第5章 歓喜のビール掛け その4
主な登場人物(カッコ内は登場人物のエピソードを紹介している部分)
小林龍也・・北江ジャガーズファン。(第1章その1、その2、その7、その8)
滝沢忠・・・北江ジャガーズのエース(第1章その5、その6)
土井勘太郎・北江ジャガーズ監督(第1章その4、その9、その10)
田中香織・・毎朝スポーツ北江ジャガーズ担当記者(第1章その3〜その5、その10)
秋山めぐみ・独占スポーツ北江ジャガーズ担当記者(第1章その3〜その5、その10)
畠山正・・・第7戦の主審(第1章その2)
現在、9回表終了、3対2ジャガーズがリード
*お断り*
この小説は2008年に行なわれた日本シリーズ第7戦、埼玉西武ライオンズ対読売ジャイアンツをベースにしています。モデルになっている選手の経歴や試合進行はかなり忠実に再現していますが、選手の性格及び言動、また登場する審判、記者、ファン等は全てフィクションです。その旨ご了承いただきますようお願いします。
流れが変わったとは思っていないただ一人の人間。
それが9回裏のマウンドにあがっていたダグラスだった。いや、ダグラスはそんなこと関係なかった。点差や相手打線なんか関係なかった。自分の投球に完全に集中できていたのだ。
2番青木への初球、外角低めへ145キロの力のある直球。青木も積極的に打ちにいったがファール。
直球、スライダー、チェンジアップと球種を変えながらも全部外角へ集めてカウント2−2からの6球目。
最後は一転して内角への直球。青木はカットすることもできなかった。
空振り三振。両チームとって大事な大事な先頭打者だったが、最後はダグラスが力でねじ伏せた感じだった。
続く3番は強打者・五十嵐。第2戦に受けた手首への死球の影響があるとはいえ、怖い打者には違いない。
しかしダグラスの集中力が上回った。初球、2球目と寸分たがわず外角低めへのスライダー。初球はファールにした五十嵐だったが、2球目を引っ掛けたような打撃になり平凡な一塁へのゴロになった。
これを殊勲の逆転打を放った一塁の黒沢が簡単に捌いて二死走者なしとなった。
「あと一人。あと一人」
三塁側のスタンドからは大合唱がはじまった。もちろん、龍也も美佐子もガラガラになった声を振り絞って声援を送っていた。
記者席の香織は三塁側ダッグアウトの様子をみていた。そうすると何人もの選手がダッグアウトの手すりに足をかけていち早くグラウンドに飛び出す用意をしていた。その中で土田と滝沢が笑いながら何かを相談しているように見えた。
「ねえ、ねえ。あの人たち何話しているんだろう。1点リードして二死走者なしとはいっても打者は4番セルガスだよ。たった1球で同点になっちゃう場面なのに・・」と香織が三塁側のダッグアウトを指差しながらめぐみに言った。
香織に言われてめぐみも三塁側のダッグアウトをみると、確かに何か笑顔で話している。
「何だろうね。余裕だな〜。あれ、土田さんと滝沢君でしょ。何話しているのかな?」とめぐみも首をかしげながら言った。
「よお、タッキー、賭けねえか?」。右足をダッグアウトの手すりにかけながら、土田が滝沢に言った。
「え、何をです?」と滝沢が怪訝そうな顔をして答えた。
「だからさ、どっちがマウンドに一番乗りできるか」
「面白いッスね。でも、ダッシュだったら土田さんに負けるわけないでしょう」
「何、それ。僕も混ぜてくださいよ」。二人の会話を聞いていた和泉が身を乗り出してきた。
「いいよ、それじゃあ、投手陣で誰が一番乗りできるかを賭けようぜ」と土田。
「わかりました。いいッスよ。どうせオレの勝ちですから」と滝沢。
「バ〜カ。普段の練習のときのオレと思ったら大間違いだ。オレの実力をみせてやる」
土田の大法螺に周りにいた選手が爆笑していた。普段の練習のダッシュで土田が若い投手陣より速かったことはなかった。
その土田からの無謀とも思える挑戦状に投手陣全員がその気になっていた。