気晴らしアルバイト
この女見てくれは良いんだよねぇ
5月2日(水)17:30 放課後
ステラガルテン
「いらっしゃいませ、お好きな席はどうぞ」
来店されたお客様は、適当な席に座ってメニュー表を眺める。私はそれを見送ってからお冷やとおしぼりをお盆に乗せてその席へ持って行く。
「こちらをどうぞ、ご注文はお決まりでしょうか?」
「あーもうちょっと待ってくれ」
「かしこまりました。お決まりになりましたらお呼び下さい」
そう言って私は席を離れ、他の席のお客様の注文の品を席まで運ぶ。最初の内はかなりぎこちなかったが、今では大分慣れたものだ。
「お待たせ致しました、こちらコーヒーのセットになります」
ふと、カウンターの方を見ると、会計待ちのお客様が伝票を持って立って居るのが見えた。私は対応をそこそこに、お盆を戻してからレジに向かう。
「お会計失礼致します。合計で1296円になります。1300円お預かり致します、4円のお返しです。ありがとうございました。またお越し下さい」
「明日見ちゃーん、こっちヘルプおねがーい」
店長の少し間延びした声が店内に響く。また機械類の故障だろうか?
「はーい、いまい──」
「あのー、注文をお願いしたいのですが」
「──くのはもうちょっと待って下さい。ご注文を承ります」
先程来られたお客様から注文を取る。店の奥から店長の催促する声が聞こえてくるが、もうちょっと待って欲しい。
「ご注文承りました。今暫くお待ち下さい」
私は注文票を持ってカウンターの裏の厨房に入る。
「佳奈美さん、どうしましたか?」
「あ、良かった~、いつの間にかガスボンベのストックが無くなってたの~。申し訳ないけど、買ってきて貰える?これお金ね」
「解りました、行ってきます。あと此方が注文票になります」
「ありがとう。ちゃちゃっと用意しちゃうわね♪」
そうして私は佳奈美さんからお金と買い物バッグを受け取ってガスボンベを買いに出た。
一瞬振り返って見せに掲げられた看板を見上げる。
『喫茶店兼バー“ステラガルテン”』
駅からは近いが、周囲の建物の死角に入ってしまうため、よく探してみないと気が付きにくい。そんな場所にこの店はある。
昼は喫茶店。夜はバーとして営業している個人経営の飲食店。
先程私を送り出した星野佳奈美さんと、その旦那さんである星野啓介さんによって経営されている。
そして私のバイト先で、心のオアシスでもある。
私はここに初めて来た日のことを思い出していた。
◆ ◆ ◆
──暇。退屈。やることが無い。
この日本で生きる一般市民の誰もが欲しがるもの第一位を私は持て余していた。
両親や妹に心配を掛けないために形だけでも毎日外出し、町の図書館で勉強をして時間を潰す毎日。自身で課したテスト問題や復習問題なども作って、理解に漏れがないかを確認するレベルの徹底ぶり。
でもこれは真面目に勉強をするためなどでは無い。一言で済ませれば、これは只の『逃避』だ。勉強のために頭を使えば、それだけ余計なことを考えないで良い。知識を詰め込めばこの気持ちに対する整理がきっと付く。そう自分に言い聞かせて、閉館時間まで食事を忘れて勉強に明け暮れた。
極度の疲労の中で眠れば、夢を見ることは無い。それを知ったのはこの暮らしを始めて直ぐのことだ。家族には『部活の練習がかなりハードになった』とでも説明すれば納得してくれた。嘘をついている自分が後ろめたくて、そう感じて直ぐに『何を今更』と自嘲する。
そうして冬休みが明けてから半月。
図書館の教材を全て使い切ってしまった。
所狭しと並んでいた教科書や参考書の類を、たった半月で類似する分野を除いて全て読み終え、そして勉強し尽くしてしまった。
「何か、他に何か無いの…?」
私は血眼になって図書館を歩き回った。高校の範囲から大きく離れた分野。そもそも月校で習わない分野。将来の役に立つかも微妙な分野。
何でも良いからとにかく知識を詰め込めそうな本を探し回った。傍から見るとその姿は薬物中毒者の一種に見えたと思う。勉強という名のドラッグが切れてしまい、平静さを保つことが難しくなってしまう恐怖に駆られている。2時間近く歩き回り、漸くもう何も無いことを理解した。
もう何も考えたくない。そう考える私。どうすればこの恐怖を忘れられるかを考えた。1番手っ取り早いのは、本当に薬物に手を出すこと。でも似非優等生気質な私は結局その手段を取れなかった。もし警察とかにばれたときに、家族にも迷惑を掛けてしまう、と言う恐れが私を躊躇させた。お酒は、買える年齢じゃ無いし。
「…歩こう」
結局私が選択したのは只の思考放棄。何も考えず只ひたすらどこかを歩くこと。学校からは離れた場所が良い。生徒や教師の目が有りそう。家の最寄り駅は拙い。情報が入りやすい。
あれこれ考えた末、図書館近辺から散策を始めた。最初の内はまだ新鮮な感じがしたが、直ぐに飽きた。周囲を見回しても高いビルばかりで、それ以外には何も面白みが無い。少し出費が痛いが、電車で少し遠くまで足を延ばしてみる。
『次は~月の岬~月の岬です』
「…海が近くなっちゃった」
そこまで学校からの距離は無いはずなのに、かなり遠くへ来てしまった気分。だが着いてしまったものは仕方ない。
「…まぁ、冬だし、平日だし、こんなものか」
駅を降りると人が疎らなのがよく解る。夏場には人が増えるのだろうか。ここに来るのは初めてだし、ちょっと歩くか。
それにしても海か。考えてみたら家族でもまだ来たことが無い気がする。中学の時に部活の合宿で行ったくらいだろうか。あの時は完全に意識が部活にしか行っていなかったから、海を見ても何かを思うことが無かったと思う。今なら何かが変わって見えるだろうか?
