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第六話・「ちゃぷちゃぷ」

 階段を上ると一本の廊下があり、その左右にそれぞれ四つずつドアが配されていた。

 単純計算で八部屋。宿泊スペースは二階だけだから、部屋数はそれほど多くないといっていいだろう。


 ふむ……俺の視点で見る限り、宿屋【旅人の止まり木】の構造はこうだ。


 一階がフロントで、フロントの周りは歓談の出来るスペース、奥には調理場があり、その前には大テーブル。歓談スペースにはテーブルとイスがいくつも並べられて、ちょっとした病院の待合室のようだ。壁には額に飾られた写真や何かもあるにはあるが、廃屋のような壁にはあまりにも不釣り合い。さらに言えば、額に飾られているにしてもガラスにヒビが入っているので、絵の雰囲気など台無しだ。四方の壁には一応窓があり、こちらのガラスにもヒビの入っており、ヒビにテープの補修が施してある。

 いずれも劣らぬボロボロぶりで、視覚的に頼りない。二階の廊下などは、ジャンプしたら着地の衝撃で床を突き抜けて、一階でもんどり打つことになってしまいそうだ。

 俺は設備のつたなさにため息をつく。


「……ここ」


 一番奥の部屋に通された。


 驚いたことに部屋はそれほどボロというわけではなかった。もちろん、それなりに眉をしかめる部分はある。だが、部屋はそれなりに広く、ベッドも大きめ。シーツからは太陽の匂いがするし、床やクローゼットのほこりは綺麗に拭き取られている。

 その点はティアナ、イリスの日々の経営努力なのだろう。


「ふ〜ん、悪くないわね」


 珍しく意見が合ったな。別に嬉しくもなんともないが。


「にしても暗いわね……ねぇ、イリス、電気はないの?」


「電気は……ない。魔法ランプなら、ある」


 ぶっきらぼうな言葉を残し、玄関口にぶら下がっていた携帯用ランプを持ってくる。イリスがそのランプに手を触れると、内側のフィラメントが青白く発光し始めた。


「へぇ……確かに【恩寵者】みたいね」


 口笛を吹くキズナ。


 ふむ……ここで一つ説明を入れて方がいいか。


 まずはこの世界に住まう者ならば誰でも知っていること。誰もが出来る不思議でもなんでもないことについてから説明しよう。



 ……今回は魔法であり、その根源。魔力というものについて。



 魔力が人々にとって初めから持ち得たものであるのに対して、魔法は最初から持ち得ていたていたわけではない。

 ティアナを助けたときに、未熟なキズナは詠唱魔法を使用した。

 その文言を思い出して欲しい。


 ――古より胎動する風の精霊よ、我が盟約に従いその力を眼前にて示せ!


 初歩中の初歩である魔法で申し訳ない。恨むのならばキズナの成長の遅さを恨んでくれ。


 ……とにかく。


 魔力を魔法として変換するには、精霊の力を借りる必要がある。我々の祖先である古代人が、世界を司る精霊と契約を結んだことが魔法の始まりだった。もともと人間が持っていた魔力を、精霊の力を借りて魔法に変換し、やっとそれなりの力として行使できるようになる。

 キズナが使用した詠唱魔法でも、スーツ男が使った単詠唱魔法でも、基礎は同じだ。


 魔法の行使に際して、文字列が使用者の周りを覆っていたことを覚えているだろうか。


 それは古代文字であり、今では遠い歴史に埋もれた言葉なのだ。先程、精霊の力を借りると言ったが、その借りたものこそが古代文字なのである。


 大昔、精霊と人とが交わした言葉、その言葉が文字化されたものと言われている。残念ながら、聡明な私ですら解読することはできない。

 けれど、推論の域を出ないなりに、分りやすく解釈するとしたらこうだ。


 魔力を言葉に乗せて文字に宿し、文字から魔法へ変換する。それぞれに順を追って魔力を伝導させていくことで、はじめて魔法は発現させることが出来る。その始まりが詠唱魔法。そして、それを発展させたものが単詠唱魔法というわけだ。


 人間は生まれながらにして魔力を持って生まれるが、一方で、身体に宿す魔力の量は人それぞれ。

 【恩寵者】はその中でも特別で、膨大な魔力を持った者を指す。

 判別するのは、至極簡単だ。魔法具に魔力を伝導させればいい。このランプであれば、白い光が灯れば一般人の魔力。青い光が灯れば【恩寵者】ということになる。ご存じの者も多いとは思うが、あえて蛇足として付け加えさせてもらえば、さらにもう一段階上の人間が存在する。


 一般人、【恩寵者】、さらに……【寵愛者ちょうあいしゃ】。


 【寵愛者】は文字通り精霊に愛され、契約する以上に精霊が手を貸すと言われている。


 世界に大きな戦争が起きる度に、魔法使いは力を大いに振るうことになる。その戦渦の中、絶対的な力を持って戦いを終結に導いたのが【寵愛者】であり、精霊であると言われている。


 ……まぁ、あくまで蛇足程度に考えていてくれた方が助かる。


 伝聞調で立証される証拠などと言うものは往々にして人々は信用しないものだからな。


 ……と、まぁ、多少饒舌に語ってしまったわけだが、付いてきていただけたであろうか。色々と語り足りないところがあるが、また機会を見て語っていくことにしよう。


 ご静聴、嬉しく思う。


「……ムス太……一緒にお風呂」


 おうっ! ま、まだ居たのか、イリス。お前もしつこい奴だな。


 しゃがみ込んだイリスが、俺を捕まえようと手を伸ばしてくる。俺はその手をぎりぎりのところで回避して、窓際へ。イリスがそんな俺を追い詰めようと、じりじりと寄ってくる。


「お風呂で……あそぼ?」


 純粋な瞳で迫るイリスによって、じりじりと窓際へ追い詰められる俺。逃げ場が徐々に無くなっていく。


 くそ…………ん? ……窮鼠ってこういうことを言うのでは?


