未来と私のお勉強
未来ちゃんが楽しそうでよかった。
5月の始めに集中する国民の休日ラッシュ。まだまだ春真っ盛りとも言えるし、もう直ぐ梅雨がやって来るとも言える微妙な季節。そんな空気の暖かさや生温さに当てられ、そこへ仕事も学校も休みと言う気の抜ける要素がふんだんに詰め込まれて布団から中々抜け出せなくなりそうな期間に入った。
大型連休の初日。私は未来の希望で動物園デートをやり直した。不思議な世界に迷い込むようなことも、命を賭けた戦いが起こるようなことも、それら一切が無い至極真っ当な動物園デートを二人で心ゆくまで楽しんだ。
サバンナエリアから始まるメジャーな動物群。南米のジャングルに潜む動物たち。砂漠を闊歩する者達。そして最後は前回の私達がまともに見物出来なかったアラスカエリアに入る。特殊な技術でエリア一帯の気温は低くなっており、長袖の上着を着ていなければ風邪を引いてしまうと思うくらいに涼しく、周りの見物客もそれぞれこの気温差に声を上げていた。
歩いているときに、立入禁止エリアがまた増えていたことに気が付いた。そのエリアの入り口には制服を着た警備員がそれぞれ二人ずつ立って、どこか物々しい雰囲気を放っていた。周りの客は何も気にせずに通り過ぎていたが、私にはその先にある物が容易に想像が付く。私達以外にも居たのだ。
家に帰った後は、気になってパソコンを立ち上げてインターネットの掲示板サイトで“月の入動物園”についての書き込みを幾つか漁ってみた。
結果は収穫無し。何の変哲も無い、至って平凡なことしか書かれていない。誰も立入禁止エリアのことも、増えた警備員も、行方不明者や『異界』に関わることは何一つ書かれていなかった。
私は改めて久米井那由多の所属するAWSAという組織に不気味さを感じた。
◇ ◇ ◇
5月4日(金)9:00 大型連休二日目
唐竹家
「それじゃあすみちゃん、未来ちゃんと家のことはよろしくね」
「うん、いってらっしゃいお母さん」
玄関で仕事に出掛ける母を見送る。扉が閉まるのを確認して、未来と台所の片付けをする。私が朝も家に居るようになってから習慣付けた流れだ。
「お姉ちゃんお皿~」
「はい」
「お姉ちゃんコップ~」
「はい」
「お姉ちゃんナイフ~」
「はい、痛っ!」
「お姉ちゃん大丈夫!?」
「平気平気、大丈夫」
珍しくナイフの持ち方を失敗してしまう。おかげでちょっと深めの切り傷が出来た。
「イヤそんなに血が出て大丈夫な訳ないよ!?」
「それが本当に平気なの、見てて」
「あれ?もう血が止まってる?傷も治って…イヤ直ってる?」
怪我をした手を未来に見せる。未来の言う通り出血は止まり、傷口も少しずつ修復されて言ってるのが見える。
「最近なんかこう言うのが多くてね…今日一緒にお風呂に入る?そうすればもっと納得してくれる要素がありそうなの」
「お姉ちゃんとお風呂!?わーい♪久し振りに一緒に入れるー♪」
未来が嬉しそうで良かった。未来が嬉しそうだと、私まで嬉しくなりそうだ。
「さ、そうと決まればさっさと終わらせましょう」
「うん♪」
「そしてその後は、約束通り一緒に勉強しましょう」
「うん…」
あれ?急に未来に元気が無くなった。
「どうしたの?」
「宿題が多いの…」
「連休だもんねぇ…」
「…代わりにやってくれる?」
「ダメ☆」
「ちぇー」
そんなことを話している内に食器洗いは終了し、乾くのを待つだけになった。洗いかごに立てた食器から水が滴り落ちるのを尻目に、私と未来はそれぞれの勉強道具を引っ張ってリビングに広げた。
同日9:45
唐竹家リビング
「──と言うわけ。ここまでは大丈夫?」
「うん!サッパリ分かんない!」
「……orz」
私こと唐竹明日見は、現在自分の無力さを痛感している。どうやら私は勉強は出来ても教えるのが下手クソらしい。
かれこれ15分は経過しているが、どの教科でもこの調子だった。
──い、いやまだたったの15分だ!まだまだこれからよきっと。うん。
「じゃ、じゃあまた解らないことがあったら質問頂戴ね、私は私の課題をやってるから」
「はーい♪あ、お姉ちゃんここなんだけど…」
「いや、いきなりかい。えぇと、そこは…」
前途は多難である。よく見ると未来の課題は、私がかつて行ってきたそれと比べると数段レベルが高い。
「フゥ、今度は何とかなったよぉ~」
「や…やったぜ…!」
──ッシャァァアアアア!!!!見たかこの野郎!!!!
