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1億円のご飯  作者: 佐藤
1/5

超能力の秘密

500円玉貯金をするようにコツコツ書いて、ちょうど一年が経ちました。

最後に食べたいもの屋さんのシリーズです。

 マンガやアニメに出てくる「超能力者」が好きだった。自分のコンプレックスを

特別な力に変えて、普通の人よりもずっと、遠い先に進んでいく姿に憧れていた。


 先月でようやく25歳になった私は、広い意味でのアラサーだけれど、

「大人の女性になれているのか?」と聞かれれば、「どうだろう?」と疑問を

疑問で返してしまう。

通勤ですれ違う賑やかな高校生を「若いな~」と眩しく感じる時や、

毎月振り込まれる給料を通帳の残高で確認する時は、ちょっとだけ

大人を実感している。

 だが、恋人もいないので休日に一人、本屋でマンガのキャラクター達に

心をときめかせていると、背後に「これでいいのかな?」という不安も

抱くようになった。


 そんな平凡な、まだ大人になりきれない自分が、まさかある日

「超能力者」になるなんて思いもしなかった。


 二次元のどこかで、「大きすぎる力はその人をドラゴンにする」と

聞いたことがある。私の能力は、どう考えてもほとんどの人が

「それって超能力?」と首を傾げるような、訳の分からないものだった。


 それでも、私はたくさん泣くことになったし、良い意味でも

悪い意味でも、人生が大きく変わってしまった。



 その日の私はいつものように、くたくたになってアパートに帰ってきた。


 入社して3年目、定時退社なんて幻なんだと受け入れたはずなのに、

もうそろそろ22時を指す時計を見ると、強い眠気と共に、

モヤモヤとした気分になる。


 恵まれた職場だと、信じている。同僚や上司は良い人ばかりだし、

怒られることもほとんどない。

 だけどほんのちょっとだけ、忙しい。


 それでも、他の仕事をしている友人達と話をすると、

「あぁ、自分はなんて楽な仕事をしているんだ」と

安心しては、独りになってため息をつく。


(こんな生活を続けて、家庭なんて持てるのかな)

(子どもが産まれたからって、早く帰れるとは限らないし)

(今やっている仕事だって、必死になっても終わらないのに)


