第1章 試合前 その5
主な登場人物(カッコ内は登場人物のエピソードを紹介している部分)
小林龍也・・北江ジャガーズファン。(第1章その1、その2、その7、その8)
滝沢忠・・・北江ジャガーズのエース(第1章その5、その6)
土井勘太郎・北江ジャガーズ監督(第1章その4、その9、その10)
田中香織・・毎朝スポーツ北江ジャガーズ担当記者(第1章その3〜その5、その10)
秋山めぐみ・独占スポーツ北江ジャガーズ担当記者(第1章その3〜その5、その10)
畠山正・・・第7戦の主審(第1章その2)
*お断り*
この小説は2008年に行なわれた日本シリーズ第7戦、埼玉西武ライオンズ対読売ジャイアンツをベースにしています。モデルになっている選手の経歴や試合進行はかなり忠実に再現していますが、選手の性格及び言動、また登場する審判、記者、ファン等は全てフィクションです。その旨ご了承いただきますようお願いします。
二人が土井への取材をおえて、今日の試合が激闘になることを確信していたとき、その鍵を握るであろう選手の一人、エースの滝沢忠がダッグアウトに姿をみせた。
「おはようございます」。二人の存在に気づくと滝沢の方から二人に向かって挨拶をしてきた。
「おはようございます」と香織が挨拶をかえす傍らで、
「おはよう。どう、調子は?」。めぐみが滝沢に気軽に声をかけた。
香織からすると考えられない光景だが、めぐみは比較的相手によって言葉使いなどを自在に変えながら取材をしていた。
滝沢はエースとはいえまだ高卒4年目の22歳。年齢的には確かに二人のほうが上だが、香織からすれば、ジャガーズ担当になったときから、滝沢はメジャーに移籍した大エース安藤のあとを継いでエースとして活躍していて、年下とはわかっていながら、やはり基本的には敬語を使うことが多かった。
だが、彼が高卒で入団してきた当初から担当として取材しているめぐみからすれば、滝沢などはやはり「年下の選手」としてのイメージが強いのだろう。また、滝沢からしてもめぐみはある意味では頭の上がらない「年上の女性」という存在だったのかもしれない。
めぐみのそうした対応にも別に何の気にするそぶりも見せずに、「エヘヘヘ」と笑顔を見せながら、グラウンドに一礼し外野に向けて走り出していった。
「う〜ん、相変わらず彼は読みにくいわね」とめぐみ。入団以来4年も滝沢をみてきためぐみからみても、滝沢という投手の頭の中を理解するのは難しいようだった。
「そうね。典型的なパーカーフェイスだもね、彼は」。香織も相槌を打った。
「うん、この前の五輪のときも代表になったでしょう、でもあの時も全然緊張しなかったんだって。可愛い顔して度胸は相当据わっているよね、彼は。だから、今日のような大一番には強いと思うわ」
「うん、でも、本当に登板するのかな?」
「まあ、よっぽど序盤で失点して負けが濃厚の展開ならともかく、多少のビハインドだったら土井監督は使うんじゃないかしら、さっきの話っぷりじゃあ、そんな感じだったよね」
「そうね。昨日の和泉君の投球も刺激になっているでしょうしね。彼、和泉君をライバル視しているんでしょう?」
「そうみたい。それに第5戦で途中まで好投していたけど結局は負け投手になっちゃったじゃない。あれも相当悔しかったらしいし、彼の先輩の安藤さんのセリフじゃないけどリベンジしたいんじゃないかな」
「そうね。もしかすると彼の投球が今日の命運を握るようになるかもしれないね」
「うん、私もそう思う。土井監督も滝沢君を使うなら一番大事な場面で使うんじゃないかしら。まあ、先発の和田さん次第のところもあるけど、彼の投球が結果を大きく左右しそうな気がするわ」
二人がこんな会話をしていると続々とジャガーズの選手たちがダッグアウトに姿をみせはじめた。ほとんどの選手がすでにほほを紅潮させ、気持ちの高ぶりを隠せないようだった。
そうこうするうちに外野をランニングしていた滝沢がダッグアウトに戻ってきた。アンダーシャツを着替えてマッサージにいくためだった。
「今日は投げる予定あるの?」。めぐみが単刀直入に聞いた。
「え?何、言ってんですか?オレ、今日あがりですよ」
「また、また。滝沢君あがりにするわけないじゃん」
「いや、マジで何も聞いてないっス。でも、正直、『投げたい』という気持ちはありますね」
「ほら、それが本音じゃん。今、二人で話していたんだけど、今日の試合、滝沢君の投球がカギになるんじゃないかって・・」
「ありがとうございます。出番があったら頑張ります」
そうニッコリしながら滝沢は二人の脇を通り抜けていった。