第4章 たった1安打の猛攻 その7
主な登場人物(カッコ内は登場人物のエピソードを紹介している部分)
小林龍也・・北江ジャガーズファン。(第1章その1、その2、その7、その8)
滝沢忠・・・北江ジャガーズのエース(第1章その5、その6)
土井勘太郎・北江ジャガーズ監督(第1章その4、その9、その10)
田中香織・・毎朝スポーツ北江ジャガーズ担当記者(第1章その3〜その5、その10)
秋山めぐみ・独占スポーツ北江ジャガーズ担当記者(第1章その3〜その5、その10)
畠山正・・・第7戦の主審(第1章その2)
現在、8回表二死走者なし攻撃中、2対2ジャガーズ同点に追いつく
*お断り*
この小説は2008年に行なわれた日本シリーズ第7戦、埼玉西武ライオンズ対読売ジャイアンツをベースにしています。モデルになっている選手の経歴や試合進行はかなり忠実に再現していますが、選手の性格及び言動、また登場する審判、記者、ファン等は全てフィクションです。その旨ご了承いただきますようお願いします。
マウンド上の江田はガックリと肩を落としていた。しかし、シティーズベンチは江田に続投を命じていた。
長村は菊池から一塁に転送された送球でアウトにしていたから、二死走者なし。あとアウト一つとればチェンジだったからだ。
二死走者なしとなって4番望月。一発がでれば逆転だ。その可能性は十分にある。その恐怖心なのだろうか、シティーズバッテリーは望月との勝負を半ば避けて敬遠気味に歩かせた。
記者席では、この作戦に賛否両論だった。二死走者なしで歩かせる必要はないという意見と次の打者と望月の長打力を考えれば理解できるという考え方だ。
望月は今季の本塁打王だ。もちろんツボにはまれば桁違いの長打力を持っている。しかし、その一方で打率はリーグで下から3番目。
2割5分にも達していないし、ダントツの三振王でもある。制球さえ間違わなければ、打ち取ることは十分可能な打者だ。勝負を避ける必要はないというのも正論だろう。
しかし、次の5番には途中から金子が入っていた。金子は今季ほとんど打席に立っていない。どっちが安全といえば、金子だというのは百人にきけば百人がそう答えるだろう。
すでに1点を争う場面になっているのだから、確実にアウトを取れる打者で勝負するというのもこれも正論である。
後者の議論の前提は5番の金子をしっかり抑えることにある。そして、この金子への投球が勝敗を左右することになる。
初球、内角高めへちょっと抜けたような直球が外れてボールとなった。この一球はこの回の先頭打者である佐々木への死球を江田に思い出させた。それは内角へ投げることへの恐怖心につながっていく。
2球目、外角へのスライダーを金子がファール。しかしほとんどタイミングがあっていない。前の打席でも金子は江田のスライダーに全くタイミングが合わず三塁ゴロに終わっている。
当然、金子からすれば狙っていたのにまだタイミングを合わせることができなかった。
「スライダーがきたら打てないかもしれない。四球でもいいから次につなげよう」と金子は思っていた。
3球目外角低めへ直球が外れてボール。4球目はスライダーが高めに抜けてカウント1−3となった。四球狙いで来ている金子の思惑とおりになっていた。
一方マウンドの江田はほとんど冷静さを失っていた。前の打席で金子がスライダーに全くタイミングがあっていなかったことも頭になかった。
それがあればど真ん中でもよかったのだが、「打たれたらまずい」という恐怖心しかなく、打者へ攻める気持ちが少なくなっていた。
5球目は何とかスライダーが決まって2−3のフルカウントにすることができた。相手はスライダーにタイミングがあっていないのだから、もう1球スライダーでもよかったのだが、もう頭は真っ白だった。
最後は投げた瞬間ボールとわかる外角への直球。きわどい球なら金子も自信を持って見送ることもできなかったかもしれない。だが、投げた瞬間はっきりとボールとわかる投球だった。
「ボールフォア」。球審の畠山は四球のコールをしながら正直ホッとしていた。最後のボールが際どいコースへ来ていたら、今日決めていたような判定ができるかどうか少し不安を覚えていたのだ。
さっきの滝沢の投球のように素晴らしい球がくれば問題ない。だが、江田の投球は審判の目からみてもかなり不安定に感じていた。
そうした状況でホームアドバンテージとはいえ、そういうジャッジをしていいのかどうか正直判断がつかなかった。そういう意味ではまだ畠山は香織がいった言葉を正確に理解していなかったのだ。
長打を警戒して望月を歩かせてまで勝負にいった金子を四球で歩かせ、二死一・二塁と一打逆転のチャンスを与えてしまったシティーズバッテリー。
しかし、このピンチになってもシティーズベンチは動こうとはしなかった。