誰に向かって言ってるんだ私は?
「ねぇ未来」
「ん?なに~お姉ちゃん」
「私が中三の時と比べて大分難しいんだけど、何か理由が有るの?」
私がそう質問すると、未来は少しだけモジモジする。
「い、いやぁ大したことないよ?」
「そう?無理とかしてない?先生達から虐められたりとかしてない?」
「大丈夫だよぉ~お姉ちゃんったら心配しすぎ」
「そ、そう…」
──まぁ大したことないなら別に良いか。なんか訊いても答えてくれ無さそうだし。
「じゃあ今度こそ私も課題を進めるわ。何か有ったら訊いて頂戴」
「はーい♪」
そうしてそれぞれの課題を進めながら、私達の時間は過ぎていく。未来も最初は5分に1回のペースで質問していたのが、時計の長針が1周する頃には10分に1回有るか無いかくらいになった。
贔屓目抜きに見ても、未来は頭が良い。
いや、頭が良いと言うよりは、ここぞという時の頭の回転が速い。動物園で私が巨大犬頭と戦ってたとき、未来はテレビやネットで得た知識を総動員して私を助けたという。そう言う時の状況判断が非常に的確だ。
私の妹は目的のためなら、いかなる決断も迷い無く決断して実行する。最近になってそう思わせることが多くなった。
──最後の最後で尻に火を点けられて漸く決断できる私とは違う。
「お姉ちゃん?」
「ううん、何でも無い。この調子なら今日中に全部終わりそうね、後でアイスでも買う?」
「良いね!そうしよう♪」
◇ ◇ ◇
同日12:30 お昼時
唐竹家リビング
──ピンポーン♪
未来とお昼ご飯を用意しようとしたタイミングで、家のインターホンが鳴った。
「ん?誰だろう?はーい」
「……」
何となく、誰かの予想は付いていた。時間は指定していなかったが、彼女は確かに来ると宣言していた。けれどこのタイミングかぁ…
「お姉ちゃーん!お客さんだよー!」
「今行くー!」
まぁ、来たのなら仕方ない。勉強を見る約束もしたし、何ならお昼も一緒に食べるか。
「や”、や”ぁ”…」
「…どうしたの?」
玄関に居たのは、やけにゲッソリして立って居るのもやっとと言った具合の久米井だった。
「それがさぁ”…ゲホッゴホッ!きぃてくれよ”ぉあずみぐん…」
「どうしたらいい?お姉ちゃん?」
「…取り敢えず中に入れてお茶でも出さないとね」
リビングに案内して冷たい麦茶を振る舞う。彼女は出された傍なら勢い良く飲み干した。
「んぐっんぐっ…プハー!染み渡るぅ~」
「おぉ~凄い飲みっぷり~」
「取り敢えず、私達はこれからお昼ご飯を作ろうと思ってたんだけど、どうする?」
見た所ご飯を食べていないみたいだ。
「ふむ。ではご相伴に預かるとしよう。何か手伝えることはあるかね?」
「いや、特に無いかな。ちょっと時間は掛かるけど待ってて貰える?」
「別に構わないさ。こっちは押しかけてきた身だからな。寧ろタダ飯を食わせて貰えることを恐縮に思うよ」
相変わらず偉そうな口調なのに謙虚さを感じる。
「と言うか、本当に私の分も良かったのかね?」
「まぁ二人分も三人分もそう変わらないからねぇ~。寧ろ家族以外に私の腕を披露できる絶好の機会!私にとってはやるしか無いの!」
「…と、我が家の料理長は仰っています」
私は猛る未来を指さして久米井に説明した。
「成る程理解した。だが私はそこまで料理に五月蝿いわけでは無いからあまり無理はしないで貰えると有り難いのだが…」
「ふっふっふー♪アレにしようかな~♪コレにしようかな~♪」
「…あ、聞いてねぇなコレ」
「実際、腕は確かだから少し待っててね」
そうして私は、ウッキウキの様子の未来を手伝った。合間を見て久米井の様子を見ると、キッチンから漂ってくる匂いに目と口を半開きにして微睡んでいた。
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