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1億円のご飯  作者: 佐藤
4/5

彼の秘密

 一基が店へと戻ると、片づけをしていた母が気づき、声を掛ける。


「桜ちゃんと話できた?お店に来てくれたのも、久しぶりだったわね」


「そうだね」と、一基は曖昧に返事をして、片づけを手伝おうとする。

だが、母に「今日はやっておくから」と制されて、先に帰るよう促された。


 一基は頷き、店の奥にある家に帰り、2階にある自室の電気をつけた。

そして、真っ先に本棚へと向かい、一冊のノートを取り出した。


 それは彼が料理人として働き始めてからの8年間、試行錯誤を繰り返した

料理を詳細に記録したものだった。


 明日、桜と会うことができるのだと思うと、一基の心は落ち着かなかった。

一緒に作ることができそうなメニューを決めて、レシピノートを仕舞う時、

読み慣れた本にふと目が留まる。


 それは、一冊の医療の本だった。

一基は雪が積もるように静まる心を感じながら、その本を手に取り、

ページをめくる。


 彼は心臓の病気を抱えていた。


 小学生の体育の時間に失神したことでそれは判明し、遺伝性の病気だった

こともあって、母はひどく動揺していた。


 その日から、彼の生活は大きく変わった。

飲み忘れることが許されない薬をいくつも飲み、過度な疲労を避けるために

運動も制限されて、気づけば、自分が無理をしないように一歩引いて物事に

取り組むようになっていた。


 発作がいつ起きるかも分からず、両親だけでなく周りの人々にも

気を遣わせてしまい、楽しいことをやっていても、一歩分、気持ちが

遅れてしまう。

 そんな自分の存在が、みんなの負担になっているのだと

考えてしまうことが、彼にとって一番辛かった。


 理解のある人達は、そんな自分を受け入れてくれていた。


 それでも、心無い人や言葉と出会うたびに、一基は穏やかに

笑っていたのだが、その笑顔の裏で独り、

「こんな自分、本当は居ない方がよいのではないか」という考えに

苛まれ続けていた。


 ある日病院で、医師から手術を提案された。それは、発作が起きた際に、

自動で作動して命を助けてくれる機器を、体内に埋め込むというものだった。


 だがその場合、突然死は免れる可能性は高いが、電気や磁力が発生する機器に

注意する必要があり、ケータイですら自由に使うことができなくなってしまう。


 生活に支障があることに変わりはなく、一基はその生き方を選ぶ勇気が

持てないまま、30歳を迎えていた。


 この病気は治療で治るものではなく、一生つき纏う問題であり、遺伝性もある。


 自分は明日、死ぬかもしれない。


 小さい頃からずっと、一基は眠りにつくことが怖かった。

健康な人もいつか死を迎えるが、それを忘れている時間の方が多いだろう。


 死が身近にあるだけで、生きることがこんなにも恐ろしく、

冷たくて重たいなんて、触れた人にしか分からないだろうと、

一基は、自分のせいで辛い思いをさせてしまっている人達のことを想った。


 気づけば一基は、桜のことを好きになっていた。そして桜も自分に好意を

持ってくれていることが、余計に辛かった。


 好きな人が居るという喜びは、この体の残酷さを浮き彫りにするようだった。


 彼は本を仕舞いながら、きっと彼女には自分よりも相応しい人が

現れるだろうと、いつもと同じようにして一歩、後ろに下がる。


 不自由な自分が見えなくなるように、眩しい彼女の姿を

想ってしまわないように、もっと遠くに行きたかった。

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