【Intersection】(晴夏)
<設定>
*晴夏は大学生。
*卒業の日、悠真に告白されたものの言い方が悪くて断ったことになってしまう。
雲ひとつない空から降り注ぐ日差しの眩しさに、目を細め空を見上げる。
春を告げる柔らかな日差し。
温かい風が私の横を通り過ぎていく。
ああ、そう言えばもう春なんだな……と、改めて感じる。
私は立ち止まり、空を見上げたまま瞳を閉じた。
そうすると瞼に浮かぶのは悲しそうな瞳。
私はもうずっとこの瞳に捕らわれている……。
蘭聖大学に進学してから、来月にはもう20歳になろうとしている。
ついこの間、大学に入学したばかりだと思っていたのに、すでにキャンパスは見慣れたものとなっていた。
高校生の時は、これよりもずっと時間の流れが速かったように思う。
部活動に一生懸命で、正直、大学にはよく受かったものだとさえ思うほど部活に打ち込みすぎて、受験勉強には苦しめられた。
少し強い風に揺れ、私は長くなった自分の髪を押さえる。
羽々崎高校を卒業してから髪は伸ばしたまま。
この髪だけが、自分の大切な思い出を覚えていられるような気がしていたから……。
私がこんなセンチな思いをするのは、今、ここに立っている場所が思い出の場所だからだろう。
高校3年間を通った羽々崎高校の通学路。
道路のすぐ横には海が広がる眺めのいい坂道。
私はここを毎日歩いた。
時に1人で。
時に友人と。
時に、大切な人と……。
幼い頃、父の仕事の都合によってここに住んでいる祖母の家に預けられ、ここに住んでいたことがあったけど。
また父が転勤となり、祖母の家から父と一緒に新しい場所に住んだ。
そして私が高校受験を控えた時期に祖母の体調が悪くなり、父は祖母と同居する為にマイホームを購入することにした。
その為に、高校から、ここにある羽々崎高校に通うことになったのだ。
前に住んでいた場所とは違って、ここはずいぶんと都会的な場所だった。
歩くのに苦労するような道もなく、それどころか車の存在を気にして歩道を歩かなくてはならない。
1日中ネオンが見えて、夜中に買い物すら出来る。
そういったことが慣れなくて、私はここの生活に慣れるのに1年もかかってしまった。
2年目は部活やバイトに奔走しつつも、友達作りに励んだ。
3年目はずいぶんと勉強を疎かにしてしまったせいで、大学の受験では苦労させられることになった。
あっと言う間の3年間。
思い返すと、何をしても必死で精一杯だったあの日々。
毎日がめまぐるしくて、全然余裕がなかった……。
その中で、私の中に深く根をおろしてしまった存在がある。
2年になったばかりの最初の日。
あいにくの雨。
その雨に、昇降口で立ち往生していた1人の男の子。
新品の卸したての制服から、すぐに新入生だとわかった。
癖のある柔らかそうな髪に、頬に影を落とすほどの長いまつげに縁取られた大きな瞳。
どちらかというと私も身長が低く目線がそれほど違いがなくて、整った容姿はまだ幼さが抜けておらず、柔らかく朗らかな笑顔をする天使みたいな男の子だった。
自分の傘を差し出して、1つの傘で一緒に駅まで帰った男の子。
それが松浦 悠真くんだった……。
その数日後、悠真くんには陸上部で再会することになる。
私が所属している陸上部に彼が入部してきたのだ。
重なる偶然。
甘いものが大好きな悠真くんを、最初、私は悠真くんをお隣の中学生の蓮くんのように思っていたのだ。
でも、悠真くんの可愛いは蓮くんの可愛いとは全然違う。
普段はにこにこと天使のような笑みを浮かべているけれど、陸上の練習をする悠真くんの真剣な表情は、どう見ても男らしくてカッコよかった。
その後、可愛く見えるのは演技だったと知った時、最初は戸惑ったものの、すんなり受け入れることが出来たのは、悠真くんが優しい男の子だったせいだろう。
天使だと思っていた男の子は、自分の魅力を最大限に生かしている、ごく普通の男の子だったことがわかった。
人の期待を裏切らないように努力している姿は、とてもかわいらしくて、その時、初めて異性というものを意識したのかもしれない。
