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第三話・「クソネズミとませガキ」

 もりもりばくばくむしゃむしゃ、ごくん。

 もりもりばくばくむしゃむしゃ、ごくん。


 擬音語で説明してみたわけだが、分っていただけたであろうか。

 分っていただけたのであれば……嬉しい。


「おかわり! 特急よ!」


「はいは〜い、もう少し待ってくださいね〜」


 食堂の奥、調理場からほのぼのとした声が響いてくる。


「少しも待ってられないわよ、私の胃袋は! 超よ! 超特急!」


 お聞きの通り、キズナの食べっぷりと言ったら、それはそれは豪快で、女であることをとっくに捨て去っている。拳が一つはいらんばかりに口を開いたかと思えば、フォークを突き刺したステーキを一口で口の中へ放り込む。

 真っ白で強靱な歯、虫歯一つ無い圧倒的なナチュラルパワーで、口に含んだ食物をあっと言う間に咀嚼する。

 鯨飲馬食とは言うが、きっとこの光景に対しての言葉だろうな。

 我が弟子ながら遠慮と慎みと作法を放棄した姿に、俺は頭痛を隠せない。キズナがヒップバックから取り出したひまわりの種を優しく愛でながら、俺はそれらを頬袋に詰め込んでいく。

 実は、この瞬間がたまらなかったりする。

 口の中を大好きなもので埋め尽くすのだ。愛で埋め尽くすと言い換えてもいいだろう。つまりそれは一種のハーレム的な快楽でもあり、疲れた身体でバスタブに肩まで使ったときの極楽感にも似ている。


「リニオ……もぐもぐ……アンタはこの料理食べないの?」


「飲み込んでから話せ、行儀が悪い」


「あにほ……はんはも……ごっくん……食べながら話してるじゃない」


「俺は食べてなどいない。その証拠にほら、頬袋に」


 俺は口を開けて見せてやった。


「ほらな、食べてないだろう」


「うげ……アンタ、自分で言っていることと、やってることが矛盾してるてことに気がつきなさいよ」


「これがハムスターなのだ。生き物の存在を頭から否定するな」


「いや、そんなコトするハムスターはアンタだけだから」


 食べ物が無くなったテーブルに頬杖をして、フォークで俺を指し示すキズナ。

 そのとき、調理場から聞こえてくる調理器具の軽快な音の合間に、玄関が開く音が混じった。


「姉さん、ただいま」


 それは小柄な少女だった。


「……む?」


「何よ、この子」


 首をかしげながらも、皿に付いていたソースを指で取り、それを口に持っていくキズナ。意地汚い奴。お前は、こういうときぐらい少しは食欲と決別しろ。


「あ、イリスちゃん、おかえりなさい〜」


 調理場から大皿を抱えてやってくるティアナ。少女……イリスに挨拶をして気を取られたのか、ボロ屋ゆえの段差につまづいてしまう。哀れ大皿が宙を舞い、山盛りのパスタが無重力状態となる。


「姉さん、保安官呼んでくるから」


 顔色一つ変えずに、玄関に引き返そうとする。


「ちょっと待ちなさいよっ! ……もぐもぐ……あら、これいけるじゃない」


 転んだティアナを助けずに、パスタを助けるとは、お前は鬼か。


「あ、ありがとうございます〜……」


 顔面を床にぶつけたままティアナが返事をする。シュールな光景だな。


「やっぱり、保安官呼んでくる」


「あ、イリスちゃん、違うのよ〜、私はこの人に危ないところを助けられたの〜」


「……本当なの?」


「本当〜」


「そ、ならいい」


「何よ、このちびっ子は。いきなり失礼かましてくれちゃって」


 お前が言うな。


「それに礼儀がなっていないわね」


 だから、お前が言うな。


 俺は弟子に対して特大のため息をついてやった。だが、そんな俺にキズナは気がつくはずもなく。


「イリスちゃん、この人はね、キズナ・タカナシさんといって、とても強いのよ〜」


 あっと言う間にパスタを食らい尽くしたキズナが、貧相な胸を張っている。


「ふふん、遠慮はいらないわ。もっと褒め称えていいのよ」


 ……。にっこりと笑って沈黙を埋めるティアナ。


「――それで、この子がリニオ・カーティスさん。キズナさんのペットです〜」


「ちょちょっ、ちょっと! 他にはないわけ!?」


 身の程を知れ、キズナ。俺はそれだけを声を大にして言いたい。


「あ……」


 少女のつぶやく声が聞こえた。

 俺の紹介が終わったと思ったら、いつの間にか少女が俺の目の前までやってきて、しゃがんで顔を寄せてくる。とてつもない早業だった。

 床に着きそうなほどの長い髪が、思い出したように重力に引かれて落ちてくる。ふんわりと少女の髪が元の位置に戻る様は、まるで天使が舞い降りたよう。俺をのぞき込んでくるつぶらな瞳は瑠璃色で、ラピスラズリもかすむほどの清廉さを誇っていた。鼻梁の通った童顔は、小さく人形のように端正。美麗な白磁器のような肌と、小柄な体つきは、図らずも幼児体型を如実に表している。服装は残念ながらティアナと同じボロボロのメイド服。姉と呼んだティアナとは比べるまでもなく圧倒的にボリューム不足の体つき。

 見る人が見ればそれはステータスなのかも知れないが、俺は残念ながら興奮の一つも覚えなかった。キズナと同じく、俺の守備範囲ではない。俺はティアナのような豊満な女が好きなのだ。