 不安が涙になる前に、「あー疲れた!」と投げやりに呟いて、

流れ作業のように服を脱いだ。


 こういう時は、何も考えないようにしていた。


 変え方が分からない現実を、うじうじ嘆いている暇なんて無い。

明日に備えて、日付を越えないように眠るという仕事が残っているから、

「GO TO SWIM」と書かれたやる気のない部屋着になって、

さっさと台所に向かう。


 こんな遅くまで仕事を頑張っているのに、空腹でひもじいなんて

許せないから、思考停止をしていても夕飯は食べることにしていた。


 アパートの目の前にある、通い飽きたけれど最早どうしようもない

コンビニで買ったご飯をレジ袋から取り出し、レンジでチンする。


 くるくる回っているのは、最近お気に入りのスープご飯。

ここ1週間くらい同じ夕飯だが、きっと新商品が出るまでは飽きないだろう。


 レンジの中で回転するスープご飯を見つめながら、私は再びため息をつく。


「…あーなんで今日、あんな失敗しちゃんだろ…」


 思い出すのは、今日の仕事のことだった。大事な打ち合わせがあったが、

うっかり別の資料を持ってきてしまって、始終ひどく気まずかった。


「絶対使えないやつだって思われたよ…まぁ…本当だからいいけどさ」


 どうせ寝て起きれば記憶も薄まっているだろうと、自分の長所兼短所の

適当な性格に、後は任せることにした。


 そんな感じで仕事のミスにくよくよしていると、出来上がりを知らせる

音に顔を上げる。

 ちらっと時計を見るが、やはり22時を過ぎてしまっている。

だが、私は気にしない。


 言い訳なら、いくらでもできる。

「ご飯を我慢しなくてもいい理由」その1は、毎日遅くまで仕事を

頑張っているから。その2は、美しくありたいというモチベーションに

なるような相手が、一向に現れる気配がないから。

 そういう人を見つけるためにダイエットした方がいいという反論は、

一切受け付けていない。


「そういう所だぞ!」という心の声をわざとらしい鼻歌で誤魔化して、

私はいつもどおり美味しそうなスープご飯をテーブルに置いた。


「いただきます」


 そう言って手を合わせた瞬間だった。


 ふと気づけば、ふわふわとしたスープご飯の白い湯気に紛れて、

何かが見える。


 それは文字、いや、数字だった。


 スーパーで見かけるポップのような、太い黒色で縁取られた

白色の数字がでかでかと自己主張している。


1500


 そこには見間違えようもなく「1500」という数字が

浮かび上がっていた。


「え!」


 私は驚き、思わずその数字に手を伸ばした。

だが、それに触れることはできず、フワリと「1500」は湯気と共に

消えてしまい、茫然とする私の目の前には、いつものスープご飯が

残されている。


 両目を見開きながら、そっと器を揺すってみるが、何も見えてこない。


 頭の中に「?」が無数に浮かぶ。だが、ついさっき、確かに

数字の「1500」が見えた。


 急いで立ち上がり、両手で慎重にスープご飯を持つと、

レンジにもう一度入れてチンしてみる。


 私はその間、つい最近友達に教えてもらった流行りの

スマホアプリのことを思い出していた。スマホのカメラを通して

景色を見ると、キャラクターが実際にそこにいるかのように

見える機能があるらしい。

 そういった情報に疎い自分が、気づかないうちに技術革新に

取り残されていたのかもしれない。


 ぐるぐる回るレンジの横で、私は慌ててネットで検索してみた。

だが、私の探し方が悪いのか、ポケモンとVR彼女のことばかり

出てくるだけで、それらしい情報は見つからなかった。


 熱し過ぎて爆発音が聞こえてきたレンジをのぞき込むけれど、

沸騰しているスープご飯に、さっきの数字は出ていないようだった。


 一応レンジの考える出来上がりまで待ち、ぐつぐつと煮えたぎる

それを取り出してみるが、やはり何も見えてこない。

湯気はわんさか出ているが、数字は一向に浮かんでこなかった。

 