誰にも感じたことのない違和感。
それはとても小さなもので、私はその事を深く考えることもしなかった。
そのことを自分が後悔することになるとも思わずに……。
悠真くんはその時から私に一番近い存在になった。
人よりのんびりな私は、毎日を過ごす事に精一杯で、異性の誰かを特別意識するようなことはなく過ごしていた中、悠真くんだけは私から遊びに誘うただ1人の異性だった。
日常に少し疲れた気持ちになると、何故か彼を思い出す。
勉強がうまくいかなくて気分が落ち込んだ時、悠真くんと一緒に出かけると不思議と憂鬱な気持ちは消え去り、穏やかな気持ちになれる。
そんなふうに悠真くんは私にとって、頑張るための癒しを与える存在だった。
気づかないうちに私は自分よりも年下の彼を頼りきっていたのだ。
自分の行動が彼にどれほど影響を与えているのか理解すらせず。
羽々崎高校を卒業する日、私は悠真くんから告白を受けた。
悠真くんは心の拠りだったが、恋愛感情については考えたことがなかったから時間が欲しかった。
私にとって悠真くんがどんな存在なのか見極める時間を……。
最初にまず謝りの言葉を言って、そのことを話そうと言葉を続けようとしたのが悪かった。
悠真くんは断られたと思ったのだろう。
私が言葉を続ける前にいつもの冗談だと笑ったのだ。
その瞬間、私は何も言えなくなってしまった。
悠真くんが冗談なんか言っていないことは瞳と表情を見れば分かる。
それでも、言葉が出てこなかった……。
悠真くんが特別なのはわかっている。
でもその特別がどんな特別なのかまだわからないのに何を言えばいいのだろうか?
私に気づかって言ってくれた「冗談」という言葉が、私の中にある勇気をすべて奪っていってしまったのだ。
悠真くんが立ち去り、1人残されてやっと自分の中に芽生えていた小さな恋を自覚し泣いた。
あの時、すぐに悠真くんを追いかけて、本当の気持ちを伝えるべきだったのに……。
恋を取り戻そうともしなかった自分の不甲斐なさのせいで、私は恋の花を咲かせることも出来ないまま、ずっと育ち続けている恋をかかえるしかなかった……。
「ああっ! 晴夏!」
羽々崎駅の改札を出たところで、突然名前を呼ばれた。
「え? あれっ、あかりちゃん!」
「久しぶりやんか!」
高校からの親友、あかりちゃんの向日葵のような笑顔に自然と笑みが浮かぶ。
高校の時にアルバイトしていたケーキ屋さんにそのまま就職してしまったあかりちゃんとは久しぶりの再会だった。
「なんか、随分と会ってない気がするなぁ?」
「う~ん、3ヶ月ぶりぐらいかな?」
「大学で忙しそうにしてるアンタと働いているアタシとでは時間的に合わないからしゃーないねんけど……。あ、そうそう。羽々崎高の時、アンタ、松浦ちゅー子と仲良かったやんか、覚えとる?」
「う、うん、もちろん」
突然悠真くんの話題が出てきて、心臓がドキリと跳ね上がる。
羽々崎高校を卒業してから半年ぐらいの時、この羽々崎駅で一度悠真くんを見かけたことがある。
一瞬、本当に悠真くんか疑ってしまったほどすごく身長が伸びていた。
3年生になったせいか幼なさが抜け、どこか女性的な印象だった雰囲気もなくなり、誰から見ても男性だった。
私は友人と楽しそうに話す悠真くんを、人ごみに紛れ見えなくなるまで目で追った。
それからは1度も見ていない。
それがこんな所でその名前が出るとは……。
「あんな、あの子アタシが買っている雑誌のイケメン特集に載ってんねん!」
あかりちゃんはカバンの中をごそごそとさぐり、1冊の雑誌を出して私の目の前で開いて見せてくれた。
言葉の通り、街で歩く男の子を写真にとっているページで、少し昔の面影を残した悠真くんが写っている。
「ホントだ……」
「びっくりしたで~? あ、タイプやって思ってインタビューを読んだら、羽々崎高にいたって書いてあるし、どっかで見た気がしてな? 思い出していたらアンタに会ったんや! すごい偶然とちゃう?」
「あはは……そうだね」
