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どうしても来てほしい

答えは決まらないまま。

 久米井との会話からまた時間が流れた。

 それからの私は特に何かが変わったというわけでは無いと思う。その代わりに自覚したことが、思った以上に灰田先輩の一件が尾を引いていること。そして私はそこから逃げ続けていたことだった。

 私の周りの変化と言えば、来月に中間テストを控えていることが関係しているのか、教室内が平時よりピリピリしていることくらいでそこまで変化は無い。

 変化らしい変化と言えば、偶に久米井が昼休みに私の教室に来るようになった事くらいだろう。殆どがその日の授業で解らなかったところを私に聞いてくると言う感じだった。

 先生では無く何故私なのかを聞いてみたところ『目当ての先生を見付けるより明日見くんを見付けた方が早い。いつもそこに居そうだからな』とのことだった。失礼な後輩だよまったく。

 彼女との間にこの前のような会話が交わされることは無い。本当に久米井は私に任せているらしい。無理強いをしてこないのは助かったが、何故か私はそこに申し訳なさを感じていた。


 ◇ ◇ ◇


 5月13日(日)16:30 家庭教師休憩中

 ステラガルテン居住スペース。美々の部屋


「なあ、明日見ねえちゃん」

「ん?幸大くんどうかした?何か解らないところでも?」

「あ、いやそれはだいじょうぶ。へいき」

「そう?じゃあ何かしら?」

「えーっと…」


 幸大くんは何かを言おうとしているが、何故か言葉が詰まって居るみたいだ。なんか顔も赤いし。


 ──風邪、じゃあ無さそうだけど。


「あの!明日見ねえちゃん!」


 幸大くんはそこで言葉を切って深呼吸をする。その後の幸大くんは何か覚悟を決めたような顔をしていた。


「これ!見てほしい!」


 そう言って差し出してきたのは一枚のプリント。私はそれに見覚えがあった。と言うより同じのを貰ってた。


 ──略)臨時スタッフ募集のご案内


「明日見ねえちゃんも合宿、一緒に来てほしいんだ!」

「幸大くん…」


 唐突。と言うほどでも無いかもしれない。何となく可能性は頭の片隅で考えていた。でも…


「その…幸大くん…」

「見てほしいんだ!おれが頑張ってるところを!」

「でも…」

「これはお母さんはついてこられない。おれだけしか行けないんだ。このプリントもお仕事として行くものだから姉ちゃんは来られない…」

「あ…」


 私は馬鹿か?

 気心の知れた中とは言え、小学三年生が親元を離れて一晩泊まりに行く。それがどれだけ不安か今なら解るだろう?

 私の場合、自分は何とも思わなくても未来はどうだった?遊びたい盛りの小学生の妹を置いて何とも思わなかった昔の私を今の私が見たらどうだ?


「だからこれは明日見ねえちゃんにしかお願いできないんだ!」

「幸大くん…」


 ──でも…そんな…やっぱり…


 それでも私の頭に浮かぶのはそんな言葉達ばかりだった。彼等と向き合う覚悟が出来ていない私。自分の過去から逃げ続けた私。目を逸らし続けた私。

 彼等が近くに居るのが怖い。積み上げてきた物が一瞬で崩れ去るのが怖い。

 今でも思い出せる。

 私に向けられた羨望と賞賛の眼差しが一瞬で反転するの恐怖を。

 私を取り巻いていた環境が虚飾に彩られていた惨めさを。

 それらに対して何も出来なかった無力さを。


「ごめん…こうた──」

「私からもお願いします!」

「姉ちゃん!?」

「マレからもおねがいします」

「ちょ!?美々!?稀姫ちゃん!?」


 断ろうとした。私の自分勝手の都合で。でもそれに挟むように美々と稀姫ちゃんが頭を下げてきた。


「私達は今でずっとコウが頑張ってたのを知ってます。

 でも何をやっているのかをまるで知らないんです…この前もコウは大きな怪我をして帰ってきました。でもコウは『大丈夫!』って笑って言うんです…その後だって何度も何度も怪我をして、それが日に日に大きくなって…でもコウが何をしているか解って無くて…私はコウのお姉ちゃんなのに情けなくて…」


 美々の口からは取り止めの無い話が続く。私にはそれが懺悔のように聞こえた。

 考えてみたら美々はアイドルをやっている。学生業の傍ら、大人に混じって仕事をしている。しっかりした姉でありたいというのはそこからも来ているんだと思う。

 でも彼女の持つしっかりした姉像は、弟妹の存在があってこそ。絶対に彼等を蔑ろにしたくないはずだ。

 でも大人の世界はそんな彼女の事情を忖度してはくれない。

 後から聞いた話によれば、幸大くんの晴れ舞台ではいつも決まって仕事が入っていた。それも選りに選って大事な仕事。彼女の存在無くして出来ないことが殆どだっただろう。

 人気取りが一番に来る仕事の辛いところで、美々もそれが解っていたから仕事を優先し続けた。


「でも本当は…本当は…!」

「姉ちゃん大丈夫だから。おれは大丈夫だから」

「美々…」

「マレはコウちゃんについていけなかった…マレたちはうんどう下手だったからすぐにおいて行かれた…でもコウちゃんはあきらめなかった、今ではエースにもなった。だからコウちゃんのすごいところをなんども見ようとした。でもマレは小さいからせきにすわってもコウちゃんの試合が見えない…一人で行ってたからとちゅうでコワくて泣きそうになっちゃって…せっかくのコウちゃんの試合もさいごまで見れなくて…」

「マレ…」

「稀姫ちゃん…」


 ポツポツと語る稀姫ちゃんは罪悪感と情けなさで一杯に見えた。仕事が忙しい両親と姉に代わって、せめて自分はと意気込んで見に行った幸大くんの出る試合。

 でも稀姫ちゃんが感じたのは知らない大人たちの中に入る恐怖。

 本当に無理は無いと思う。いくら家族のためとは言え、一人で見知らぬ大人たちに囲まれる。泣きそうになって耐えられなくなって逃げ出した。

 きっとその事がずっと頭に引っかかっていたんだと思う。


「だから明日見おねえちゃんにはコウちゃんを

おねがいしたいの!マレには一人でいる勇気がないから…」

「だからって…」


 尚も食い下がる姉妹に断ろうとした。


 ──ガチャ


 そんな音が私の背後から聞こえてきたと思うと。


「私からもお願い。明日見ちゃん」

「佳奈美さんまで!?って言うかお店は!?」


 佳奈美さんが美々の部屋へやって来た。


「今日はちょっと早めに閉めさせて貰ったわ。こういう融通が利きやすいのが個人経営の良いところね♪」

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