クソカワ舌足らずボイス)』
何か聞こえたような気がするが私は何も聞いてない。
キャンプファイヤーがダメなら何か無いかと会議をした。しかし都会住みの性か、現代電子機器以外で可能な遊戯という物に疎くなってしまった我々に思い付くような物は無く、久米井の提案が通る形になった。今歩いているこの道は私達が通った場所とはまた別のルートになる。空を見上げれば一面には無数の星が瞬いている。手を伸ばせば届きそう、とはこういう場面で表現されるのだろう。
──先輩もあの星々の中に居るのだろうか。
あり得ないと解りつつ思わずそんなことを考えてしまう。月の光に負けずに輝き続ける星々の力強さが私にそう思わせたのだろうか。
そう言えば夜散歩のとき、久米井が出発の前に『星や星座に詳しくなると女子にモテる』とか言ってたけど、一体どこの情報だろうか。案外本人だったりするのかも知れない。星が好きなのかな?
夜散歩は思いの外楽しかったと思える。私達スタッフは地図を見てルートを確認しただけだから、どこを通るか分かって居てもそこがどんな景色なのかは分からなかった。そう言う発見もあって私達は楽しかったが、サッカー部の二人とキンダーズの三人はただただ夜道を歩くというのでも楽しめたみたいだった。別世界に迷い込まなければそのままでいられたのかも知れないと思うと少しやるせない気持ちになる。
「私のせい、なのかしら」
誰に確認するでもなく呟く。一人だから余計なことを考えてしまいそうだ。しかし今の状況はかなり不味いのでは?もし私がまた隣接世界に迷い込んだりしたら助かることは無いと思う。この暗闇の中、来るかどうかも判らない助けを、魔物に取り囲まれて待つこと何て出来そうに無い。
魔物と言えば私達が見たのは『リザードマン』と呼ばれる人型のトカゲだった。暗く足場の悪い中で何十体にも及ぶ群れに追い掛けられた恐怖は今でも忘れられそうに無い。ゴブリンやコボルドの時とはまた違う恐怖だ。
其奴らから何とか逃げ切って戻って来たら私達以外の班はもうとっくに帰ってた。そのこと自体に驚きは無かったが、監督には随分心配を掛けてしまった。
怪我人を医療スタッフに預けて風呂に入り、そこから上がったら監督と情報交換をした。久米井は少しだけ嘘をついていた。でもその嘘は監督を守るためだったのは何となく解っていた。でもあの監督なら正直に全部話しても良かったのでは?と今では思う。
監督からの話はかなり奇妙なものだった。合宿は毎年監督が企画するのに、今回に限っては上層からの圧力があったらしい。キャンプ場の隣接世界を見てきた私達からすれとそれが意味する事なんて考えたくも無い。まさか人が関わってるのかなんて欠片も思いたくないからだ。
「っと、そろそろ戻らないと」
夏になるとは言え夜は冷える。山の中なら尚更だ。そうして私は来た道を引き返す。
振り返れば17年の人生で一番濃密な一日だったと思う。こんなに長く感じるのは何時振りだろう。明日もこの調子で過ごせるだろうか。そうだったら良いな。
そんな想いを胸に秘めて自分のテントへ向かう。
「虫と匂いどうしよう…」
眠る前にまだ課題が残されている。
そのことにゲンナリして答えを求めるように空を見上げた。
「──は?」
空には何者かが見開いた眼のような満月が浮かんでいた。
そしてそれが意味する事実に、私は全身から血の気が引くような音がするのを自覚した。
行った?
うん、多分行った。
目を閉じて寝たふりをしながら足音が遠のくのを聴く。
多分アイツは私達がまだ起きていることに気が付いていない。
思い思いの方向に向かってシュラフに入ってるから見た目以上にスペースは狭くなってるはずだ。
けれどそんな私達でも出入り口は確保したかったから自然とテントの入り口には寝ないようにしてた。隙間から虫が入ってこないとも限らないし。
アイツはめざとく空いている場所を見付けて、私達が奥の方に引っ込めたアイツの荷物を取っていく。
そして寝る用意が出来たと思ったら何故か勢い良く起き上がって何処かへと行ってしまった。
何故なのかは本当に解らないが、正直万々歳だ。こんな場所でアイツと同じ空気なんて吸っていたくない。
他のみんなも戸惑っているみたいだけど、結果に満足したのか眠りに就こうとする。
しかし私は気になって大分後ろの方からアイツのあとを追っていた。
別に大したことは無い。ただどこへ向かい、そしてどこを寝床するのかが気になっただけだ。場所によっては友達にネタとして提供しようとも考えてる。
そうして歩いてると、先程夜散歩で通った湖畔に着いた。
湖面に反射する月と夜空に輝く星々と共にある月は思わず溜息のでそうなほどの美しさがあった。
思い返せば私のグループは普段とはまた違うシチュエーションで仲間同士で歩くことから、こうした景色よりも歓談の方に意識が向いていた。だから私はこんなに美しいものが有ることをこの瞬間まで知らずにいた。
それを一足先にアイツが見ていたと思うと腹が立ってくる。
「え?」
余計なことを考えて意識が散漫になっていたらアイツが居なくなっていた。
──見失った?
──こんな見晴らしの良い場所で?
湖畔の道は整備されていて背の高い藪なども殆ど無い。なら湖に入ったかとも思ったが、湖に人が入ったなら多少の痕跡はあるだろうしなにより音でわかる。
──だったら何で急に居なくなった?
そう思うと今まで美しいと感じていた景色が急に恐ろしいものに思えてきて、私はその場から逃げるように走り去る。
何も見なかったことにしよう。
アイツが居なくなったならそれで良いじゃないか。
ずっとずっと憎んでた相手だ。
死んで欲しいとさえ願った相手だ。
これでもう穏やかに過ごせるじゃ無いか。
もう何も煩わしく思う事なんて無いじゃないか。
そう思うのに、どうして私の心は晴れないのだろう。