私の視線は雑誌に写っている悠真くんの姿からそらすことが出来ずにいた。
また、大人っぽくなっている……。
背はまた伸びたのかわからないけれど、顔つきは前に見た時よりもずっと大人っぽい。
インタビューには羽々崎大学に通っていると書いてあった。
「そういや、羽々崎高にいた時はしょっちゅうウチのケーキ買うて行ったのに、2年前ぐらいから店で見なくなってな?」
「え?」
あかりちゃんの言葉に、私の視線が上げられる。
「悠真くん、ケーキ買いに来ないの?」
「せや」
「……」
悠真くんのケーキ好きは半端ではない。
特にケーキには目がなく、あかりちゃんが働いているケーキ屋さんの常連さんだったはずだ。
それがどうして……。
あかりちゃんの事を悠真くんは知っているから、そのせいで行きずらくなったということも考えられる。
そんなことを考えていた時だった、突然声を掛けられたのは。
「ねえねえ、君達、すごく可愛いね~」
ナンパの常套句で声をかけてきたのは、首に大きなカメラをさげた男の人だった。
「あ、別に怪しいナンパとかじゃないから。今、可愛い女の子を捜しているんだけど、ちょっと写真を撮らせてくれないかぁ~」
どう見ても怪しい人のセリフなのに、あかりちゃんが嬉しそうに反応する。
「え? ウチら可愛い?」
「うん、うん、この人ごみの中で、すぐに視線が止まったほどだったよ。あ、僕、こういう者です」
そう言って男の人が差し出してきた名刺には、本屋でよく見かける男性向けの雑誌の名前が書いてあった。
「あ、この雑誌知っとる! アタシが持っているこの雑誌の兄弟誌や!」
「おっ、良く知っているね! そうなんだ。今度、近くにいる可愛い女の子を特集することになってね。ぜひ、その写真を撮らせてくれないかなぁ~」
「ええっ、ホンマ?」
男の人の言葉に、あかりちゃんが目が輝やく。
これで写真を撮ることは決まったようなものだ。
あかりちゃんとツーショットならという条件で、私とあかりちゃんは写真を撮ることになった。
背景はもちろん駅の人気が少ない場所。
写真を数枚撮られている間、ほんの少しプライベートを聞かれたから差しさわりのない程度で答えた。
その後、写真が載る号を教えてもらい、その日はあかりちゃんとも別れた。
今、私のかばんの中には、その時の写真が載っている雑誌が入っている。
女の子の写真がごちゃごちゃと載ったページの端にあかりちゃんと寄り添うように写っていた。
その上に、名前と年齢、彼氏の有無、そしてコメントが載っている。
そこには、海外への引越し予定が書いてあった。
写真を撮っている時、カメラマンさんにちらっと引越しの準備に忙しいともらしたのだが、海外へは旅行に行くだけで移住するわけでもない。
また父の転勤が決まり、祖母も亡くなってしまったのでマイホームを手放すことにした。
私は大学があるから一人暮らしすることになったのだ。
それがどう湾曲するとこういった話になるのだろう。
私は苦笑しつつ、駅よりも先にある自分の新しい住まいへと歩き出した。
その日はじとじとと降り続く雨の日だった。
大学から帰宅途中の駅で、私は偶然お財布を拾ったのだ。
辺りを見回しても探し物をしているような人は見当たらない。
私は少し濡れたお財布をハンカチで汚れをふき取り、駅に落し物として届けた。
駅員室の一角、駅員さんに立会いを求められ、お財布の中身を一緒に確認することになり、お財布の中身が広げられていく。
人様のプライベートを勝手に見ているようで、ほんの少しドキドキした。
「あれ?」
駅員さんが驚いたような表情を浮かべ、私と、お財布から出した紙を見比べる。
「これ、君じゃない?」
そう言って差し出されたのは私の写真だった。
正確に言えば、あの雑誌に載った写真の切り抜きだ。
「あ……。そうです」
「ええっと、おっ、キャッシュカードが入っている。名前は……マツウラ ユウマ。知り合いじゃないよね?」
「え? 悠真くん?」
「あれ、やっぱり知り合い?」
一瞬、心臓が止まったんじゃないかと思うほど驚いた。
こんな偶然があるのだろうか?
