安住を求めて
遅れてしまい申し訳ありません。スマートフォンにて失礼します。
「それにしてもここってどこなんだろうねぇ?」
「確かに、何なのかしらね?」
「スマートフォンは圏外で、そのせいで現在地がまるで解らない」
「念の為付けてきた腕時計は現在時刻をキチンと指してるはず。なのに太陽の位置が合ってない」
私達は歩きながらこの空間の法則を探ろうとしていた。よく解らないこの場所、仮に『異空間』と呼ぶことにするここは前に私が迷い込んだ場所と共通するところが幾つかあった。
異様に広いこと。
現在時刻と空模様が一致しないこと。
魔物が出現すること。
広さに関してはここまで歩いてみての所感だ。今私達が歩いているアラスカエリアは本来はただの一本道の筈だった。事実、こうして歩いていると道の脇には檻や柵がある。生き物は既に消えていた。檻の奥からは時折何者かの呻り声が聞こえてくるため、緊急の避難先には使えそうに無い。
そしてアラスカエリアを脱けてその先へ歩くと何故かまたアラスカエリアの入り口に来る。一見同じところをグルグル回っているようにしか見えないが、私が少し感覚を研ぎ澄ませると微妙に違うことも解った。なんて言えば良いのか空気が違う。少しずつ重くなっていく感じ。
空模様に関しては本当によく解らない。時刻はもう直ぐ夕方に入る。でもどうしてかこの空間は日が高いままだ。その癖空気は進めば進むほど冷え込んでいる気さえする。
魔物に関しては本当に解らないことだらけだ。道のど真ん中から強襲を掛けられることもあれば、柵の向こうから奇襲を掛けて来ることもある。今は私が何とか凌いでいるけれど、これから先はどうなるかがまるで解らない。段々戦術が巧みになっている気もする。
「そろそろどこかで休憩したい…」
「うん…そうだね…でもどこがいいかな?」
道の真ん中はダメだ、通り道はヤツのテリトリー。
なら檻の中は?少し探ってみようか。
「むむむむむ…」
最大限に音を意識する。厩舎の中に居るヤツらの気配を一体でも多く感じ取ろうとする。
「…あそこか」
「行き先決まった?」
「うん。今度は未来にも戦って貰う必要がありそう」
「うへぇー…」
近場の中から比較的気配の少ない檻に向かう。堅牢そうな鉄扉が中に居る者は絶対に逃さんとばかりにそびえ立っている。
「開くかな?」
未来が疑問の声を上げる。試しに取っ手に手を掛け力を込めて押したり引いたりしてみる。蝶番は動く気配はあるが、鍵が掛かっているためだろう、開く気配が無い。
「ダメかぁ~」
未来が落胆の声を上げる。けれどその声に残念がる様子は無く、元々期待していたわけでは無いみたいだ。
「…」
でも私は諦めるわけにはいかない。もう既に脚がパンパンなんだ、早く休みたい。
徐に短剣を振り上げ、扉に振り下ろす。扉に縦に切れ目が入り、中で何かが落ちる音が聞こえた。
「お姉ちゃん?いま、なにを?」
「多分これで入れる」
扉を引く。あっさり開いた。
「もしかして鍵壊した?」
「まぁ、そんなところ」
実際に出来るかは賭けだった。でも大見孝文の例があったからもしかしたらと思った。あの時はヤツの体はその服ごと斬れていたから行けるとは思っていた。
「さぁ、早く入ろう」
「う、うん」
素早く身を滑り込ませ内側から扉を閉める。その際に壊れた鍵の代わりになるものを探し、運良く見付けた建材の一つであろう鉄筋の束を手早く取り付けて外側から開かないようにした。
「さぁ、ここからよ。後ろはお願い」
「…うん、わかった」
◇ ◇ ◇
外から見た檻の構造はシンプルなものだ。順路から見える檻の向こうにある建物が厩舎にあたり、檻の奥にある扉から動物たちはそこから屋内と屋外を出入りする作りになっている。
私達が先程入った鉄扉はその檻と檻の間、順路から少し外れた軽自動車が一台通れるか通れないかの細い通路の先にあった。扉の先は道が二つに分かれており、それらの先に厩舎がある。既にどちらがより住民の数が少ないかは、いつもより鋭敏になった感覚を更に集中させて注意深く探った事で確認済みだ。未来の心臓の鼓動まで聴き取れるくらいに集中させた聴覚は、壁越しの寝息を聞き分ける事を非常に簡単なものにしてしまっていた。
「………」
安全を確保するために厩舎内を制圧する。言葉にするのは簡単だけど、いざ実行に移そうとすると体が震えてくる。何から来る震えなのかは解らない。今までが襲われる側だったのが急に立場が逆になったせいだろうか。
考えてみたら今までは何か明確な目的があってヤツらを殺し続けたわけでは無かった。大抵は襲い掛かってきたのを迎撃したり、正面切っての睨み合いでこちらが最初に動いたとき。これらはどちらも『今ここで死なないため』に行ってきたことだった。
しかし今回は違う。『安全圏の確保』を目的とした今回は今まで行ってきた行為とは明らかに生き物を殺すことの意味が変わってくる。『襲ってきたから迎え撃つ』のと『邪魔だから殺す』ではまるで意味が違う。
未来は何となく解っているのだろう。疲労もあるだろうが足取りは少し重い。
「未来、大丈夫?」
「お姉ちゃんこそ、平気?」
「いや全く」
「だったら──」
「休むにしろ立て籠もるにしろここしか今は安全な場所は無さそうよ。そのためには私達がやるしか無い」
そんな会話を小声で交わしながら厩舎に入る。その瞬間──
「──っ!?」