 私はしばらく台所で腕組みをしながら考える。

あれが見間違えだとすると、近いうちに眼科か心療内科に行かなければ

ならなくなってしまう。


 だが、今の私に休暇をとっている余裕はない。

仕事のことを考えると頭が少し冷静になり、ごみ箱に捨てていた

包装とレシートを見つけ出して、読んでみることにした。


生姜香るヘルシースープごはん

¥420税込

一包装当り熱量290kcal、炭水化物41g…

消費期限18.5.3


「…1500ってほんとなに?…どこにも書いてないし…」


 少し苛立ちを感じながら解読を試みるが、全く何も分からなかった。

謎は未解決だが、お腹は空いたし、ずっと立っていて足が疲れたので、

とりあえずテーブルに移動した。

 ぬるくなったスープご飯を、疑心暗鬼になりつつすすり、考えてみる。


「普通に美味しい」


 結局数字の意味が分からないまま、何事もなく食べ終わって、

ポイっとごみ箱に捨てる。切り替えが早い所も、私の長所兼短所だった。


 友達や家族に聞いてみようかとも思ったが、ネットで検索しても

よく分からなかったし、どうせ自分の見間違いだという気もしてきた。

 それに、下手に聞いて、心のSOSと勘違いされるのもなんだか

面倒なので、さっさとお風呂に入って寝ることにした。


「1500」


 呟いてみても、何も思いつかない。私は布団に横になりながら、

その数字の意味を深く読もうとする。幻覚だったとしても、あんなに

はっきり1500と見えたのだから、何かしらの意味があるのだろう。


 深層心理が仕事の入力ミスを教えてくれたのか、それとも、あと

1500日しか私は生きられないのか、いや、1500時間なのか、

もしかしたら1500秒なのか、いや、秒だともう私は

死んでしまっているのではないのか…。スープご飯に入っていたお米の

粒の数にしては多いのか少ないのか悩んできた頃、枕元の時計を見ると

日付が変わってしまっていた。

 私は布団にすっぽりと包まれると、羊の代わりに、空想の茶碗の

中にある米粒を数えて、なんとか眠りについた。



 朝、ケータイのアラームでいつもの時間に起こされる。

ぼんやりとした頭の中、思い浮かぶのは「1500」のこと。

それはまるで好きな人を想うようで、変な笑いが出た。

 けれど時間は待ってはくれないので、やはり流れ作業のように

テレビをつけて、朝食を準備する。


 時短のためにメニューは決めていて、インスタントのみそ汁と、

納豆と、ご飯。たまに納豆の代わりに生卵。


 どんなに食欲がなくても、毎朝、これだけは頑張って

食べるようにしている。


 それらをテーブルに運び、あくびをしながら座った。


「いただきます」


 そう言って手を合わせた瞬間だった。


「あーーーー!」


 数字が浮かび上がり、思わず声を上げてしまう。

今度は3つ、数字が見える。


 インスタントのみそ汁の上には「50」、納豆には「30」、

そしてご飯は「100」だ。


 しばらくそれを見つめていたが、ハッとして、近くにあった

ケータイで写真を撮った。


 だが、それらの数字はなぜか、ケータイのカメラにも、

動画にも映らない。


「うそなんでーーー?」


 パニックになっているうちにフッと数字は消えてしまった。


「…もう…なんなんだろう…」


 謎の数字に踊らされて、頭が真っ白になる。

だが時計にせかされて、私は50のみそ汁をすすりながら

30の納豆を、100のご飯と一緒に食べた。

 意味も、味もさっぱり分からなかった。



「ごめん桜ちゃん、こっちも手伝ってもらえる?」


「はい!」


 午前中は先輩の作業を手伝いながらバタバタとしていたら、

あっという間にお昼の時間になって、私は急いでお弁当を

買って屋上へ向かった。


 冬が近づくにつれて、ひと気のなくなっていく屋上は、

私が仕事で落ち込んだ時や、独りになりたい時の場所だった。

 煙草を吸うスペースをスルーして、隅っこのベンチを確保する。

風の寒さに身を縮ませながら、お弁当をパカリと開ける。


400


「…!」


 私は思わず周りをきょろきょろと見回す。そして、その数字を

見つめながら、手で触ろうとするが、やっぱり湯気のようにフッと

消えてしまった。


 とりあえず落ち着こうと、ペットボトルのお茶を飲む。


(…もしかして、値段…?)


 このお弁当は、確かに400円で買ったものだった。



 この予想を確かめるため、私はその夜、なんとか閉まる直前の

スーパーに駆け込んだ。


 一直線でお惣菜売り場に向かい、売れ残ってセールのシールが

張られたものを大量に買って帰った。


 そして家に帰ってすぐ、手当たり次第にレンジにかけようとしたが、

なんだか怖くなってきてしまい、まずは鶏のから揚げだけお皿に移して、

チンすることにした。


 レシートを確認すると、売れ残りの鶏のから揚げは350円だった。


 テーブルにつき、一呼吸置いて手を合わせる。


「…いただきます」


500


「おおっ!」


 驚きながらも、一口食べてみる。


 衣がカラッと揚がっていて、ジューシーでとても美味しい。

私の好きなタイプのから揚げだった。レモンがあれば、

もっと数字が高く表示されたかもしれない。


 食べ終わり、次のお惣菜を冷蔵庫から取り出す。


 レンジでチンしてテーブルに運んだのは、レバニラ炒め320円。


 これは大きなチャレンジだった。私はレバーが大の苦手だ。

飲み物が無いと食べられないレベルだったから、口にすること

自体が数年ぶりだった。


「いただきます…」


100


「あぁー…」


 なんとなく結果に納得しながら、年を重ねても口に合わないレバーを

お茶で誤魔化しながら噛みしめていたが、食べきれない気配がしたので、

残りは明日の夜に食べようと冷蔵庫に仕舞う。


 気を取り直して、次のお惣菜を取り出した。それは私の好物で、

見かけたらつい買ってしまう茄子の揚げ浸し、300円だった。


「いただきまーす」


500


「ふーん」


 さっき食べた鶏のから揚げと同じ価値だったので、自分はもしかしたら、

から揚げと揚げびたしが同じくらい好きなのかもしれないと考えつつ、

ツヤツヤの茄子を食べた。


 その日の夜の結果としては、購入金額は970円で、

表示された数字は1100。


「これってちょっとお得だった…ってことでいいのかな…?」


 少し嬉しくなりながら、お腹も膨れたので食事を終えた。

なぜこんな現象が起きているのかは考えることもなく、

「明日も見えるといいな」くらいの軽い気持ちで、その夜は眠りについた。



 その後の数日間に渡る検証の結果、分かったことがいくつかある。


 どうやらこの値段はお店の提供価格や材料の原価ではなく、

私が「それだけの価値がある」と思う金額のようだった。


 好きな物は購入金額が安くても、値段以上の価格が表示されるし、

お腹いっぱいになるにつれて数字が低くなった。

 逆に、お腹が空いていれば多少嫌いな物でも、価値が数十円程度

上がることが分かった。


 スープご飯は一番のお気に入りのため、実際は350円だが、

恐らく私にとっては1500円の価値があるということだろう。


(…でも正直スープご飯が1500円で売られてたら、

ちょっと高くて買うのためらうな…)


