第三十六話・「雨」
これが最後の攻防になる。
出し惜しみはなしだ。
【朱雀】から魔法文字がほとばしる。
限界を超えて増大していく剣閃。地平線を貫くほどに伸びた刀身。俺は強烈な重さを感じながらも【朱雀】を横に払う。
閃光と轟き、そして、燦然と輝く文字列が、衝撃波の中で弾け飛ぶ。
意識と身体をつなぎ止め、足を何とか枝の上にとどまらせる。魔力の溶岩を切り裂き、文字通り進路を切り開く。
イリスが見える。道は開けた。
開けた先にある宝石のような蒼い瞳に、俺が写り込んでいた。
青龍の眼前に迫った俺は、地面に落ちていく枝を蹴って舞い上がる。【鶺鴒】を天にかかげ、魔力を解き放つ。
天を突く光。渾身の力で【鶺鴒】を青龍に振り下ろした。
イリスの声が青龍の動きを止めていた。絶叫は青龍の魔力を消失させ、炎の勢いを減退させる。
吸い込まれるように【鶺鴒】が青龍の首筋に食らいついた。
青龍を斬首する【鶺鴒】は、キズナと魔法の講義をした丘を半分まで両断し、そして青い燐光となって霧散した。
首と胴体が離ればなれになった青龍の身体も、青い残り火となって空に消えていく。
俺はその中でイリスを捕まえて落下の衝撃に備える。
ペランの豪邸のあった場所には、すでに魔法の巨木はない。魔力の寄る辺をなくした木はあっけないもの。
燃えるような紅葉とは自分で言いながらに、言い得て妙。
青龍の残り火に燃え尽くされて、僅かな秋をもの悲しむようにゆっくりと消失していった。
「まさか……」
空中に投げ出された俺たちは、未だ燃えさかる民家の屋根に着地させられていた。
「最後の最後、着地までお前に助けられるとはな」
「助けたのではない。ただ……お主との決着がこのような形で決してしまうのが、惜しいだけよ。二重人格の【恩寵者】」
隣の民家の屋根に着地していたヘイデンが、腰に手を当てて不適に笑む。
右腕はない。傷口には包帯が厚く巻かれていて、赤が大量に滲んでいた。
「二重人格だと?」
「違うのか?」
そうか、気がついていないのか。
鋭いのか、豪快なのか分からないヤツだ。
「あ……いや、何でもないぞ。それより忘れ物だ、ヘイデン」
【朱雀】を投げてやる。
「ふん、こちらからも忘れ物だ」
スーツの胸ポケットから乱暴に放り投げられたものをキャッチする。
「……世界で一番可愛いのだろう?」
「……」
頬袋をこれでもかというほどにふくらませたキズナだった。
血管の浮いた額。頭からは湯気が立ち上っていた。
「何というか……よかったなキズナ」
「リニオ、格好つけたところ悪いんだけど……一つ言わせてもらっていいかしら」
「駄目……と言ったら?」
「いいのね、ありがとう」
俺に了解を得るつもりは元から無かったらしい。
だったら聞くな、と言いたい。切に言いたい。
「……うおっほん」
微妙な咳払いだな。
「ふざけるんじゃ――ないわよっ! 馬鹿っ!」
ないわよ、のタイミングで殴られた。
ハムスターの小さい拳なのに、少しだけ痛かった。
「あんな空中から放り投げられたって、けっきょく地面に叩き付けられて即死なのよ!」
「おお……気がつかなかったぞ」
「て言うか、この身体は私の身体じゃない!」
「おお……」
「気がつかなかった――って言ったら殺す」
「気づいていました」
「ごめんなさいは?」
「ごめんなさい」
怒髪天をつく勢いのキズナに俺は土下座する。
「私の身体で土下座されると、微妙に心苦しいのはなぜかしらね……」
腕を組んでぷんぷんと怒るハムスターに土下座をする人間。構図としては最悪の部類に属するが、今回ばかりは俺が悪いと思えたので、素直に謝る。
ふむ……師匠としての威厳はすでに失墜してしまったのだろうか。悲しい。
以上、自問自答終わり。
「おかしなものだな【恩寵者】というのも……」
会話までは聞こえていないだろうヘイデンが、俺たちの様子を見て顔をしかめる。
左手を顎に当てて考え込む姿は、娘に困らせられる父親のようだった。
「それに……」
怒っていたキズナが突然背中を向けて尻込みする。
「あのとき……今更っ……今更嫌いじゃないって言われても困るんだからっ……」
怒りがしぼんでいくようだった。
今度は困るのか。それは大変だ。
「おお……勘違いさせて済まなかった、キズナ」
俺は困っているキズナを安心させるために必死に言葉を巡らせる。
ご機嫌取りというのもなかなか大変なのだ。
「嫌いではないが、もちろん好きでもないのだ。好きなわけがないだろう? 俺は巨乳好きだぞ。こんな微乳、貧乳には興味はないのだ」
スワップしたキズナの胸を、手のひらで持ち上げて見せる。
ふむ、持ち上げるほどなかったな。
「……」
しぼんでいくはずの怒りが、ぴたりとしぼむのを止める。
「殺す」
ハムスターの姿で拳を振り上げるキズナ。
……けれど、その拳は振り下ろす直前で止まっていた。
「……殺していたわ、イリスを助けられなかった時はね」
キズナの拳が脱力するのと、俺の胸にイリスが飛び込んでくるのは、ほぼ同時だった。
俺の胸の中で大粒の涙をこぼして泣きじゃくるイリスを俺は優しく抱きしめてやる。
「……ム……ス太ぁ……む……す……たぁ……」
耐えてきた涙が決壊していた。
滂沱として流れ出す涙はとどまるところを知らず、ぐっしょりと俺の服を濡らしていった。
「雨だわ……」
大火の後には必ず雨が降る。
確かキズナと出会ったときも同じ雨だった。
立ちこめた雲からぽたぽたと雫が落ちてくる。それは炎上した店や、倒壊した家屋をぬらし、一時の休息を与えるようだった。
「よしよし……好きなだけ泣くのだイリス」
目を真っ赤に腫らして、鼻水をすすり、頬をぬらし、赤ん坊のようにぐずる。
泣きじゃくる姿は醜いものと相場は決まっているが……。
さすがは傾国の美少女、絵になるな。
「……ちなみに言っておくと、俺はリニオであってムス太ではない。そこ、間違えるなよ」
雨の中、俺はいつまでもイリスの涙を拭っていた。
次回最終回です。やっとここまで来ました。一日三回更新です。誤字脱字ありましたらお許しください。