「な、なに!?いまゾワッて!?」
建物内で幾つもの何かが目を醒ます気配。それと同時に膨れ上がる殺気。
「…未来、扉を閉めて」
「お姉ちゃんは?」
「この廊下じゃアイツらが持つ武器は満足には振れないと思う。それに扉を塞いでいれば後ろは気にならない」
「わかった」
未来は閉めた扉を力一杯押さえつけて外部からの侵入に備える。これで私は後ろを気にしなくていい。
建物の中は私から見て前後に廊下が伸びており、長さは凡そ25m程と意外に長い。右側手前に簡素な扉が有り、その中は恐らく人間が詰める部屋。その奥にある格子戸が動物たちの厩舎となっている場所だろう。左奥に階段が有り、そこから二階へ上がれそうだ。
膨れ上がった殺気は多くが階段の方から。他は簡素な扉と格子戸の向こうから。
「Gurrrrr.....」
それ以上入れば殺す。そう言わんばかりの濃密な殺気が私達を襲う。きっとこれはヤツ等にとっての最後の温情なのかも知れない。『お前達が我々に敵うわけが無い』『そうと解ったら諦めてここを去れ』『今なら見逃してやる』と。ひょっとしたら私達が今まで行ってきた殺戮もヤツ等の耳に入っているのかも知れない。それを解った上で、私達を強者だと認めた上でそう言っているのだろう。それもそうだ。誰だって好き好んで争ったりはしない。野生動物の群れ同士の争いだって、どちらかが負けを認めて逃げ去っていけばそれを追ったりしない。互いに犠牲が出ないのならそれに越したことは無いのだから。
それでも私達はそうも行かない。今ここに居る私達が秘めている物は、ここに来るまでに私達が感じていた物は『恐怖』だ。未知への恐怖、命を狙われる事への恐怖、命を奪うことの恐怖、そして帰れなくなる事への恐怖。
私にとっては一生分以上の恐怖が心の中を支配していた。
人は何かに恐怖した時どうするか?理解しようとする。理解したらどうするか?世界から排除しようとする。ではそのためには?
「…ごめんなさい、貴方達は何も悪くない」
近くの扉に手を掛ける。相手もそれを感じ取ったはずだ。一気に緊張が高まる。
「未来」
「なに?」
「何が有ってもその扉を押さえることに専念して」
「お姉ちゃんは?」
「ここを開けたら直ぐに退いて、狭い廊下に誘い出して戦う。ここなら小回りの利く私が有利だ」
「わかった」
一つ深呼吸を行う。扉を開いたら戦闘が始まる。能動的に戦闘を仕掛けるのは初めてだ。何とかして呼吸を整える。強張るな。この建物が一番奴等の数が少ないんだ。始まれば数分も掛からない。未来は後ろで襲撃に備えている。なら何も心配は要らない。
「3」
カウントダウンを始める。緊張が高まる。
「2」
扉に掛けた手に力がこもる。
「1」
直ぐに退くために脚に力が入る。
「ゼロッ!」
扉を開け放つと同時に未来の元へ飛び退く。
「GaaaU!!!」
同時に数瞬前まで私が居た場所に、鋭い牙を噛み締めたヤツの顔があった。
──あの勢いで噛まれたらお終いだ!
私は自身の認識の甘さを今ここで思い知った。ヤツの武器は手に持ってた鈍器だけでは無い。
「GaU!!!」
「ック!」
初擊を外したことを悔しがる様子は無く、それも織り込み済みだというように追撃が来る。着地と同時に私に飛び掛かり、私より身長が低めの、けれど明らかに私以上の質量が私に向かって砲弾のように飛んでくる。とっさに避けたらヤツは壁にぶつかった。しかし今度はヤツはぶつかった反動で再度私に飛び掛かってきた。
「クッソ…!」
私の短剣は確かにヤツの体を容易に切り裂くことが出来る。しかし運動エネルギーまでは消し去ることは出来ないため、飛んできた巨体はそのままの勢いで私にぶつかってくるのだ。そうなると私は壁と肉の間に挟まる歪なサンドイッチの具材となり、思うように身動きがとれなくなる。すれ違いざまに斬ることも出来た。でも今の私はこの狭い空間でこれだけの早さで動き回る敵と今まで対峙したことが無く、対応が後手後手になってしまってる。それに後ろには私以上に無防備な未来が居る。誘導を間違えたら未来の命も危うい。
──無傷では倒せそうに無い。なら!
私がヤツの攻撃を避けて、ヤツの脚が壁を蹴る。その時私は今度は自分からヤツに飛び込んでいき、利き腕では無い左腕を掲げる。
「グァ!?」
洒落にならない痛みに思わず声が漏れるが、ヤツの動きは封じた。私の腕に夢中になってるヤツの頭頂に短剣を差し込んで息の根を絶つ。その後少し強引だがヤツの口から腕を引き抜く。
「グッ!?痛!」
「お姉ちゃん!」
──いっったい!マジで痛い!なんなのこれ!洒落になんないわよ!
「だ、大丈夫!大丈夫だから!」
「でもお姉ちゃん血が!」
思ったより傷は深いみたいだ。出血が止まらない。そう言えば狂犬病とか大丈夫かな?
「先ずは、一体!」
そう。まだこれが最初の一体。
少ないとは言えあと何体居る?その度に私はこんな怪我を負うのか?治る保証はあるのか?そもそも私達は勝てるのか?
奥から犬頭のヤツが走ってくる。手には武器を持っていないが、先程の痛みを思い出して思わず体が竦む。でも後ろの未来に手を出させないためには立ち上がるしか無い。
「大丈夫…大丈夫だから…」
誰に言うでもなく呟く。まだ戦いは始まったばかりだ。
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