たまたま拾ったお財布が悠真くんのものだなんて……。
「はい、高校の時の後輩で……」
「連絡先、知らないかな? 連絡しないとね」
「……はい」
連絡を取り合っていた携帯番号はもう変わっていても、最初にかけた家の電話番号は変わってないはずだ。
私は自分の携帯を出し悠真くんの家の電話番号を駅員さんに教えた。
「ちょっと待ってて、今、電話をかけてみるから」
私の目の前で駅員さんが受話器をとって、携帯のディスプレイを見ながら電話をかける。
その様子に息苦しさを覚えるほど心臓の鼓動が高まっていく。
はたして悠真くんは電話に出るのだろうか?
室内に響く呼び出しのコール。
それは数回で途切れた。
「あ、もしもし、松浦さんのお宅でしょうか? こちら、羽々崎駅の河野と申しますが、そちらに悠真さんという方はいらっしゃいますかね? ああ、ご本人さん? お財布、落とされました?」
その一言で、私の心臓が飛び跳ねた。
今、駅員さんの話している相手はあの悠真くんなのだ。
懐かしさといたたまれなさと、切なさが胸に押し寄せてくる。
「お財布を届けてくださった方がいましてね。こちらに届いているんですわ。それで……」
駅員さんの声がだんだんと遠くなっていく。
なんだか鼓動が早くて胸が苦しい……。
「あっ! 君!」
視界がブラックアウトし闇の中へと落ちていった……。
私が目覚めると、見たことも無い白い天井とクリーム色のカーテンが目に入る。
すぐ横に人の気配がして視線を動かせば、体がしびれたように動かなくなった。
簡易ベッドの上に寝かされた私の横で、悠真くんがパイプ椅子に座っている。
一瞬、まだ夢を見ているのかと思って、つい彼の名前が零れてしまった。
「悠真くん……」
「……」
けれどぶぜんとした表情で私を見つめたままで、呼びかけにも応えてくれない。
仕方ない彼としては思いがけないことだったのだろう。
2年前にあんなことがあって、ずっと会わなかった相手とこんな形でまた会うことになるなんて誰も予想出来ない。
彼は優しいから倒れた届け主が知り合いと聞いて、付き添ってくれただけ。
きっと私じゃなくても付き添っただろう。
人の心はいつまでも同じじゃない。
そのことに苦笑してしまう……。
「付き添ってくれたんだね。ありがとう。もう平気だから」
出来るだけ平静を装いながらベッドから起き上がる。
視線を彷徨わせ自分のカバンを探すと、すぐ横のテーブルの上にあった。
そのカバンに手を伸ばしたとたん、横から手が伸びて私のカバンが目の前を移動する。
私のカバンはそのまま空中を移動し、悠真くんの膝の上に到着した。
「あの……」
「途中まで送る」
戸惑う私と悠真くんの視線が交わう。
記憶よりも少し低くなった声。
数年ぶりに聞く悠真くんの声だった。
「あ、でも、大丈夫だから……」
「いいから!」
少しイライラした様子で言葉が遮られる。
無意識に体がビクリと反応してしまう。
そんな私に悠真くんは顔を背けて立ち上がった。
向けられる背中に、悲しい気持ちが沸き起こる。
当然の反応。
私は彼を卒業式のあの日、拒絶したのだ。
すぐにちゃんとすべてを話していたらと、何度も無意味に繰り返し思い続けてきただろう。
「……ごめんなさい」
小さな声で謝りながらベッドから出た……。
天使だった悠真くんは背が高く、もう立派な男の人のものに成長してしまったれど、エンジェルスマイルは健在だった。
人当たりのいい礼儀正しい態度で、私たちの間にあることを微塵も感じさせずに駅員室を出る。
その時、届けた駅員の人に何かを呟かれ、悠真くんの表の顔がほんの少しだけ剥がれた。
懐かしい見慣れた反応だった。
でもそんなのは駅員室を出るまでだ。
お互い無言のまましばらく一緒に歩く。