 仕組みがよく理解できずに首を捻りながらも、

今日は「500」と表示されている会社のお弁当を食べた。


「…はぁ、好きな物だけ食べていたい…」


 そもそも、この数字が表示されるかどうかですら、一定の

基準があるようだった。

 水やコーヒーといった飲み物には表示されず、具の無い

みそ汁やスープもギリギリ飲み物扱いだった。


 食べ物であっても、他人の食べている物には表示されないし、

自分が口にする寸前でないと数字は出てこなかった。


(もし「一口ちょうだい」って言ったら、それにも数字が

見えるようになるのかな?)


 近々、友達とパンケーキを食べに行くことを思い出して、

その時に試してみようと考える。この謎の能力が備わってから、

なんとなく食事に興味を持つようになった。


「でも今月は食費がヤバいな…それにちょっとだけ、

太った気がする…」


 お風呂から上り、そろそろ気のせいにはできないウエストを

鏡で見ながら、そっとため息をつくけれど、布団に入れば、

明日は何を食べてみようかとわくわくしながら眠りについた。



 正直、料理なんて面倒で時間の無駄だと思っていたけれど、

この能力が備わってからは、早く帰れた日には自炊をするようになった。


 その日の夕飯は、思い出の料理を試してみることにした。


 実家暮らしだった学生の頃、母がよく作ってくれた麻婆チャーハン。


 それは、ちょっと、いや、かなり辛めの麻婆豆腐のかかった

チャーハンで、最近は私も忙しいし、用事がなければ

実家に帰る気も起きないので、さっぱり食べていない。


 それでも、私にとっての思い出のご飯は、家族みんなで

「辛い!」と言い合いながら夢中で食べたこれだった。


 もし、麻婆豆腐チャーハンと、麻婆豆腐と、チャーハンを

それぞれを単品で作ったとしたらどんな評価になるのか

気になるので、テーブルには3皿を用意しようと決めた。


 久しぶりに大きなフライパンを取り出して、ほぼ新品の

エプロンを身に付ける。用意した具材は、豚肉、長ネギ、

卵、ナルト、そしてレタス。


 私の家のチャーハンには、いつもレタスが入っていて、

シャキシャキして美味しい。


 ちょっと手軽に、辛口の麻婆豆腐の素を買って、絹ごし豆腐と

鷹の爪を買ってみた。慣れないチャーハンと麻婆豆腐の並行作業に

あたふたしながら、なんとかお皿に盛り付けてみる。


 それらしい見た目の料理が完成したので、冷めないうちにと

スプーンを引っ張り出し、荒れ放題の台所を無視してテーブルへと向かった。


 エプロンを脱ぎ捨て、勢いよく手を合わせる。


「いただきます!」


 湯気と共に、数字が3つ。


 麻婆豆腐チャーハンには、1000。麻婆豆腐には300、

チャーハンには400が表示されていた。


「へー!そういう感じかー!」


 単品よりも、組み合わさった麻婆豆腐チャーハンの方が数字は高く、

少しだけ上機嫌になって一口頬張る。


 けれど、麻婆豆腐がめちゃくちゃ辛かった。


 急いで食べたチャーハンは、なんだかレタスで

水っぽくなっていて、とても懐かしい味がした。


「…実家、来週にでも帰ろうかな」


 たとえ手抜きの料理だったとしても、記憶よりもあまり

美味しくなくても、低い数字が表示されても、そんなことは

どうでもいいことで、ただ、お母さんの作った料理が食べたかった。


 けれど、食後にメールを送ったら、


「桜が帰ってくるなんて珍しい。来週はお父さんと栃木で

温泉旅行なので再来週ならOK。お土産に餃子買うから焼いてあげます。」

と返信が来て、盛大にずっこけた。



 週末の予定が無くなってしまったので、気を取り直して、

新しいチャレンジをすることにした。


 それは以前からずっと避けていた、けれど少しだけ興味がある、

私にとってかなり勇気が必要な挑戦だった。



 土曜日の昼、11時から私はその列に並んでいた。