 ふと、不穏なことわざが頭をよぎった。


「ムス太……私と……ちゃぷちゃぷ……嫌?」


 ちゃぷちゃぷ嫌!


「ふあ……ああぁっ……私は一足先に寝るわね」


 追い詰められる師匠に弟子はなんの興味も示さない。

 ヒップバッグを外してベッドの脇に放り投げる。


 キズナは俺が居ることも構わないで、スカートのホックを外すと、足下にすとんと落とす。お気に入りの黒い下着が、制服の裾に絶妙の角度で隠れる。履いていたブーツを脱ごうと屈む中でちらちらと見え隠れする黒の下着は、歓楽街のストリップダンスを思わせた。


 イリスもいるので口に出したりはしないが、キズナの肢体はそこいらの女では太刀打ちが出来ないぐらいに、無駄がない。


 均整の取れた体つきは戦闘向きだし、それでいてしなやかだ。美と武を両立させることはなかなかに難しい。武だけを追い求めるならば筋骨隆々で構わないわけだし、スレンダーである必要性がない。

 胸などはあればあるだけ論外の論外となる。とても残念なことではあるのだが。


 故人はかくも語ったものだ。

 二兎を追う者は一兎をも得ず、あるいは、天は二物を与えず、と。

 要するに両手に花を持つことが出来ないのが世の常。けれど、現実として、ここにそれを両立できそうな女が居ること自体が、ちょっとした奇跡ではある。それは俺の師匠としての力量がものを言うわけだが……。


 キズナはあっと言う間に下着一枚の格好になってしまう。

 着ていた服やブーツを周りに転がしたまま、ブラに手をかける。胸がないキズナのブラは黒のフロントホック。俺とイリスの存在などは羞恥心を微塵も刺激されないのか、ついには胸を張ったまま堂々とブラを脱ぎ去ってしまう。パンツ一枚。


「ムス太……見ちゃダメ」


 …………。

 残念だなどとは思っていないぞ。本当だぞ。


 しばらくして俺の顔を覆っていた手のひらが外されると、キズナがベッドにうつぶせになっていびきをかいているのが見えた。

 一点の染みもない美麗な背中の流線が、魔法ランプの青白い光りを浴びて非現実的に輝いている。我が弟子ながらなかなかのものを持っている。


 これで胸があれば俺も……ん? 別にキズナに胸があったからとしてなんだというのだ。キズナはキズナでしかない。俺の足を引っ張ってばかりの馬鹿弟子ではないか。


 俺は外の闇に目をはせる。

 太陽は完全に落ち、道を挟んで街灯の輝きがうかがい知れる。それほど発展した町ではないが、電気という発明は日を追うごとに広がっているのが分かる。

 昔は、人が自らの魔力を使って全ての火を灯し、それを明かりとして利用していたものだが……。

 進歩とはまるで駆け足だな。

 耳をすませば、進歩の足音というものが聞こえてきそうな程に……。



「お風呂……お風呂……ムス太と……お風呂なの……♪」



 鼻歌を歌うように歩くイリスに気がつけば、いつのまにか俺は一階の奥にある脱衣場にいた。 記憶が抜け落ちてしまったかのようだ。

 必要がないから抜け落ちたからなのか、あえて抜かしたのかは定かではないが、目の前ではメイド服を一所懸命に脱ごうとするイリス。


 オイオイオイ……!


「ん……しょ……ん…………しょっ、と」


 男らしい大胆な脱ぎっぷりのキズナとは対照的。

 少しずつ露わになっていく小さな肩口や、肩胛骨、胸元に隠されたわずかなふくらみ……さらには地面にまで届きそうな長くきめ細やかな髪が、真っ白な肌にさらさらと寄り添う。


 俺の顔が熱くなってくる。

 なんだというのだ。俺にそんな気はないというのに。


 偶然なのかわざとなのか、着崩すように脱いでいく。着崩したイリスは、なにか汚されてしまった乙女画のようであり、墜ちていく天使のようでもある。あるいはその最中であるような……。


 とにかく、加害者でもないのに加害者の心境にさせられてしまう。

 でなければ、イリス以外が全て悪であるかのような……ああ、もう、訳が分らん。

 俺は何で、こんな子供にドキドキしているんだ。


 にらみ付けるように半裸のイリスを睨めつける。


「ハム太……と……洗いっこ、する……」


 おい、セリフもそうだが、カボチャパンツを微妙に下ろすところで止めるな。なぜ最後まで脱がないで、次に移る。お前は、おもちゃに目移りする子供か。


 ――もう、見てられん!


 俺は熱くほてった顔をもてあましながら、イリスに背中を向けた。


「あ……っ」


 禁忌を侵犯したような罪悪感が俺の心の大半を占める中、イリスが驚いたような声を上げる。

 着崩した脱ぎ方が災いしてか、下ろしたカボチャパンツに足を取られ仰向けに転んでしまったようだ。


 ほら、見たことか――ギャうおおッ!


 刹那、俺は天地がひっくり返るかのような痛みに飛び上がる。

 転んだイリスのお尻が、俺の美しいしっぽを押しつぶしたのだ。


「――!」


 ここで叫び声を上げなかった俺は、本当に偉大であると思う。

 自分で自分を褒めてあげたくなる。

 さすが俺、よくやった。立派だ。ついでに、格好いい、惚れる。


「あっ……ムス太……お風呂……!」


 痛みに脱衣所を躍り出た俺には、寂しそうなイリスの声など記憶の片隅にも残らないのであった。


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