短期集中那由多ズブートキャンプ
ぐだぐだして申し訳ない。
5月5日(土)06:30 大型連休三日目
《亡栄の廃工》食品梱包区画
「132…133…134…」
建物の窓枠に立て掛けたスマートフォンをストップウォッチ代わりにして抜き打ちの練習に励む。少しずつ時間は縮まっては居るが、久米井の速度にはまだ遠い。
私は未だに久米井の言う『その辺に手を伸ばす』感覚で想装を手に取れては居なかった。
「156…157…」
「さっきよりは大分速くなったな。何かコツでも掴んだか?」
「160…あ、ちょっと待って…」
久米井に声を掛けられた私はストップウォッチを止める。
「なんて言うか…仕舞うときに海に投げ入れてたのを水面に浮かせるイメージにしただけ」
「え?アレが水に浮く?冗談だろ?」
「ホントホント。感覚には何となく覚えがあってね。後はそこから拾い上げるだけになった感じ」
昨日の夢に見た海に立っている感覚。固い岩とも、柔らかい砂地とも、浅瀬の水辺とも何もかもが異なるあの感覚。それを思い出して想装を収納したら、取り出すときかなり楽になった。それでも未だに目を背けたくなる感覚は消えない。
「まぁ真偽の程はさて置き。確かに時間は縮んでいるな。最初に見た一分と比べたら大分マシだ。ここからは自分と向き合う必要が出てくるだろう」
「自分と向き合う…」
「想装という物は、持ち主の願いや想いから作られる。普通ならこれを手にした時点でそれが何なのかが理解できているはずだ。
けれど明日見くんは違う。君の場合はそれが簡単に目が届かないようにしている。心の奥底、君が意識の海と呼んでいる領域にそれを置いていた。まるで目を逸らすみたいにな」
目を逸らすみたい。解っている。想装を目の届かない場所に置くとは『自分の想いから目を背ける』と言うことだ。
久米井が私に課した本来の試練は『自分の想いから目を逸らさずに向き合う』こと。何度も想装を顕現させている内に何となく理解した。
「よし。じゃあ次だ。今度は移動しながらやってみろ」
「はい!」
只でさえ顕現させるのが面倒臭いこの想装。しかし久米井の指示に従うとその面倒が更に増えた。
「!?危な!」
「ふむ。やはりか」
足下が疎かになってた。いや足下だけじゃない。自分の内側に意識を割いたらその周りの情報が一切遮断されていた。
要は歩きスマホと一緒だ。今の私は想装を意識の海に置いているため、顕現に当たってはそこに注意を向けてしまう。すると目の前の景色は見えていても意識が向いていないせいで足下が急に見えなくなる。今なんて大きめの瓦礫に躓いて転びそうになった。
「久米井、これってやっぱり…」
「これは走って逃げながらだと余計に危険だな」
逃げながら。そうか、私が落ちた先に敵が居る可能性もあるのか。
そこに思い至って背筋が凍り付く。今日最初に想装を出したときに久米井の想装が私の首に添えられてたのを思い出す。甘かった。私はこの世界を甘く見てた。十分に注意していたつもりだった。それでも甘かった。
「余計なことを一切考えずに動ける場所なら。例えば足下に障害物が無い広い場所とかなら何とかなるかもしれんな」
「じゃあ当面はその方向で頑張る」
当面の方針は決まった。後は私の頑張り次第。想装を普段から出しっ放し出来れば話が早いのにと思うが、そうすると余裕で銃刀法に触れる。
「さてと…そろそろ良い時間だな。二人とも、ここを出るぞ」
「了解」
「はーい!」
久米井の号令に思い思いの返事をして彼女の後に続く。基本的に『門』は一方通行のパターンが多く、入った場所から直ぐに元の世界に帰れるのは稀で、落ちて最初に苦労するのは出口探しなのだそうだ。この廃工場はその稀なパターンで、入り口と出口が直ぐ近くに在る。そのお陰でここは訓練場に最適なのだそうだ。
