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第9話


「——ということで、俺もバイト始めます」


 4月末。

 大学の講義には慣れたを通り越し、呆れまで現れていたそんなとき。


 俺は夕飯後、葵を寝室に呼び出し、そう言った。


「え?」


「いや、だから——俺、バイト始めるって言う報告を」


「え?」


「だから、俺、バイト始めるんだよ」


「え?」


「難聴か? もしかしてその耳、千切れてる?」


「——っ千切れてないし、聞こえてるし、というかっ! 耳にタコができるくらい聞いてるよっ‼‼」


「そこまで言ってないんだが、さっき言い始めたんだし……」


「知ってるし……」


 なんなんだ、こいつ。

 急に、怒り出すし……俺なんか変なこと言ったか?


「そ、そうか……まぁ、とりあえず、そういうことだから、よろしく」


「へっ——なに、それだけ!?」


「それだけ――って……別に、働くよーってことを言おうと思っただけだけど……普通に」


「……結構大事なことなんだけど?」

 

 むすっと頬を膨らませながら呟く彼女。

 言葉の端々から若干のイラつきを感じるが——俺もこの二週間ほど前に味わった感覚だ。


 まぁ、俺と違って……怒ってる顔がぷんぷん丸みたいで可愛いんだけどな。

 え? 古いって?


 仕方ない、その世代なんだよ、俺も。


「……気のせいか? 大事って言ったのは?」


「気のせいじゃない、現実ですっ」


「……なら」


「?」


「——おいおい、冗談きついぜ。自分の時は何も言わなかったじゃんか?」


「んなっ……そ、それは——それだしっ」


 どれはだれだ。


 これはこれなんだ。


「んで、嫌だったりすることあるのか?」


「いや……そういうわけでは、ないんだけど……なんか寂しいというか?」


「寂しい? 何が?」


「バイトでいなくなっちゃうのがっ」


「……バイトは、葵もしてると思うけど?」


「だ、だから——余計になくなっちゃうのが嫌だというか……」

 

「理屈が分からん……」


「と、とにかくっ‼‼ もっと、一緒に居たいというか……だからっ——」


「——別にいなくなるけじゃない。普通に大丈夫だから、ちゃんとシフト組んで会えるようにするから……てか、同じ家なんだから会えるじゃん……」


「そ、それはそうだけど……やっぱ少なくなっちゃうし」


 俯き、うぅ……悲しいうめき声をあげる悩める子羊状態の葵。

 好きじゃないと言ったり、会える時間が欲しいとか言ったり……昔からの天邪鬼が若干抜けていないのやら……。


 にしても涙目の葵を見るのは少し気が引けるため、俺は彼女の肩に手を置き、軽く叩く。


「もうっ……はいはい、嘘だから……大丈夫だからっ。俺は怒ってないから泣くなって——」


「な、泣いてないし‼‼」


「涙目じゃん」


「こ、これは水‼‼ 汗だもん‼‼」


「どっちだよ……」


「と、とにかく泣いてなんかないっ!」


「そうかよ……でも、それにしてもどんだけ一緒に居たいんだよ……」


「だ、だって——あの女に……」


「女? 佐藤さん?」


「うん、佐藤千夏……フった方の」


「佐藤、千夏……あぁ、そっちか。どこかで聞いたことあると思ったら佐藤ってその繋がりだったのか……」


 まさか血縁だったりして?


 って、そんなわけないか。佐藤なんて苗字の人、日本にはたくさんいるだろうしな、そんなことはないだろう。


「そ、それで……ようやく一緒になれたのに……というか」


「一緒になれた?」


「っなんでもない……」


「まあでも、ほらさ。お互いにお金は必要だろ? 奨学金ももらってないし、同棲で家賃は節約は出来ているけど、女子だったらシャンプーとか良いのにしたかったりなんて——ざらだと思うし」


「そこは……私が、我慢するし」


 ほんと、顔に出てるんだけどな。めっちゃ変えたり、コスメ買いたい——って。そこまで自分を犠牲にする必要はないと思うよ、俺は。


「一人で抱え込まなくていいし、二人合わせて頑張ればできるんだよ。葵はほら、可愛いんだし、もっとオシャレしないと男も寄ってこないだろ?」


「……か、かぁぃぃ……」


「うん、少なくとも俺は」


 まあ、誰しも思ってると思うし、自覚はあると思うんだけど。


 二人で歩いている時なんて、すれ違う度に俺は睨まれるし、隣の葵を舐めまわすような目を向ける男どもがたくさんだしな。


「っ——わ、分かった」


「おう、頼む。それに俺、あんまり接客業得意じゃないから、塾講師やるつもりだから」


「——そうなの?」


「ああ、だから週2の2時間とかだからあんまり心配しなくても大丈夫だぞ?」


「っさ、先に言って‼‼」


「いっ……た、叩くなって!」


 ぽこぽこぽこ。

 まるで子犬とじゃれてるくらいの威力の連続パンチ。

 

 さすが握力15㎏、ハンドボール投げ2mの運動音痴様だ。


「な、なんかムカつく。してやられた……」


「はは、してやったんだよ。潔く降参しやがれ」


「……し、してたまるか」


「してくれたら、あとで肩揉んでやるぞ?」


「っ⁉ ひ、卑怯‼‼」


「こちらとしては、毎日その片側750gのおもりを付けて歩いている葵様を労わってだなぁ」


「わ、分かったよぉ……降参です、揉んでくださいっ」


「おう、風呂あがったらやってやるから風呂は入ってこい」


「はぁい……」


 葵はそう言うと呆れたように立ち上がり、クローゼットから下着と寝巻を取り出していく。一応、後ろに俺、要るんだけど——と思ったがまあ、いつものことだ。一緒に暮らし始めてからはお互いに洗濯するし、普通に葵の下着はたくさん見る。もひゃ恥などどこかに消えてしまった。


「んじゃ、皿洗っておくから……ゆっくりな」


「うん……あ、その」


「ん?」


 キッチンへ向かおうとすると、葵が俺の服の端を掴んだ。


「——あ、ありがと。い、色々考えてくれて」


 何を言い出すのかと思えば、ありがとうとは。


「おう……それと」


「?」


「顔、真っ赤だぞ」


「っ……」



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