【雑踏の中で】(悠真)
<設定>
悠真視点。
晴夏大学生。
悠真高3。
晴夏に告白出来ず会えなくなってしまった悠真のお話。
櫻井先輩が卒業してから僕は羽々崎高の3年生に進級した。
あれから3ヶ月の月日が過ぎて、毎日が変わらない日常。
家族以外には見せない表の顔で、僕は相変らず学校生活を過ごしている。
優等生で誰にでも優しい僕。
創り上げた偶像だけれど今では僕の一部でもある。
それに気づかせてくれたのは櫻井先輩だ。
素直で、純粋。
それなのに成績は常にトップグループにいて、料理が上手くて運動も好き。
唯一の欠点と言えば天然のおとぼけさんってところだろう。
でも、それすら僕には欠点とは言えなかった。
僕の気持ちに全然気づかないままボケられると、腹が立つのと同じだけ堪らなく魅力的で愛しくなってしまう。
完全に先輩にめろめろで、まさに恋は盲目状態だった。
それなのに先輩が卒業する日、僕は告白することはなく先輩は僕の気持ちも知らないまま卒業していってしまった。
その結果、手元に残ったのは先輩の携帯への連絡先。
先輩から連絡がなくなってしまった今、何の繋がりにもならない。
こうして煮えきらない気持ちを抱えるなら卒業式の日に告白してしまえばよかったと思うのに、例え今、時間をあの時に戻す事が出来たとしても僕は同じことをするだろう。
寂しさと切なさの痛みが常に僕を苦しめると知っても……。
先輩を見つめるもう1つの瞳。
彼は身長が高く男らしく、無口で思慮深く、懐が広い。
まさに男という存在の具現。
僕とは正反対。
戦う前から負けを認めるのは僕らしくない。
それでも痛む胸を握り締めるだけで、僕はあの日誰かを探して走る先輩の背中を追いかけることが出来なかった。
先輩が彼を選んだのか、知るのが怖かったんだ。
僕は好きな人が僕以外の人と、幸せになるのを喜べるほど大人じゃないから……。
人の心なんて、いつまでも同じじゃない。
想いはいつか色褪せるモノ。
告白すら出来なかった先輩への想いは、それほど深い気持ちじゃなかったのだろう。
そう思いながらも想い端から心が崩れていく。
好きだと言いたかった。
僕が僕でいられる。
ありのままの僕を受け入れてくれた、たった一人の存在。
留まることを知らない想いが溢れ出してしまうのを止められない。
思考の波が押し寄せ、先輩のことばかり思い出してしまう。
先輩の笑顔が見たい。
先輩の声が聞きたい。
先輩に僕の名前を呼んで欲しい。
出来ない相談だと判っていても望む気持ちは押さえる事が出来なくて、僕はまた堂々巡りを繰り返す。
夕暮れに染まる空。
通勤ラッシュで混む駅前は家に帰る為の人で溢れ、みんな足早に過ぎてゆく。
高校の帰宅途中の僕もその1人だ。
歩きながら、視線はいつも先輩を探している。
先輩の連絡先は知っているのだし、こんなことをしないで連絡すればいい。
先輩だから、『久しぶり』って言えばいつものように話してくれるはず。
そう思うそばから視線は彷徨い、偶然に頼ろうとしている自分に苦笑がもれる。
初めて出会ったのがここだから、また先輩に会えるのもここのような気がしているからかもしれない。
僕はこの雑踏の中、立ち止まった。
すれ違う人が立ち止まっている僕にちらりと迷惑そうな視線を投げかけるけれど、気にすることなくあたりを見回す。
もしここで先輩を見つけることが出来たら、僕は想いを告げよう。
僕と先輩の間に運命の糸で繋がっているなら、どんな奇跡も起こるはずだ。
「櫻井先輩……。櫻井……。晴夏」
呼びたくても呼べなかった名前を呟く。
「早く来てよ。先輩。僕はここにいるよ。先輩はおとぼけさんだから少しだけ待ってあげる。だから早く……」
僕の口から零れた小さな呟きは雑踏の雑音に消され、夕暮れの空に消える。
「……馬鹿だ。僕」
ありえない奇跡だと理解しているせいか苦笑がまた漏れた。
自分で行動しない限り僕のこの想いは届かない。
過去は変わらない。
奇跡は起きない。
でも、もう少し経ったら、僕は先輩のことが好きだったんだよって言えるはずだ。
何度も繰り返して先輩を想っているうちに、僕の想いもいつかこの空に溶けるだろう。
それまで僕はこの恋を抱えていく。
僕はゆっくりと雑踏の中を、自分の家に向かって歩き出す。
僕は明日も先輩が好きだろう。
明後日も、そして明々後日も。
一ヶ月後も好きかもしれない。
1年後も好きかもしれない。
10年後まで好きかも知れない。
でも、いつかそれは思い出になる。
それでいいんだ……。
「悠真くんのばかっ! 待ってってば!」
突然、背中に投げつけられた言葉に無意識に振り向くと、泣きそうな顔の先輩が人の波に攫われそうになりつつも、人混みを掻き分けて僕の方へ向かって来ている。
夢や幻じゃないよね?