◇ ◇ ◇
同日07:15 モーニングタイム
ステラガルテン
「いらっしゃいませ~。あら?明日見ちゃんじゃない~こんな時間にどうしたの~?今日はシフト無かったはずだけど~?」
「あー…妹と後輩にここを紹介したくてー…」
「あら?その子は確かこの前来てた子よね?そっか~明日見ちゃんのお友達ね~。で、そこの明日見ちゃんに似て可愛らしい子が妹さんね?初めまして~私はこの喫茶店のオーナーの星野佳奈美です~。よろしくお願いします~」
星野佳奈美さん。私のアルバイト先である、喫茶店兼バーの店長の一人。つまりは私の雇い主。ホワホワした雰囲気が魅力で、彼女目当てで訪れる客も珍しくない。
「あ、はい!初めまして妹の唐竹未来です!いつも姉がお世話になってます!」
「ほう?つい一昨日気紛れで寄っただけなのだが、まさか顔を覚えられていたとは驚きだ。久米井那由多だ。ここのサンドイッチはとても美味しい。と言う訳でモーニングコーヒーセットを一つ」
佳奈美さんは記憶力が良い。私の話だけに出て来た妹を直ぐに認識した。そして久米井のことも直ぐに解ったらしい。
「ご注文承りました~♪お客さん居ないからどこでも好きな場所に座ってね~。その時に明日見ちゃんと未来ちゃんのを訊くわね~」
佳奈美さんに促されて、私達は適当に奥のボックス席に座る。
「ふー…何か疲れたー…」
「えっとー…お姉ちゃん大丈夫?」
「まさかあの後戦闘訓練が始まるなんで思わなかったわよ~…」
「軽い準備運動だろう。それにあそこでは戦えば戦うほど強くなれる。ここでも向こうでも。そう考えたら悪い話ではあるまい?」
「せめて心の準備はさせて欲しかった…」
◆ ◆ ◆
あの号令の後。私達はそのまま出口に向かうのかと思ったら出入り口や廊下などを魔物が占拠していた。そうしたら久米井が『丁度良い』と嗜虐的な笑みを浮かべて懐から何か布袋を取り出した。それが何かを訊く前に中身を部屋に蒔くと大勢の魔物がやって来る。混乱する私に久米井は──
『じゃあ訓練の成果を見せてみろ。妹は心配するな』
──と言って魔物の対処を私に丸投げした。訳の解らないまま想装を取り出し、押し寄せる魔物達を迎え撃つ。廃工場に居る全ての魔物がここにやって来たと思いそうな数だった。長い時間戦っていたつもりだったが、実際には5分とちょっとしか経っていないと言われて驚いた。
『やるねぇ。でも撃ち漏らしも多いな』
そう言われて久米井の方を見ると、彼女と未来から半径約2m程距離に魔物の屍が積み上がって居る。
多少擦り傷がある私に対して、久米井は無傷で返り血の一滴も掛かっていない。勿論彼女に守られてた未来も怪我一つ負っていない。
その様がまた彼女の能力の高さをうかがわせる。
『さて、仕事にはまだもう少しだけある。ちょっと一息入れようか』
そう言った久米井の顔は何処か満足そうだった。
◆ ◆ ◆
そうして今に至る。
「それにしても…お洒落なお店だね、お姉ちゃん♪」
「私が最初に来たときはここが喫茶店だとは解らなかったよ」
「確かここは時間帯によって営業形態が変わるのだったな。朝から日が出ている間は喫茶店で、夜がバーだったか」
「へ~…あれ?じゃあお姉ちゃんはここに入れなかった筈じゃあ…」
「あー…それはー…」
自棄になって出掛けて日が暮れるまでボーッとして、でも家に帰り辛いから何処かでご飯を食べたくて、だけどレストランだと顔見知りに見つかって面倒になりそうだから静かなお店を探していたら見つかったなんてどう説明すれば良い?
「お待たせしました~モーニングコーヒーセットです♪明日見ちゃんと未来ちゃんは決まったかしら?」
──佳奈美さんナイス!
