第34話
固まったが、俺はひどく冷静だった。
考える暇があった。
まるで走馬灯のように静寂と止まった世界で俺の思考だけが早まっていく。
怖いくらいいろんな考えが、思いが込み上げてきて、結局出た答えはこれだった。
それは——あの時、言ってほしかった言葉だった。
会うのは最後と覚悟を決めて、フラれても承諾を得られてもどちらでも頑張っていこうと思った半年前の俺に言ってほしかった言葉だった。
「……っ」
しかし、心臓はバクバクしていた。
理性ではよく、分かっている。
俺はこんな女と付き合うべきではない。この時間も何の意味はない。
ただ、本能として、俺が俺である前に、一人の人間である前に——一匹の動物としての本能は逆をいっていた。
「————だめ、かな?」
頬を赤らめて、葵には負けず劣らずの大きな胸を互いに寄せて見せつけてくる昔の恋した人。
高校3年間の思い出が彼女には詰まっている。
分かっているのだ。
心では分かっている。
いや、深層では分かっていないのだろうか。
考えても考えても、どうにも腑に落ちなくて——俺は呟いた。
「遅い」
今更、考えても無駄なのだ。
だから、それは言ってはいけない。
この期に及んで、俺はそんな言葉を昔恋した相手に言ってはいけない。
葵も静香も報われない言葉を掛けてはいけない。
「——もう、遅い」
「っ?」
「何を今さら。そんな言葉で、俺をたぶらかせるとでも思っているのか」
これ以上はやめてくれ。
もう、言うな。
「——それはあの卒業式で聞きたかった言葉だ」
止まれ。
口を閉じろ。
「——ふざけるなよ。俺は駒か? 静香、お前にとって——そんなものなのか?」
「えっ……いや、別にそんなことは……」
「俺だって変わるんだよ。いくら、好きだった人でも今どうかは別だろうが?」
「……ご、ごめんっ」
俯く静香。
沸々と湧き出る怒りに身を任せ、叱責を繰り返す。
通行人はヤバいものを見てしまったかのような顔で通り過ぎ去っていく。
「……」
「じゃあ、私っ——行くね」
沈黙が続き、静香は居心地が悪そうに苦笑いを浮かべて立ち上がり、小走りで去っていく。
見えなくなっていくかつて好きだった人の背中を見て、俺は肩を撫でおろした。
「っ……はぁ」
情けない。
心の底にしまっておいた言葉が思わず口に出していた。墓場まで持って行くつもりだった疑念やら不満が俳句みたいに零れ出た。
「言わない、つもりだったんだけどなっ……」
それは、なぜなら。
葵も、静香もどちらにも得はないからだ。どちらも傷つける今更な言葉だ。
まったく、ずるいな、俺は。
明日は楽しい日だというのによ。
「……っ」
ふと顔をあげると、大きな荷物を持って立ち止まっている葵が見えた。
葵っ——と、声をあげようとすると、彼女は強張った表情でこう言った。
「——なんで」
「あ、葵——ちがっ‼‼」
「っ————!!」
口に出したが時すでに遅し、彼女は俺を一瞥し、振り返ると全力で走り去っていった。
<御坂葵Side>
16時30分。
少し早まったけど、とりあえずいい水着買っちゃったし……ゆっくり待ってようかな。
「ふんっ、ふんっ……」
狸小路あたりのデパートから出てきた私は鼻歌交じりに集合場所の大通公園まで向かう。
ステップと共に揺れる少し大きめな紙袋はシャカシャカと音を立てて、そんな動きに思わず笑みが零れた。
「明日、頑張ってよね? 隼人をもっと興奮させたいしっ!」
いやいや、妄想が捗りますなぁ。
これでどうやって、色気出していこうかな——なんて考えがポンポンと浮かんでくるくらいに私は少し、調子に乗っていた。
まぁ、仕方ないじゃん。明日、二人で海。この前のプールとは違って半日一緒で半裸で二人きりだなんて、さすがにテンションが上がっちゃう。
変態さがより一層増して困るくらいには、ドキドキが止まらないのだ。
にしても……ちょっとこれは、やり過ぎだったかな。
上下真っ白なビキニで、前回のとは布地の面積も小さめ。サイズ的にもギリギリだったからずれたりでもスレな見えてしまうくらい。さすがにやってしまったかもしれない。
「……まぁ、その時はその時かなっ」
そうだ。
その時は言質でも取って、後で懲らしめてやればいいのだ。
あ、でも——隼人の慌てふためく顔は見てみたいかもっ……。
いっそのこと、わざとやっちゃおうかな?
「って、それはダメでしょ‼‼」
一人でボケて、一人でツッコみ。
そんな私を半笑いで見つめる通行人に気づくわけもなく、小走りで去っていた。
「え?」
集合場所へ行くと、その目の前で立ち止まった。
いや、別に何かがあったわけではない。
そう、私には何もなかった。
私に、ではなく彼に。
スマホを持ってベンチに座る隼人の隣に、女が座っていた。
それも宗教勧誘だとか、そういう類いの人ではなく。
私も見知った——より深い仲の人。
——彼女、結締静香の姿があった。
顔も容姿も変わらない、私にとって忌まわしき女があろうもことか隼人に言い寄っていた。
大きな胸を押しあてるように、唇が触れ合いそうな距離まで近づいていた。
「っ——な……」
何をしているの‼‼
そう叫ぼうとして、口を開いたが——言葉は出ない。あまりにもな光景に、空気がヒューと飛び出る。
次に、一歩出そうとした瞬間。
「——私たち、付き合わない?」
刹那。
聞こえた言葉。
思わず、持っていた紙袋を落し、口に手を当てる。
絶句、絶望、そして疑念。
どうして、あの女が。
そして、目の前には——頬を赤らめて、避けようとする隼人。
そんな二人が目に入って、思わず俯き、耳を閉じる。
まさか——そんな、わけ……ない。
心中で何度も言い聞かせたが何もできなかった。止まって、しゃがんで、ぽろっと出てきた一言共に、私は走り出していた。