何度もこうして一緒に歩いたことが懐かしい。
「あ、違う」
「え?」
つい今まで住んでいた場所へ行くバス停に歩いていることに気づいて慌てて立ち止まると、悠真くんが少し驚いたように立ち止まって振り向く。
私は引越しして1人暮らししているのだ。
その家に帰るのには反対側にあるバス停に行かなければならない。
「あのね、違うところに住んでいるの。今はアパートを借りて1人暮らししてる」
「……」
聞き違いかもしれないけれど、私の言葉に小さな声で、『なんだよ』って聞こえたような気がした。
不機嫌そうな悠真くんの表情のせいで聞き返すことはできなかったが、悠真くんはバスまで一緒に乗ってくれたのだ。
バス停を降りて一緒に下校した道を反対側から一緒に歩く。
傘の分の2人の距離がなんだか寂しい。
車内では終始無言で、いたたまれなさに耐えられなくなった私は、坂道を歩きながらとうとう口を開いた。
話してくれなくてもいい。
もう無言のまま歩くことに堪えられなかったのだ。
「坂道はすこし大変だけど、この道がすごく好きでここに決めたの」
「……」
「海がすぐ近くにあるから海の波の音がしてね。まるで海の中にいるような気がするんだよ」
「……」
何も話してくれず、黙々と歩く悠真くんに苦笑が漏れる。
ただ、思ったほど早歩きではなく、むしろ悠真くんはすごくゆっくりと歩いていた。
倒れた私を気遣ってくれているのかもしれない。
彼はいつも昔からさりげない気遣いをしてくれていたのだ。
私はもっと話題を続ける為にきっかけを探す。
そこで、悠真くんのお財布に私の載った雑誌の切り抜きが入っていたことを思い出す。
「あ、そう言えば中身を駅員さんと確認するのに見ちゃったんだけど、私の載っている雑誌の切り抜きを持っていたんだね。偶然にも……」
「あれは!」
すごい勢いで悠真くんに言葉を遮られる。
その勢いにびっくりしてしまい足が止まった。
「……悠真くん?」
「あれは友達ので僕に知り合いかって聞いて来た時に預かったもので……」
「うん、分かってるよ。そんなところかなって思ってた」
「……」
いつまでも悠真くんが私のことを思い続けてくれているなんてうぬぼれたりはしない。
もちろん、そうであってくれたらどんなに嬉しいか。
でも、拒絶してからもう2年の月日が流れてしまっている。
今さらだろう。
「私もね、悠真くんが載った雑誌……」
「どうしているんだよ……」
「え?」
「どうしてここにいるんだよ。海外に引越ししたんじゃなかったの? 雑誌にはそう書いてあって僕は……」
苦しそうな表情を浮かべている悠真くんに自分が何か悪いことをしているような気がする。
悠真くんにとっては今さらでも苦しいのだ。
「……海外は旅行に行っていただけで、カメラマンさんが勘違いしたみたいなの……。私が海外へ引っ越すって読んで安心した? ……それならごめんね」
「……」
俯く悠真くんの前で言葉が泡となって消えてゆく。
切なさだけが降り積もり行き場のない心が痛む。
目頭がチクチクと痛み出し、涙が出そうになっていることに気づいて慌ててしまう。
「もうここでいいよ! 送ってくれてありがとう。カバンも……」
上手く笑えているか自信がないけれど、精一杯笑って見せる。
「先輩はいつもそうだ!」
「ゆ、悠真くん?」
「忘れたいのに何度も僕の前に現れる。今回だって少しいいかもって思う子に告白されて受け入れようと思ったのに、雑誌なんかに載っていて海外に引越しするって読んで、もう会えないんだって思った。そうしたら頭ん中ぐっちゃぐちゃで僕がどれだけ苦しんでいたか先輩にわかる?」
「……」
「僕は……僕は……」
苦しそうな表情を浮かべる悠真くんに自然と手が伸びてその腕に触れた。