「私はこのがっつりサンド一つ!未来は?」
「え?えーと…ケーキセットでお願いします」
「畏まりました~♪出来上がるまで今暫くお待ち下さい」
注文を聞き取った佳奈美さんは厨房に入っていく。
「にしてもがっつりサンドか。朝ご飯はキチンと食べたはずでは無かったか?」
「その筈なんだけど何か異様にお腹が空いてて…もしかして──」
押し寄せてくる魔物の群れを退治している最中。自身の想装である剣銃で戦っている中。近くの魔物とは剣で戦い、ある程度距離を置いている魔物は銃で迎え撃つ。最初の内はそれでどうにかなっていたが、後半になると数が増える。その頃にはもう形振り構わず剣を振り回して銃を乱射してた。適当に振れば斬れるし適当に撃てば当たる。そんな状況だった。
そして銃を撃てばその度に体から“何か”が抜ける感触。魔力経の話を聞いた後だと、私の魔力が消費されているのだと何となく理解できた。
その結果がこうして空腹として現れているのも何となく理解してる。
「──って言う事かしら?」
「ふむ。概ね自己分析は出来ているようだな。銃についてはその通りかもしれん。君が戦っている最中、何発か流れ弾と思われるのが飛んできたが、それらは実体を伴っていなかった」
「え!?流れ弾!?」
「あたふたしていたとは言え、何度か肝が冷えたぞ。私だったから弾けたが、威力が尋常では無い」
「それは…本当にごめんなさい!」
自分の武器の恐ろしさを実感した。久米井の話からすると、恐らく流れ弾は一発や二発では利かないだろう。
魔物に囲まれて取り乱した私は、出鱈目に剣を振って出鱈目に銃を撃ってた。
最早どこに未来と久米井が居たかなんて考えられ無かった。
よくそんな調子であの動物園を二人で生き残れた物だ。
「と言う訳で、料理が届くまで明日見くんの反省会だ。それを活かして今後どうするかを考えて実践し賜え」
そうして私のバイト先の店で私の反省会がゲリラ的に始まった。本日の教官役の久米井から厳しくも有り難い言葉と、次は無いと思って行動せよと言った話をネチネチと語られた。
長くなったため要約すると以下の通り。
・私は単独の方が戦いやすいと言うこと
・銃は魔力を消費するから使う場所は考えること
・乱戦での銃の使用は極力避けること
・戦闘中も冷静になること
基本的に銃の話ばかりだが、大体こんな感じになった。話を聞いて何となく理解したのと、自分では気が付けなかったことが解りやすく纏まったと思う。特に銃についてはこれからも注意する必要がありそうだ。
「お待たせしました~♪がっつりサンドとケーキセットになりま~す♪」
「うわ~ハハハ~♪美味しそうなケーキだぁ…」
「こ…これはまた随分立派な…」
料理を置いた佳奈美さんは厨房に入っていく。仕込みの続きをするのだろうか?
未来の頼んだケーキセットは、カットされた様々な種類のケーキがお皿に並んでいる。付いてきたコーヒーと合わさせるととても美味しそうだ。
私の頼んだがっつりサンドは…うん…凄い。見た目からインパクトが抜群だ。
鶏胸肉の唐揚げを丸々一枚とキャベツやレタス、そしてトマトと言った彩り豊かな野菜をふんだんに使ったボリューム満点のサンドイッチだ。
メニュー表の写真より量が多く見えるのはきっと気のせいでは無いだろう。普通だったら朝に食べる代物では無い。
でも今の私は普通では無かった。廃工場の隣接世界で魔物と交戦した際に、私は魔力を大量に消費した。何が魔力に変わっているのかは定かでは無いが、今の私は明らかに何かが足りない。そしてそれは今空腹となって現れていた。
「ハグ!マグ!ムグムグゴックン!…うまハァ…」
「あ…明日見くんよく食べられるな…かなりの量だぞそれ…」
「いやぁ…入院中のお姉ちゃんはもっと凄かったらしいからこれでもまだ控えめかも?」
「今回はまだ味わう余裕があるから大丈夫よ。それにしても美味しい…」
入院中の食事は味が薄かったのもあって、味わうよりは只の栄養補給といった感じだった。まぁ…その後でよく噛んで食べなさいと安西さんに怒られたわけだけど。
「ふぅ…ご馳走様でした」
私の空腹がどれ程のものだったかは計りようが無いが、気が付いたら皿の上に乗ってたボリューミーなサンドイッチはソースやドレッシングを含めて綺麗さっぱり無くなっていた。
「ウフフッ♪本当に美味しそうに食べてるわね。かなりの量だけど、作った甲斐があったわ♪」
「っ!?ゴホッ!佳奈美さんですか…どうしたんですか?」
いきなり私達の近くに現れた佳奈美さんに驚いて飲んでいた水を噴き出しそうになる。
「明日見ちゃんがお友達やご家族を連れてここに来るのが珍しくてね。ちょっとお話ししたくなっちゃったの♪」
「あー…確かにそうかも知れませんね」
「そんなんですよ!なんかいつの間にか始めてたみたいで、知ったの本当につい最近なんです!ホントなんで黙ってたのお姉ちゃん~?」
「いやぁ~…それはそのー…なんか照れ臭くて…ははは…」
別に嘘では無い。嘘では無いぞ?
「わ…私ちょっとお手洗いに~」
「む?あぁー…そう言えばあの後からはまだだったか。無理をさせてしまったな」
「気にしないで良いよ。じゃあちょっと行ってくるね~」
『あすみはにげだした』
違う逃げた訳では無い。本当にトイレに行きたかったんだ。だからこの後起こるであろう事を予想して逃げた訳では断じてない。
断じて。そう!断じて無い!
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