彼女の秘密
この能力はとても正直で、私が食べ飽きると、値段も段々と
下がってしまうようだった。
それが分かるまでに、そう時間はかからなかった。
魚介類が好きだったので、とある休日に、ホタテや牡蠣、
エビやイカなどが入ったシーフードパエリアを作った。
材料費は多分1000円ぐらいだったけれど、お皿にレモンと一緒に
盛り付けると、テーブルに置いた瞬間、「2000」と表示された。
「やった!」
自分は料理が得意ではないと思っていた分、すごく嬉しかった。
こういった時間のかかる料理は作るのを避けていたのは、手間と
失敗した時のリスクを考えると、お店で食べる方がいいと思っていたから。
けれど、充分プロに負けない価値あるものが作れたということが
こうして数字になってはっきりと示されて、自分の中に不思議な自信が
湧いてきた。
すぐ側で「美味しいね」と共感してくれる人は居ないけれど、
私の能力は、それを私に教えてくれる。
「…もしかして、私って料理の才能があるのかも!」
だが、その考えが大きな間違いだった。
料理の才能に目覚めたのだとうぬぼれた私は、次の日の夜も、
パエリアを作ることにした。
昨日よりも価値あるものをと考え、
「少し彩りが足りないかな」と考、ピーマンとミニトマトを追加してみた。
焼き上がりの香ばしい匂いがしてフライパンを開ければ、昨日よりも
しっかりとおこげがついたその仕上がりに満足した。
ワクワクしながらお皿に盛り付け、テーブルに置き、手を合わせた時だった。
「…え?なんで…?」
800
パエリアにはそう表示されていた。
昨日の数字は2000で、今回はピーマンとミニトマトも足したのに。
私は嫌な予感を感じつつも、「きっとこれは、何かの間違いだ」と
自分に言い聞かせながら、とても美味しいはずのパエリアを口に運んだ。
500
どうしても不安を拭いたくて、次の週末に作ったパエリアには、
そう表示されていた。とても慎重に、レシピどおりに作ったはずなのに。
1回目と何も変わっていないはずなのに、コンビニで買える冷凍食品の
パエリアくらいの価値しかない。
(なんで?もう食べ飽きてしまったの?これは美味しくないの?
今は私が食べたいタイミングじゃないの?また食べたくなったら
価値は上がるの?もう価値はあがらないの?私のせいなの?
…私の何が間違っているの?どうして私にしか数字が分からないの?
どうして私は…)
たくさんの悲しい想いが溢れ出てきてしまう。
もう駄目だ、これ以上、悩んでは駄目だと悟る。
考えてはいけない。もうこれ以上は、つらいだけだと分かった。
☆
淡々と日々を重ね、デスクで仕事をしていたある日のことだった。
昼になって、レジ袋を取り出す。中身はコンビニで買ってきた
「もち米のじゃこひじきおにぎり」だった。
120円だが、いつも400円くらいの価値があって、スープごはんに続き、
結構気に入っているコンビニご飯の一つだった。
書類の山をどかして、食べるスペースを空けてから、おにぎりを取り出す。
すると、ふと背後で立ち止まる人の気配がする。
「え!あなたそれ買って食べてるの!?」
その声に振り返ると、ちょっと口うるさいお局の一人が、私のじゃこおにぎりを
「信じられない!」という顔で見つめている。
「はい、最近はまってるんです」
私の返事を聞いても、彼女は認めないとでも言いたげに、
首を何度も振っている。
「やだやだ、そんなおにぎりも握らないでどうするのよ。すごく簡単よ?
