第4章 たった1安打の猛攻 その8
主な登場人物(カッコ内は登場人物のエピソードを紹介している部分)
小林龍也・・北江ジャガーズファン。(第1章その1、その2、その7、その8)
滝沢忠・・・北江ジャガーズのエース(第1章その5、その6)
土井勘太郎・北江ジャガーズ監督(第1章その4、その9、その10)
田中香織・・毎朝スポーツ北江ジャガーズ担当記者(第1章その3〜その5、その10)
秋山めぐみ・独占スポーツ北江ジャガーズ担当記者(第1章その3〜その5、その10)
畠山正・・・第7戦の主審(第1章その2)
現在、8回表攻撃中二死一・二塁、2対2ジャガーズ同点に追いつく
*お断り*
この小説は2008年に行なわれた日本シリーズ第7戦、埼玉西武ライオンズ対読売ジャイアンツをベースにしています。モデルになっている選手の経歴や試合進行はかなり忠実に再現していますが、選手の性格及び言動、また登場する審判、記者、ファン等は全てフィクションです。その旨ご了承いただきますようお願いします。
しかし、この続投は誰の目にも酷に映った。
ジャガーズを応援している龍也でさえ、内心喜びながらも「何で投手を代えないのだろう」と心の中では思っていた。
記者席ではジャガーズ担当の記者たちが同僚のシティーズ担当の記者に詰め寄る記者もいたほどだ。
「どうして江田を交代しないんだ?」
困ったシティーズ担当の記者がポツリと言った。
「内田さんはさ、投手交代の鉄則があるんだよ。一つは左対左とか右対右というセオリーを重視すること、もうひとつは『誰となら心中できるか』ということ。つまり今の、今日の内田さんは江田と心中すると心に決めたんだろう」
「え、それオカシイだろ、日本シリーズの第7戦だぜ、何よりも勝負を優先しなければウソだろう」とその同僚記者が食って掛かった。
「でもさ、そういう人なんだよ。自分に悔いが残るのが嫌なんだろうな、今日は江田と心中すると心に決めちゃったんだろう。それにまだ江田は1安打も打たれてないし」
「それは、江田の状態が良ければいいけど、確かにヒットこそ打たれてないけど、今の江田はもうアップアップだろう、とても心中の相手として相応しいようには思えない。内田監督はそれでいいかもしれないけど、ナインはそうは思ってないと思うぞ。」
記者席のあちらこちらでそんな会話が広がっていた。香織とめぐみはジャガーズ担当だから、正直シティーズの今季の戦い方はあまり把握していない。
確かに、シティーズ担当のいうように監督が心中する投手を決めてその投手に勝負をゆだねるというのは、土井監督もかなり取ってきた戦法だから理解はできる。
それでも、正直、マウンド上の江田はもう一杯一杯のように見えた。
2対2の同点、二死一・二塁。打席に向う黒沢は内心、舌なめずりをしていた。元来目立ちたがり屋の選手だ。
しかも第6戦でも初回に満塁から走者一掃の先制二塁打を放つなど、ジャガーズのシリーズ男となっていた。ここで打てればシリーズのMVPだって夢じゃない。
そんなことまで考えながら打席に向っていた。もちろん、色気だけではなく、冷静な判断もしていた。
江田はすでに一杯一杯だろう。ましてや直球はこの回に入ってからほとんど制球が定まっていない。肝心なところでは絶対スライダーで勝負してくる。そう読んでいた。
「よし、よし、最高のバッターじゃん。黒沢、頼むぞ!一気に逆転してくれよ」。すでに龍也の声は枯れていた。それこそ、隣にいる美佐子すら聞き取れないような声になっていた。
いや、美佐子が聞き取れないのは、龍也の声がしゃがれているだけではなかった。スタンドの声援がこれまで以上に大きくなっていた。
佐々木の盗塁からずっと座席が揺れているのかと思うほど声援が響いていた。