 大は小を兼ね、小には出来ないことを大は出来る。大に出来て、小に出来ないことは山ほどある。この差は大きいのだ。


「ふふ……かわいい。……私は、イリス、よろしく」


 悪戯っ子のような微笑。どうやら、無表情というわけではないらしい。

 とすると限りなく無表情に近いだけなのかも知れない。


「えい……えい……ぷにぷに……」


 無遠慮に指で俺の頬をつついてくる。

 ぬ、く……失礼な奴だな。


「……ハムスター……ムス太……おい、ムス太ー……」


 虫の鳴くような声で俺の頬袋つついてくる。や、止め、止めろ、俺はひまわりの種を……く、くすぐったいぞ、コラ。

 それにムス太ってなんだ? さっきティアナが紹介しただろう。俺はリニオ・カーティスだ。偉大なるリニオだぞ。


 ……と声に出したいが、出来ない。なんだ、このジレンマは。


「あらあら、イリスちゃんが夢中になるなんて珍しい」


「よしよし……良い子、良い子……」


 頭を撫でられた。ちょっと嬉しい。


「ねぇ、ちょっと、そこのガキ」


 キズナの声がしたような、しないような。


「ムス太……ひまわりの種、好き?」


 こくこくこくこく。俺は反射的にうなずいてしまった。

 ふっ……本能って奴はこれだから……。


「ムス太、ひまわりの種、あげる」


「チュウ!」


 手品か何かなのか、大量のひまわりの種がイリスの手からこぼれ出す。

 俺は知らずの内に歓喜にしっぽを振り回していた。……負けたぜ、俺の負けだよ。もう、どうにでもしやがれ。


「……姉さん、私……この子に一目惚れしたみたい。ムス太も……私と居たいって」


 ひまわりの種。ひまわりの種。右も左も、ひまわりの種。


 ふふ……今日はどいつを愛でてやろうか。お前か? それともお前か? おいおい、みんなそんな目で見るな。順番だぞ。順番に並んでくれ。なに? 嫉妬してしまうって? 安心してくれ、俺はそんな狭量な男じゃない。みんな同じぐらい愛してやるさ……ふふ、ふふ、ふふふ……じゅるり。


「おい、コラ、クソネズミとませガキ」


 現実世界から乖離していた俺の意識が、物々しい声によって強引に連れ戻される。異様なオーラをまとったキズナが、しゃがみ込むイリスと愛人(ひまわりの種)に囲まれる俺を見下していた。


「簡単に懐柔されてるんじゃないわよ! 馬鹿!」


 右手が一閃したかと思うと、俺はキズナに首根っこをひっつかまれていた。


「あ……ムス太……」


 名残惜しそうな瞳と、か細い声。俺と遊んでいたときのイリスの笑顔は、一瞬でもとの無表情に戻ってしまう。


「いい? コイツは私のペットなの! あんたなんかにあげたりしないの! 分かった?」


(ペットではない、師匠だ)


(黙れ、浮気者)


(ふん……それは嫉妬か? ……あ、いや、訂正する)


 キズナの眼光があまりにも鋭利すぎて、俺は慌てて訂正していた。今の殺気は、百戦錬磨の強者でも射すくめられる。


「そう言うことだから、私の許可なく勝手なコトしないで」


「…………」


 キズナの鋭い視線に負けず劣らず、イリスも冷たい視線をキズナにぶつける。いまにも戦いの火ぶたが切って落とされそうな雰囲気だ。まさに一触即発だな。


「あのあの〜、皆さん、仲良くしてください〜」


 慌てた様子でティアナが仲裁に入ってくる。


「お腹が減っているから、イライラしちゃうんですよ〜、皆さん仲良くご飯にしましょう〜」


「そうね、私も大人げなかったわ」


 日頃からな。


「……」


 さっさと席に着いてしまうキズナ。俺はキズナの胸ポケットに戻さてしまい、動くに動けなくなってしまう。そんな俺の姿を、イリスは寂しそうに見つめている。ティアナは人数分の食事を用意するようで、急ぎ足で調理室に戻っていく。途中でつまずいて転びそうになっているのが何とも不安だった。

 キズナに怒鳴られてから、イリスは微動だにしないで、置物のようにたたずんでいる。俺と遊んでいたときのような笑顔も、声も、そこにはなかった。ただ、キズナの胸ポケットにいる俺を、哀切な瞳でじっと見つめているだけ。


 ……まったく。


(キズナ、お前は大人だよな?)


 栗色のツインテールをかき分けて、キズナに耳打ちする。


(そうよ、だから?)


 俺はそれ以上何も言わず、キズナの肩口から食卓へと飛び移った。


「ちょっと! リニオ!」


 キズナが平らげた皿の間隙をすり抜け、イスに飛び乗る。そこから床に降りると、小柄な天使の人形の元へ走り寄る。ボロボロのメイド服をまとう美しい少女。つぶらな瞳に俺の美麗な姿が大写しになっている。俺はイリスに向かって両手を伸ばす。イリスはそんな俺を手のひらに包み込むと、優しく抱きしめてくる。きめの細かい肌。深遠な瞳。吸い込まれそうだった。


 ふむ……不思議な少女に出会ったものだ。


「……ムス太、優しい……大好き」


 ……いいか、本来ならば胸のない女などには近付いたりしないのだぞ。今日は、その……特別だ。……って、こら、イリス、頬ずりするな。


「……ふん、大人なんだから。私は大人なんだから……」


 ぶつぶつ言っているキズナと、嬉しそうに微笑むイリスに辟易する。


「さ、ご飯にしましょう〜」


 両手に皿を持って、楽しそうに食卓に料理を並べていく。

 そんなティアナの揺れる双丘だけが、俺の一服の清涼剤だった。


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