 店が開くのは11時半からだというのに、既に10人くらい

並んでいて、男性ばかり。一人で来ている人が多く、誰もが言葉少なに、

ただ静かにその時が来るのを待っていた。


 ガラリと戸が開き、店員さんが「どうぞー」と声をかけ、一人ずつ

その店内へと入っていった。扉には、大きく「ラーメン」と書かれた

暖簾が掲げられていた。


(…これが噂の…)


 ゴクリと緊張で喉を鳴らし、私は順番が来たので販売機の前に立ち、

食券を選ぼうとメニューを確認する。


 種類は3つ、「少なめ」、「小」、「大」と分かれていて、

「小」が「ふつうサイズです」と記載されていた。


(普通の基準からして怖いけど、とりあえずお腹も空いてるし、

小くらいはいけるよね…)


 店に入ると、その気迫に圧倒される。ラーメンに向き合う

人々の熱気と、濃いスープの匂いが充満している。


 食券を店員に渡して席に座り、店内の様子を窺ってみる。

静かなのに、すごく騒がしい。店員以外はみんな無言なのに、

なりふり構わずラーメンをすする音、咳払いやスープを飲む音が響き、

まるで戦場のようだった。


 一人ひとりが出されたラーメンと必死になって戦っていて、

私もこれに加わらなければならないのかと、既に怖気づいてしまう。


「大の方?」


 唐突な店員のその呼びかけに、先に座っていた男性が

まるで電撃が走ったかのように瞬時に答える。


「ニンニクヤサイマシカラメで」


「次の大の方?」


「ヤサイマシマシアブラカタマリ、お願いします」


(へぇ~…え?何それ?アブラカタブラって

今言わなかった、あの人?)


 呪文のようなその返答に圧倒されていた私だが、次の瞬間、

ハッと店員と目が合う。既に券売機で注文を終えたと思っていたが、

まさか、自分も何か言わなければならないのか。


「そちらの小の方は?」


 この問いに、私は脳みそをフル稼働させた。

オーダーのマニュアルは書いていない店内と、入り口の段階で

ほとんど注文は済んでいることを踏まえると、一連の謎の呪文は、

恐らく追加のオーダーだろう。


 そこまで考えて、一つの回答を叩き出した。


「…普通で…!」


 なんとか言葉を絞り出したが、店員はちょっと微妙な反応だった。

だが、すぐに次の人へと移っていった。


 私は「セーフ!」と安堵しながらラーメンを待つ。

隣でやりとりを聞いていた人が、(ふっ…こいつ慣れてないな)と

鼻で笑ったような気がしなくもないが、最早そんなことは

どうでもいい。


 でも、改めて店内を見渡すと、確かに常連の人ばかりが

集まっているような気がして、女性なのに一人で食べに来ている

自分だけが異質に感じられる。


(…こういう時、男性はいいよね。周りを気にせず好きな物が

食べられて…あ、でも男性も可愛いお店には行きづらいか。

…なんだかお互いのテリトリーがあって、悪いことしてないのに

肩身が狭いっていうのは悲しいな…いや、駄目だ!

食べる前に気持ちで負けるなんて、来た意味がなくなっちゃう!

私には、このラーメンの価値を知ることと、完食するっていう

目的があるんだから、もっと強い意志を持たないと!)


 ぐらぐらと煮えるような熱気の中、周りの人達は挑むようにして、

山のように盛られたラーメンにかぶりついている。

 これは自分との闘いであり、他者の存在は不要な世界だと、

私も精神を集中させていく。


 間違いなく、気分だけは立派なフードファイターだった。


「はいどうぞー」


 ドン!と効果音が聞こえてきそうな、インパクトのあるラーメンが出される。


500


 あれ?と、開始早々戦意をそがれた。確か700円のラーメン

だったはずだけれど、そこは自分を納得させて、

「いただきます!」と手を伸ばした。


 レンゲなど無い。

豪快に盛られたもやしに箸を突っ込み、躊躇せずに頬張る。


(あっ熱い!ん?もやしに味がしない?)