触れた途端、悠真くんは体を反応させたけど、振り払うことはしない。
悠真くんの腕に触れる私の手に雨が落ちていく。
「もしかして……今でも私のことを好きでいてくれているの?」
微かな希望。
ありえないと思いつつも確認せずにはいられない。
「ばっかじゃないの。僕は……」
悠真くんは私の言葉を笑い飛ばそうとしたのだろう。
一瞬笑おうとして上手く笑えなかったのか、すぐに泣きそうな表情に変わる。
「……私ね。卒業式のあの日、きちんと最後まで話せなかったことがあるの。あの時のこと覚えている?」
悠真くんに触れている私の手が震えている。
今度はちゃんと伝えないと……。
もう後悔で泣くのは嫌だ。
あの日の言葉が脳裏に蘇っていく。
「あの言葉には続きがあったの。今度はちゃんと最後まで聞いてくれないかな?」
「先輩? ……続き?」
「ごめんね。私にとって悠真くんはかわいい後輩だから……。でも、私から電話するのも触れたいと思うのも悠真くんだけだった。私が苦しい時、気持ちがくじけそうな時、悠真くんに会うと不思議と元気になれた。……羽々崎市に来て3年間は、私にとって自分の生活をしていくことに精一杯で、恋とかを考える余裕なんてなかったの。でも、少しだけ時間をくれるなら悠真くんのそばにいたい」
勇気がなくて言いたかったのに言えなかった言葉。
やっと悠真くんにつたえられた……。
「……これがあの時言いたかったのに言えなかった言葉なの」
「え?……」
「ねえ、これを見て」
困惑している悠真くんに持っていたカバンを受け取り、中から手帳を出す。
そして一番最初のページを開いて見せる。
「私も悠真くんの写真の切り抜き持っているんだよ……だって今でも私にとって悠真くんは大切な人で心の支えだから……、そして、ずっと私の好きな人だから……」
「先輩……」
驚いているのか大きな目をさらに見開いて私と手帳を見比べている。
「私って少し鈍いみたい。私の前から悠真くんがいなくなって初めて自分の中に恋が芽生えているって気づいたの。……もう遅いかもしれないけれど、私、悠真くんのことがずっと好きなの」
我慢していた涙が、するりと零れる。
「……先輩って本当におまぬけさんだよね。今頃鈍いって自覚するのって遅すぎるよ」
「うん、本当だね」
「でも、許してあげてもいいよ。……僕の彼女になるならね」
「え?」
私が顔を上げると悠真くんの泣きそうな表情とぶつかる。
「先輩。ほら」
悠真くんが傘を持っていた手を離し両手を広げる。
「?」
「先輩から僕へ飛び込んでよ。僕をさんざん待たしたんだから先輩から僕の側に来てよ」
その言葉でいくら鈍い私でも、悠真くんがそばにいることを許してくれたのだとわかった。
私も持っていた傘を離し悠真くんの胸に抱きつくと、やさしく抱き締められた。
悠真くんの暖かな体温が私に伝わってきて、涙が止まらない。
「……やっと、僕のものになった。やっぱり先輩は僕の運命の人なんだ」
「悠真くん」
頭1つ分身長差があるせいなのか、私の頭の上に悠真くんの頭がのせられ体がしっかりと固定される。
「先輩……好きだよ。ずっとずっと気持ちは変わらなかった。……待たされた分、覚悟していよね」
体の繋がりを通して伝わってくる、優しくて繊細そうな声に胸が一杯になってしまう。
言葉はいらない。
私は背中に回した腕に力を込めて頷く。
別れてしまったと思っていた道。
しかしそれはその先でまた交わっていた。
悠真くんに出会った時も雨だった。
そして今も雨。
「僕はずっとそばにいるよ……」
優しい声が、温もりが側にある。
私の中の物語は、そうしてまた新たな物語を紡ぎ始めた……。
完結している作品なので毎週金曜日に更新します。