第3章 切り札登場 その2
主な登場人物(カッコ内は登場人物のエピソードを紹介している部分)
小林龍也・・北江ジャガーズファン。(第1章その1、その2、その7、その8)
滝沢忠・・・北江ジャガーズのエース(第1章その5、その6)
土井勘太郎・北江ジャガーズ監督(第1章その4、その9、その10)
田中香織・・毎朝スポーツ北江ジャガーズ担当記者(第1章その3〜その5、その10)
秋山めぐみ・独占スポーツ北江ジャガーズ担当記者(第1章その3〜その5、その10)
畠山正・・・第7戦の主審(第1章その2)
現在、4回表一死一・二塁ジャガーズ攻撃中、2対0シティーズリード
*お断り*
この小説は2008年に行なわれた日本シリーズ第7戦、埼玉西武ライオンズ対読売ジャイアンツをベースにしています。モデルになっている選手の経歴や試合進行はかなり忠実に再現していますが、選手の性格及び言動、また登場する審判、記者、ファン等は全てフィクションです。その旨ご了承いただきますようお願いします。
連続四球といういわば相手バッテリーのミスでもらったチャンス。ジャガーズとしては何としても生かしたいところだったが、5番の桜井が1−1からの3球目、見た目には甘い投球のようにみえたが、一塁へのファールフライを打ち上げてしまい、走者を進塁させることもできなかった。
「アイツ、一打席目と全く同じバッティングしやがって、次から交代だな」。土井は隣にいた打撃コーチに向ってそうつぶやいた。
二死一・二塁となって6番は黒沢。チーム1のムードメーカーだ。シーズンを通してどちらかといえばスーパーサブ的な起用方法をしてきたが、第5戦でシティーズのクローザーであるペレスから本塁打を放ったあとチームのラッキーボーイ的存在になっていた。
王手をかけられた第6戦でも満塁から走者一掃の二塁打にダメ押しの本塁打と全打点をたたき出す大活躍をみせ、逆王手の立役者の一人でもあった。
もともと普段から、こういうチャンスには滅法強い。
しかし、この場面ではシティーズの小林が踏ん張った。1−1からショートゴロにしとめ自らが招いたピンチを切り抜けた。
「あ〜あ、なんだよ。せっかくの大チャンスだったの・・」
黒沢の打球をシティーズのショートの石橋が軽快に捌くのをみて、龍也は天を仰いだ。2回、3回と完全に抑えられていただけに、連続四球でもらったチャンス。
しかもラッキーボーイの黒沢。絶対同点、あわよくば逆転してくれると信じていたのだ。
「こんなチャンスを逃すようじゃ、今日はダメだ〜」。そういってガックリうなだれる龍也をみて、美佐子が励ますようにいった。
「何、言ってんの。まだ4回でしょう。これからよ、これから」
「そうだな、まだ、まだこれからだな」
「そうよ、土田さんに代わってだんだんこっちに流れが来ているじゃないの?」
「そうだ、そのとおりだ。よし、もう一度気合入れなおすぞ。あ、ちょうど彼女がきた。お姉さん、生ちょうだい」
そう言って、龍也は近くを通りかかった売り子に声をかけた。大体一試合の間に龍也は3〜4杯の生ビールを飲むが、いつも最初に買った売り子から買うようにしている。
これは一種の縁起担ぎのようなものだ。自分の好みの売り子をみつけて、同じ人から買い続けると見ている試合が勝つと自分で言い聞かせているのだ。美佐子からすれば本当に他愛ない験担ぎなのだが、まあ多くの野球ファンはそんなものだとあきらめていた。
4回表チャンスをつぶしたジャガーズベンチだったが、土井はある手ごたえを感じていた。「小林は長村と望月を嫌がっている。次に二人に回るときがチャンスだ。そこまで今の点差でいければ逆転できる」。そう感じていた。そして、投手コーチにこう告げた。
「タキを用意させておけ。土田はこの回までだ。5回裏からタキでいく」
ブルペンでその連絡を受けた滝沢は一瞬驚いたが、すぐ軽めのキャッチボールを始めていた。 その映像がテレビに映ると、驚いたのは記者席にいた香織とめぐみだった。
「ねえ、ねえ。モニター見てよ。滝沢君がもうキャッチボール始めている」
「あ、本当だ。どこで使うんだろう」
記者席には数台のテレビが置いてあり、記者は自分の目とテレビとを確認しながら試合をみているのだが、この映像が流れた瞬間、記者席全体で少しざわめきが起きた。
もちろん、全員の記者がジャガーズのベンチに滝沢が入っていて、今日は登板する可能性があるのは知っている。
いや、彼の起用方法が試合のカギになるかもしれないと多くの記者が理解していた。
だが、滝沢が登板するのはチームが勝っている場面だろうと予想していたのだ。前日の和泉のようにチームがリードしていて、中継ぎの代わりのロングリリーフとか、あるいは最後のクローザーとして起用されるのではないかと思っていたのだ。
それは香織とめぐみも同様だった。
だから、まだ2点負けている段階で準備を始めたことに驚きを隠せなかった。