 疑問があっても、手は止めない。

それが戦場のルール。


 食べ方を間違えている気もしたが、どう考えても野菜を片付けないと

麺に辿り着けないので、とりあえず頑張って食べる。

 だがこの間、無意識にチャーシューだけは見ないようにしていた。

明らかにラスボスだから。存在感がありすぎて怖いから。


 しばらく野菜と格闘して、ようやく麺に取り掛かる。太麺が、

スープをみっちりと吸い込んでいる。


(ん?サバンナ?)


 濃厚なその味は決して守りに入ることなく、どこまでも攻めの一手で

万人受けする感じではない。鼻に抜けていく動物臭を感じて、

アフリカのどこかにある大地を想像しながら食べ進めていく。


 悪戦苦闘しながらも、私はずっと「新しい」と感動していた。


 まるで自分の限界に挑戦しているかのような気分。

人間として、いや、生物としての私を試しているかのようなラーメンと

向き合っていると、食事という概念が全く新しいものになっていく。


 そんなランナーズハイのような気分になりながら、肉々しい

チャーシューにかぶりつき、サバンナでライオンに追われている

ような心持ちになって箸を動かし、必死に食べ続けた。


 そうしてなんとか完食できた時には、支払った金額よりも、

表示された価値は低かったはずなのに、心の中には謎の達成感と

満足感があった。

 空想のライオンが、私のことを認めてくれた気さえした。


 コップの水を飲み干し、「ごちそうさまでした」と、どんぶりを

カウンターの上に戻して店内を出る。店員からの元気な

「ありがとうございましたー!!!」を背後で聞くと、

なんだか一仕事終えたような、いや、大きな戦いが終わったかのような

気持ちになる。


「…あー…疲れた」


 気づけばそう呟いていた。それは良い意味でもあるし、

悪い意味でもある。どこか清々としていて心地良かったけれど、

その日の夜はずっと胃が重くて、何も食べずに眠った。



「桜、久しぶり~」


「久しぶり!元気そうだね~」


 その次の日は、久しぶりに会う友達との約束で、おしゃれなカフェを訪れた。

ここは最近できたお店で、パンケーキが美味しいと評判だったため、

予約しておいて正解だった。


 店内は女性で溢れていたけれど、多分奥さんと一緒に来たらしい年配の男性も

可愛いパンケーキを食べていて、なんだか微笑ましい気持ちになる。


 席に着き、メニューを見ると魅力的なパンケーキがたくさんあって、

どれを選ぶか迷ってしまう。

 だが、こういう時こそ自分の直感を信じることにしていた。


「クラシックパンケーキのメープルシロップアイス添えを、

チョコソースとハーフバナナクリーム、ハーフピスタチオクリームで」


 デジャブのようにふと、昨日のラーメン屋での注文が頭をよぎった。

けれど店内に漂う甘い香りで、脂っこい記憶は遠くの彼方へと飛ばされて、

ワクワクしながらパンケーキを待つ。


 メニューに書いてある値段だと、私のパンケーキは1380円になる。

内心ドキドキしながら、友達と「一口ずつ交換しようね」と、

のほほんとした約束を交わす。

 そして、もし仲の良い人と一緒に食事する場合も、その食べ物の価値に

違いが出るのか気になって、今度は一人で来てみようとも考えていた。


「お待たせしました」


 ふわりとパンケーキ独特の香りが漂い、テーブルにとても大きな

お皿が置かれる。予想以上に美味しそうな見た目に期待しつつ

「いただきます」と手を合わせると、パンケーキの上に数字が表示される。


 そこには「3000」という数字が浮かび、

実際の値段以上の価値に、深く満足する自分がいた。


 ナイフを入れて、柔らかく、もっちりとしたそれを口に運ぶと

ほのかにバターが香り、すぐに幸せな気持ちになる。


「ねぇ桜!こっちもすごく美味しいよ」と、友達がお皿を寄せてくれた。


「ありがとう」とフォークを伸ばすと、一瞬だけ「200」と表示される。


 私は「苺味でこれも美味しいね」と話をしながら、人から分けて

もらった場合は、自分が食べる分だけの価値が表示されるのかも

しれないと考えていた。


 私は少しだけ考えてから、友達に尋ねる。


「ねぇ、私のパンケーキも食べない?」


 そう言って自分の皿を彼女の方へと寄せると、友達は

「ありがと~」とそれを口にした。


