第五話・「一緒にお風呂」
「ふ〜ん、イリスってば【恩寵者】なんだ」
軽い調子で値踏みするような目つき。
場に立ちこめかけた暗雲は、俺が思っていた以上にそこに停滞したりはしなかった。雲一つ無い脳天気なキズナに、雲はなすすべ無く吹き飛ばされてしまったかのようだ。
「何を隠そう、私も【恩寵者】よ」
こいつ……それを言えばより災いが振りかかると分っていて……そういう向こう見ずな態度が今までどれだけの厄災となって降りかかってきたか。
知らないとは言わせないぞ。
降りかかる火の粉は払えれば確かに問題はない。問題はないのだが、自分一人では払いきれないで全身が火だるまになることもあったはずだ。最後の最後で俺の力を借りていることを、お前は身をもって知っているはずだ。
忘れたとは言わせないぞ。
イリスの頭の上から、キズナをにらみ付ける。俺の眼光に気がついたキズナは、大して気にしたような様子もなく、鼻で笑って手をひらひらと振ってみせた。
細かいことは気にするんじゃないわよ、とでも言いたげだ。
ああ……今回の旅も嫌な予感がする。
「でしたら、こういうのはどうでしょうか〜」
語尾が伸びている。ティアナにとって機嫌が上り調子にある証拠だ。イリスが【恩寵者】であることを告白してから黙っているとは思ってはいたが、なにやら熟考していたらしい。
いい予感が全くしない。
イリスと遊んでやったおかげで、いい加減に疲れてしまい、それにともなって誘発された惰眠をむさぼろうと思っていたが、そんな俺のささやかなリクエストは、睡魔に連れられて逃げ出してしまったようだ。
「キズナさん、しばらく【旅人の止まり木】に滞在して、ペラン達からイリスを守ってはいただけませんか?」
途端、キズナの横顔に企むような不穏なものがざわめき始めた。もちろん、それは師弟の間柄でないと読み取れない一種の機微たるものだ。表面は不敵な笑みを浮かべてはいるが、内心では願ってもない展開に小躍りをしているだろうキズナ。
解説するならば、こうだろう。
お腹と背中がくっつくぐらいに空腹だったけど、ちょうど良いぐらいに暴漢に襲われているなんて、なんて好展開なのかしら。難なく飯にありつけただけじゃなくて、今度はどこの誰かも知らないぺらんぺらんに狙われているってきたものよ。なんて偶然! なんて幸運! なんて僥倖なのかしらっ! ふふふっ……近年まれに見るご都合主義的な展開に私もびっくりだわ。これで傭兵としてここに住めるってことは、当然、衣食住は保証される訳よね? ま、確かにここはボロだけど、料理は文句のつけようないぐらいに美味しいわけだし? 断る理由なんかこれっぽっちもない。逆にこちらからお願いしたいぐらいよ。しめしめ、これでやっとその日暮らしからもおさらばって訳ね。
……とかなんとか、当たらずも遠からず……いや、十中八九そんなことを考えているだろう。
というわけで、解説、終わりだ。
「いいわ、私も色々と忙しい身分だけど、ティアナには一宿一飯の恩義もあるしね、引き受けてあげるわよ」
一宿一飯の恩義だと? お前の脳内は、すでに一泊するつもりでいるのか。キズナ、ずうずうしいにも程がある。
「ありがとうございます〜」
ティアナよ。少しはキズナの本性に気がつく努力をした方が良いと思うのだが。
「イリスちゃんも、それで良いわよね〜?」
「私は……ムス太と一緒ならいい」
白魚のような指が、頭の上に乗っている俺を包み込む。そっと手のひらで抱え上げると、俺はイリスの目の前に運ばれる。百パーセント無表情だった顔に、十パーセントの微笑みが加わる。
雪解けの清流水のようなきらめきで、ほのかに笑むイリスが、俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「……一緒なの」
ふん……イリスの微笑みは、何か心をくすぐるものがある。
たとえて言うならば、砂漠の真ん中で見つけたオアシスであり、倭国で言うところの茶柱が立っているのを発見したときのような感覚だ。無表情であることが、良くも悪くも際だたせているのだろう。
「異議なし、決まりね」
テーブルに両手をついて、これから住まいを共にする面々を見回す。
ティアナ、イリス……最後に、俺の目をじっと見てくる。
悪いが、弟子に熱心に見つめられるのはぞっとしない。お前の考えは分っている。有無を言わさないつもりなのだろう? アイコンタクトは一瞬で可能なのだから、そう念を込めるように俺を見るな。お前は俺を呪い殺す気か。お前の意思、意向は、付き合いの長さから分りたくなくても分ってしまうのだ。
ふう……これでまた一つやっかいごとを抱えこんだな。……まったく、不肖の弟子が。
「とりあえずは、今日のところは解散しようと思うんだけど、いいわね? はい、決定。ふあ〜あ……たくさん食べ過ぎてなんだか、眠くなっちゃった」
はなから意見を聞く気もないくせに、是非を問うな。
「はい〜、それじゃ、私はお片付けをしますね〜」
「そ、何か手伝うことはある?」
「いえいえ、お気遣いには及びませんよ〜、もともとこれが私の仕事ですから〜」
キズナ、お前そうなることが分っていて、あえて聞いたな。
「イリスちゃん、お風呂の用意をお願いできるかしら〜?」
「うん……。終わったら、ハム太……一緒にお風呂」
悪いが、俺にそういう趣味はない。丁重にお断りさせてもらおう。
イリスの手のひらから大ジャンプし、キズナの足下に追いつく。
「お風呂はいいから、部屋に案内してもらえない?」
「あ、そうでした〜」
大皿を何十にも抱えたまま、口元に手を当てて驚く。片手で何十にも積んだ皿の底を持格好だから、バランスが崩れてぐらぐらとし始める。
あ、あ、あ、と身体を揺らして慌てるティアナを横目に、イリスがキズナを追い抜く。
「こっち」
「放っておいていいの?」
「大丈夫……姉さんのバランス感覚は一流だから」
義妹が言うのだから間違いないだろうと思うのだが……この際深く考えるのはやめにしよう。