じゃこもひじきもどこにでも安く売ってるし、そこにごま油で炒めた
小松菜を入れるだけでしょ!一緒に混ぜたら合うし美味しいし簡単だし、
絶対に健康的よ?」
私は声と表情だけ笑いながら「そうですね」と返事をすると、
去り際に「若いうちからそれじゃあダメよ!」と謎の助言をしていった。
私はなんとか声だけ笑って、気を取り直しておにぎりの包みを開ける。
100
(あぁ、いつもは400くらいなのに。私はすごく好きだし、美味しいのに)
こんなの、普段であれば気にも留めない些細なことなのに、
価値の下がったおにぎりと向き合っていると、ひどく考え込んでしまう。
他人の意見にすぐ左右されてしまう自分が居た。その事実をはっきりと
突き付けられて、見たくもない鏡を眺めているような気分になる。
言い返せなかったことが悔しいような、すぐ振り回されてしまう弱い自分に
あきれるような気持ち。
それでも、沈んでいく感情と一緒に、押し込むようにしておにぎりを頬張る。
食べ終わると、お腹がいっぱいになったはずなのに、何かが足りない。
もうこのおにぎりは、きっと買わないだろうと、
私は包み紙をゴミ箱に捨てた。
☆
それから数日が経ち、私は仕事の資料に目を通しながら、
相変わらずコンビニのおにぎりを食べていた。
飲み物には数字が現れないことが救いで、最近は具の無いスープや
ゼリー飲料、カロリーの高いジュースばかり飲んでいる。
「ねぇ桜ちゃん、最近痩せたんじゃない?ちゃんと食べてる?」
隣の席の先輩に声を掛けられて、私は笑いながら
「ちょっと、さぼってます」と肩をすくめた。
先輩は「そういう気分の時もあるよね、分かる」と共感しつつ、
手作りのお弁当を取り出していた。
先輩は私と年齢がそう変わらないのに、共働きしながらお子さんもいて、
それでも毎朝ちゃんと家族と自分のお弁当も作っている。
それなのに私は、独身で子どもいないのに、毎日疲れてすぐ布団に入り、
朝もギリギリまで起きられない事実がそこにはあって、情けない気持ちになる。
けれど、自分で作ったお弁当は価値が見合わないことを知っているから、
もう、苦しくて食べられなくなっていた。
今買っているおにぎりの価値も下がったら、きっと最低限の労力で
嫌なため息をつきながら握ったおにぎりを持ってくるようになるだろう。
そしてまた、低い数字が表示されることに怯えたり、お気に入りのふりかけが
嫌いになってしまうことを恐れたりするのだろう。
でもそれは、誰のせいにもできないことだった。
全ては、数字が見えてしまう私のせい。
誰にも分かってもらえない、馬鹿馬鹿しいこんな能力のせいでしかなかった。
おにぎりを頬張りながら、今朝、これを買った時のことを思い出していた。
コンビニの棚にはいくつものおにぎりが並んでいたのに、私は選べなかった。
もしおにぎりの包装を開けるのを失敗して、海苔がビリビリに破けて
しまったら数字が下がるような気がして、すごく怖くなって、
簡単に開くタイプのおにぎりしか買えなかった。
以前の私だったら何も気にせず、自由に食べたいおにぎりを決められたのに。
どんどん臆病になっていく自分を感じながら、そっともう一つ、
透明な包装を開けた。
100
(…あぁ、20円も損してる)
この能力は不思議で、数字を目にしない限り、食事を終えるまで表示が
消えることがない。職場でずっと目をつむっていることもできず、
私は資料に書かれた文章に意識を集中させて、損をしているおにぎりを、
具のないスープで流し込む。
(…どうして?…どうしてこんなことになってしまったの?
…どうして私がこんな目に合わなければならないの?
こんなの、超能力なんかじゃなくて病気でしょ…病気なら早く治ってよ…
治れ治れ治れ治れ…)
考えれば考えるほど悲しくて、どこにも答えはなくて、泣きたくなる。
数字が見えた最初の頃は、あんなに食事が楽しくて仕方がなかったのに。
私の顔を、先輩がのぞき込む。
「そのおにぎり、そんなに美味しくなかったの?
はい!これ自信作!おすそわけしたげる」
先輩はそう言って、自分のお弁当からひょいと、タコの形をした
ウインナーを取り出して、有無を言わさず私のおにぎりの上に乗せた。
1000
嬉しかったのは、表示された数字じゃない。
ただ純粋に、先輩の気持ちが嬉しかった。
もらったウインナーには丁寧に切れ目が入っていて、こんがりと
焦げ目がついていた。食べてみても、やっぱり普通に美味しいだけの、
何の変哲もない一口サイズのウインナー。
でも今の私にとっては、言葉にならないくらい、ありがたいものだった。
「…すごく美味しいです」
泣きそうになりながら、ぐっと我慢しながらそう言うと、先輩は
「でしょ!やっぱり料理って、ひと手間が大事なのよね」と満足そうに笑った。
私も、こんな自分に負けたくなくて、笑った。