呆然としたまま、先輩を見つめているうちに、先輩は何とか僕の前までやってきた。
3ヶ月ぶりに会った先輩は、ほんの少し大人っぽくなっていたけれど、今でと同じ可愛いままだ。
「何度も呼んだのに、どうして行っちゃうの?」
「え?あ……、ごめん。全然聞こえなくて……」
現れた先輩に突然怒られ、僕はとっさに謝ってしまっていた。
「電話もくれなくなっちゃったし、ヒドイよ!」
「ごめん……。ってそれは先輩もじゃん」
ついまた謝りそうになり、ひどいのは先輩も同じことに気づいてそう言ったら、先輩は不満そうに頬を膨らませた。
「一緒じゃないもん! ちゃんとげた箱に手紙を入れておいたじゃない」
「は?」
ただでさえ突然現れた先輩に戸惑っているというのに、かみ合わない会話でさらに混乱する。
「えっと、状況が判らないからちゃんと説明してくれる?」
「……卒業式の日、さんざん探したのにいなかったから、げた箱に卒業後もまた遊んでくれるなら電話してって書いた紙を入れたでしょ?」
「え? そんなの知らないよ」
「嘘!」
涙目で怒る先輩を前に僕はふと疑問を思い浮かんだ。
「先輩、僕のげた箱の位置、知ってたっけ?」
「1番上の1番目でしょ」
「僕は1番上の、2番目だけど……」
「……え? じ、じゃあ!」
硬直する先輩に体中の力が抜ける。
あの卒業式の日、僕の見た先輩の背中は僕を探していた時の背中だったってこと?
つまり先輩はあの人ではなく僕を探してくれたのだ。
それだけで、どうしょうもなく嬉しくなってしまう。
「まったく。先輩は本当におまぬけさんだよね?」
「あうっ、……ご、ごめんね?」
顔を真っ赤にして上目使いで謝る先輩に、僕の心臓がトクンと鳴った。
いつの間にか、いつものように会話している自分に気づいて笑ってしまう。
「ま……先輩らしいけどね」
「だって……」
いじけた表情を浮かべ先輩は僕の制服の端を掴む。
先輩は失敗する度、何故か僕の服の端を掴んだ。
まるで何処にも行かせないように……。
「先輩……」
「ん?」
「僕もあの日、言いたい事があったんだ」
「え? そうなの? じゃあもっと早く電話してくれればよかったのに」
「うん。でも、あの時はまだ時期じゃなかったんだと思う。今だから言葉に出来る。……先輩、僕、先輩のことが……」
ずっと会いたくて、ずっと声が聞きたくて、ずっと名前を呼んで欲しかった人。
願いは叶い奇跡が起きている。
そうしてやっと僕は、ずっと言いたくて言えなかった言葉を先輩に告げたのだ。
僕の言葉は空に溶けず、今度は真っ赤な顔をした先輩の中に溶けていった……。
また来週更新します。