「えぇと、こっちか」
案内に従って歩き始める。海に近付くにつれて少しずつ人が増えていき、空気に塩気も感じ始めた。
そうして到着したのが、その日のお昼時を少し過ぎたくらいの時間だった。
「……」
人気の無さの他にも季節も相まって寒々しさを感じる砂浜で、静かに波が音を立てる。中学時代に合宿で行った海とは違うが、やはり今の私では特に何も感じないらしい。
砂浜に降りようとしたところで、自分が月校の制服で来ているのを思い出した。
「流石にローファーで歩くわけには行かないよね…」
次はちゃんと普段履きの運動靴で行こう。…次っていつ?
──グゥゥゥ…
「お腹減ったぁ…コンビニどこぉ…」
いつもは図書館の机に張り付いて勉強していたためあまり気にしていなかった腹時計が、今日行ったいつもよりも多く動いた分激しい音を立てる。幸にも直ぐ近くに建っており、そこで買ったおにぎりを防波堤に腰掛けて食べた。
──ちょっとだけ海の味がした気がする。
◇ ◇ ◇
昼ご飯を食べた後、しばらくは何もせずに只ひたすらボーッと過ごしていたらしく、気が付いたら大分日が傾いていた。いつもだったらもう家に帰っている時間の筈だが、このまま帰って寝てしまうと、またあの日の夢を見そうな気がして怖かった。
母には『今日は部活が長引いている』と連絡を入れてまた暫く歩くことにした。と言っても、流石に身の危険も有るから家から近いところに絞ることにする。
家の最寄り駅に着いたときにはすっかり日が沈んで空は昏く、周囲は街灯で照らされていた。
「イヤだなぁ…」
眠るのが怖い。何度も私の目の前で死ぬ先輩を見るのはもうイヤだ。だからこそ今まで自分を追い込んで夢を見ないようにしていたのに。
「あー…」
ふと、駅から道を少しはずれたところに何かの看板が立っているのが見える。この時間に一人で歩いているのは目立つし、それにファミレスは他にも誰かが居そうでなんかヤダ。だったら知り合いの誰も行きそうに無い場所に行くのが丁度良い。
──カランカラン
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
◆ ◆ ◆
「これぐらい買っておけば良いかな?」
佳奈美さんもメモの一つくらい書いてくれてもいいと思う。大雑把に『買ってきてー』だから私も啓介さんも大変なんだから。
「兎に角早く戻らないと。お客さんたくさん来ているはずだし」
ふと思い出すのは、私がバイトを始めてから一週間を過ぎたときに佳奈美さんが零した言葉だ。
『明日見ちゃんが来てから忙しくなったわ~。もちろん嬉しい悲鳴よ?』
それまでもバーや喫茶店はそこそこ儲けては居たみたいだが、私が入り始めて一変したと言う。どうしたなのかを聞いてみたら『さぁ~?どうなのかしらぁ~?うふふ』とはぐらかされてしまい、聞き出すことは出来なかった。
「まぁ、何でも良いか」
私はそこに居られればそれで良い。そこに居て良いと言ってくれた皆さんには報いないといけない。
──また近い内に時間を貸して欲しい。その時に改めて説明させて貰おう。
昼休み中の久米井の言葉が脳裏を過る。本音を言うとものすごく関わりたくない。でも向こうは思いっ切り私に関わる気満々だから、もうどうしたら良いんだろうホント…。
──カランカラン
「ただいま戻りましたー」
「はーい明日見ちゃんお帰りー。荷物置いたら4番テーブルおねが~い」
帰って早々仕事の指示が来る。ある意味分かりやすくて良い。買ってきた荷物を倉庫に置いて佳奈美さんの指示に従う。
「やぁ、昼休み振りだね。お邪魔させて貰ってるよ?」
「……………ご注文をお伺いします」
久米井那由多が現れた。
誤字脱字などの報告が有ればよろしくお願いします。




