第1章 試合前 その6
主な登場人物(カッコ内は登場人物のエピソードを紹介している部分)
小林龍也・・北江ジャガーズファン。(第1章その1、その2、その7、その8)
滝沢忠・・・北江ジャガーズのエース(第1章その5、その6)
土井勘太郎・北江ジャガーズ監督(第1章その4、その9、その10)
田中香織・・毎朝スポーツ北江ジャガーズ担当記者(第1章その3〜その5、その10)
秋山めぐみ・独占スポーツ北江ジャガーズ担当記者(第1章その3〜その5、その10)
畠山正・・・第7戦の主審(第1章その2)
*お断り*
この小説は2008年に行なわれた日本シリーズ第7戦、埼玉西武ライオンズ対読売ジャイアンツをベースにしています。モデルになっている選手の経歴や試合進行はかなり忠実に再現していますが、選手の性格及び言動、また登場する審判、記者、ファン等は全てフィクションです。その旨ご了承いただきますようお願いします。
滝沢にも期するものはあった。甲子園のヒーローとして、またメジャーに渡った大先輩安藤と同じ港高校の後輩として期待を背負い入団。
一年目は開幕先発ローテーションに入ったものの、わずか1勝で終わってしまったが、2年目は順調に成長し12勝をあげることができた。
だが、シーズン後半はバテてしまい、肝心のプレーオフには登板のチャンスすら与えてもらえなかった。
安藤がメジャーに移籍した昨年は17勝をあげ最多勝のタイトルを獲得したが、チームは4位に終わり優勝どころかプレーオフにも進出できなかった。
順調に成長しているものの、プロの舞台で大舞台にたつことはできなかった。
その一方で同期の親友でもありライバルでもある後藤はチームの大黒柱として大活躍。一足先に日本一を経験している。
「自分もそうした大舞台のマウンドで活躍したい」という気持ちは誰よりも強かった。この年は五輪も経験し日の丸を背負った経験もあるが、やはりプロ野球の選手である以上、日本シリーズという舞台での投球は何よりも大きな経験であり、財産になると思っていた。
その気持ちが、シーズンでは昨年よりも成績自体はおちたものの、プレーオフ以降は見違えるような投球を続け、このシリーズでも大事な初戦に先発し完璧な投球をみせ、チームの勝利に貢献している。
だが、2勝2敗のタイで迎えた第5戦では、途中まで素晴らしい投球をみせながら、投げ急いでしまった6回に集中打をあびノックアウトされ、チームも敗北し、王手をかけられる原因になってしまった。
「このまま終わりたくない」
負けた第5戦の夜から、もし第7戦までもつれることがあれば、絶対登板する気持ちを持っていた。
何より、チーム内のライバルでもある和泉が前日の第6戦で同じ中1日の登板で好投したことで、より一層「次は自分の番」という気持ちが強くなっていた。
正直、疲れはある。プレーオフに入ってからすでに4試合に登板し、30回近くを投げている。シーズン、五輪とあわせればとっくに200回を超えている。
しかし、今日のような大一番こそ滝沢が望んでいた試合なのだ。できれば先発したいくらいの気持ちで今日を迎えていた。
「よう、タッキー、キャッチボールしない?」
外野でランニング中にそう声をかけてきたのは、大ベテランの土田だった。ローテーション通りなら先発予定だった土田も滝沢同様、この日は中継ぎとしてベンチ待機となっていた。だが、滝沢は丁重に断った。
「いや、いいッス。もうちょっとランニングで汗を流します」
「そっか〜。オレなんか投げたくてウズウズしってけど、お前はいつも通りだな」
「そんなことないッスよ。いつも通りなのは先輩のほうじゃないですか?」
「そうか〜、オレなんか緊張しまくりだよ」
「どこが緊張してんですか?どこから見ても余裕しゃくしゃくじゃないですか?」
そう言って、滝沢は笑顔をみせた。どこかとぼけた話し方をする土田とのやりとりで滝沢は肩の力が抜けた感じがした。
「土田さん、独特のリラックス術だな」と滝沢は走りながら思っていた。
今シーズンあまり成績の伸ばせない時期が何度かあった。そのたびに声をかけ、リラックスさせてくれたのが土田だった。
滝沢自身も他人からみれば相当ひょうひょうとしたところがあるが、土田はその上をいく存在だった。もともと緊張するタイプではないが、土田の存在が滝沢にとっては気持ちをほぐす役割をもっていたのは事実だった。
そうこうするうちに軽い汗をかくくらい体が温まってきた。最初のウォーミングアップとしては十分な状態になっていた。
ここから一度軽い食事をとって、マッサージをうけ体も心もリラックスしたあとで本番に向けて、もう一度ウォーミングアップする。それがいつものパターンだ。
大事な試合だからこそ、いつものパターンを守る。それが一番大事なことだと滝沢は思っていた。