「…あのさ、その一口って、どのくらいの価値があると思う?」


「え?ん~、これも美味しいとは思うけど、私はチョコより

苺味の方が好きだからな~でもすごい美味しいから…

去年桜と一緒に食べた、つきたてのお餅くらいかな?」


 その答えに思わず私が笑うと、彼女も笑った。


 とても楽しい時間だった。パンケーキは値段以上の価値がある

食事だったし、たくさんの発見があって、心の底から食事に

満足することができた。


 食べ終えてお喋りをしていると、友達が「そういえば」と、

バッグから小さな箱を取り出した。


「この前イベントに行った時、見つけたから買ってきたよ~。

これって桜、好きだったよね」


 よく分からないまま箱を受け取り、中を開けてみると、そこには

可愛らしいタルトが入っていた。


 一目見て、私にはそれが何か一瞬で分かった。

そのタルトは紛れもなく、私が最近夢中になっているゲームに

出てくるお菓子だった。


 とある料理が得意なキャラクターが、主人公のために作るお菓子で、

どうやらイベント限定で販売されていたらしい。


「えー!いいの?すごく嬉しい!ありがとう!」


 本当に嬉しくて、プレゼントしてくれた友達に、私は何度もお礼を伝える。



 けれど、この時の私は笑顔の後ろでほんの少しだけ、怯えていた。


 新しい実験ができて嬉しい気持ちと、もしも、このタルトに表示される

数字が想像より低かったらどうしようという不安が入り混じっていた。


 自分の好きな物、好きでありたい物には、価値が高くあってほしい。


 でも、この数字にはそういった感情も加味されるのか、全て「正直」に

判断されているのかはまだよく分からない。



 貰った小さな箱が、ほんの少しだけ、重たく感じた。


 家へと帰り、グダグダと時間をかけて家事をして過ごした後、

そろそろ夕飯にしようと席を立つ。


 この能力が身についてから、私の食生活は大きく変わった。


 食事は、空腹を満たすというよりも、好奇心を満たす行為に

なりつつあった。


 なので、気になる食べ物が無い場合は極力カロリーを抑えて、

お財布に優しい料理を作っている。小さな冷蔵庫はもやしで

いっぱいになっていたが、特に体調の変化もないので気にしていない。


 友達から貰った小さな箱を取り出し、中身を見てみると、

ゲームに出てきたお菓子とそっくりのタルトが3つ、入っていた。


 私は少し興奮しながらそれを見つめ、その再現性の高さに感動する。

お気に入りの花柄のお皿に移し、色々な角度から写真を撮り終えると、

不思議な緊張感に、思わず正座してしまっていた。


 そして私はそっと、目を閉じてみた。


 それは咄嗟にとった、初めての行動だった。だが、それについては

深く考えず、そのまま手を合わせて「いただきます」と呟く。


 恐る恐る手を伸ばし、目を閉じたままタルトを掴むと、

ゆっくりとそれを口へと運ぶ。


「…めっちゃ、美味しい…」


 心のままに、言葉が零れた。走馬灯のようにキャラクターが

これを作っている姿すら浮かぶ気がした。


 きっとキャラクターがこのお菓子に込めたであろう愛情が、

製作側の情熱によって、今、私に伝わっているのだろう。


 このお菓子は本物で、最高だった。

目を開けると、「5000」の数字。


「やったあ!新記録更新だ!」


 まるで難題を正解した時のように、私のテンションは一気に上がる。


 当然だけれど、このタルトは2次元のキャラクターが作れるはずもなく、

工場で生産された量産品だと、頭では理解している。


 それでも、私の「心」によって高い価値がつけられたということが

証明されて、激しく感動していた。



 だがふと、「もしこの数字が低かったら」と考えてしまう。


 その時は、私の純粋な「美味しい」という感情も薄れてしまって

いたのではないのだろうか。



 そうと思うと、なぜか食欲がなくなって、もう一口がためらわれた。


 タルトに詰まったブルーベリーのソースは深い紫色をしていて、

どこまでも甘い。


 なぜこんな能力が身についたのか、自分に問いかけてみる。


 だが、答えはどこにも見つからない気がした。

この頃から私は少しずつ、ご飯を食べることに疲れ始めた。


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